急に竹取物語でかぐや姫に求婚した貴公子のモデルが気になって検索。超大物な有名人である藤原不比等以外は記憶にありませんでした。他の人たちも元ネタが推定されており、なおかつ藤原不比等同様にひどい扱いを受けています。
2023/06/10:
一部見直し
かぐや姫の物語 高畑勲 (監督) 

●竹取物語でひどい扱い…かぐや姫に求婚した貴公子のモデル・元ネタ
2017/3/22:
竹取物語 - Wikipediaによれば、5人の貴公子のモデルは以下の5人だそうです。
石作皇子 → 多治比嶋
車(庫)持皇子 → 藤原不比等
右大臣 阿倍御主人 → (本名そのまま)阿倍御主人
大納言 大伴御行 → (本名そのまま)大伴御行
中納言 石上麻呂 → (本名そのまま)石上麻呂
上記の順番そのままではなく、最初に最も扱いがひどい藤原不比等から紹介します。庫持皇子(くらもちのみこ)が藤原不比等とされる理由は、まず不比等は天智天皇の落胤との説があること。これは本来「皇子」じゃないのに「皇子」としていることの説明ですね。そして、母の姓が「庫持」であるためといわれています。
車持皇子はかぐや姫から「蓬莱の玉の枝(根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝)」を持ってくるように言われましたが、当然そんなものはないので、玉の枝の偽物を作りました。これはなかなかに素晴らしい作戦だったものの、職人への報酬を支払われていないというみみっちっことをしたために、職人たちがやってきて偽物とバレます。
大恥をかいた不比等は、世間から身を隠すことになったようです。この物語のせいで藤原不比等は情けない人物であるかのように誤解している人がいますが、実際にはそうではありません。
江戸時代の国文学者・加納諸平は『竹取物語』中のかぐや姫に言い寄る5人の貴公子が、『公卿補任』の文武天皇5年(701年)に記されている公卿にそっくりだと指摘する一方、5人のうち最も卑劣な人物として描かれる車持皇子だけは、藤原不比等がまるで似ていないことにも触れています。
藤原不比等は日本の歴史上で最も傑出した政治家と言う人がいるほど、成功しました。皇室との関係強化によって、子孫である藤原家が長く大きな権力を握り続けました。ただ、こうした権力者というのは、批判されるものですからね。竹取物語そのものが藤原不比等批判のために書かれたのでは?という説もあります。
なお、他の4人はそっくりだという理由もよくわかりません。この後見ていくように、他の4人の史実にそっくりな話は特に見当たりませんでした。それとも、先に名前が出ていた文武天皇5年(701年)に記されている『公卿補任』にそういう話があるんですかね。よくわからなかった部分です。
●石作皇子・阿倍御主人・大伴御行・石上麻呂などの元ネタは?
藤原不比等とともに本名では出ていなかったのが、石作皇子(いしづくりのみこ)。彼が多治比嶋(たじひ の しま)であるとされる理由は、宣化天皇の四世孫であり、なおかつ「石作」氏と同族だったためだそうです。ただし、実際には皇子ではないために、異なるとする説もあるようです。
石作皇子が輝夜に要求されたのは「仏の御石の鉢」というものでした。石作皇子の場合、大和国十市郡の山寺にあった只の鉢を持っていくという特に工夫のない方法で臨みましたので、当然嘘だとばれます。でも、鉢を捨ててまた言い寄ったそうで、めげない人ですね。
元ネタ説のある多治比嶋はどういう人だったか?と言うと、持統天皇の即位後に、空職となっていた右大臣に昇進。臣下では太政大臣の高市皇子に次いで高い地位につき、さらに皇子の薨去により、臣下最高位となるということで、彼もかなり成功した人物です。その後も、さらに左大臣になった上、正二位に叙されました。ただ、具体的な功績のような話はありません。権力者だったというだけですね。
また、石作皇子の元ネタとされる多治比嶋の死の前には、やはり貴公子のモデルの一人である大納言・大伴御行が亡くなっています。そして、多治比嶋の死後には、これまたモデルの一人である阿倍御主人がしばらく臣下最高位(右大臣)となったものの、間もなく薨御(こうぎょ)してしました。
残った一人の元ネタである石上麻呂は、嶋の次に左大臣に出世したのですが、平城京遷都においては藤原京の留守役を押し付けられるなど、天武朝から活躍していた老臣達は次々と姿を消したとWikipediaは書いていました。そして、最初に出てきた藤原不比等が黄金時代を築くこととなったそうです。(
多治比嶋 - Wikipediaより)
●詐欺師に騙された阿倍御主人 大伴御行も真面目にやって不幸続き
「阿倍御主人」っておもしろい名前ですが、「ごしゅじん」ではなく「みうし」と呼ぶそうです。彼にかぐや姫が欲したのは、「火鼠の裘(かわごろも、焼いても燃えない布)」。阿倍御主人は唐の商人から火鼠の皮衣を購入しました。藤原不比等と違って、きちんとお金払ってんですね。
ただ、そもそもこれが贋作。姫が焼いてみると、あっけなく燃えてしまいます。買う前に焼いて見せてもらえば良かったのに…。彼の
Wikipediaも見たものの、やはり功績のようなものはなし。壬申の乱のときの功があったらしいという話くらいですね。他は出世などが順番に書いてあるだけです。この頃の人はみんなこんなものなんでしょうか?
「龍の首の珠」というものをかぐや姫に要求された大伴御行(みゆき)は、阿倍御主人が正攻法でやったのと同様、船で探索に出かけました。真面目です。ところが、この真面目が災いしてしまいます。船が嵐に遭った上に、重病にかかり両目は二つの「李」のようになったそうな。踏んだり蹴ったりです。
Wikipediaでは特に説明なく、「李」としていましたが、これは「すもも」のことでしょうね。「人などに疑われるような事はするなという」ことわざの「李下に冠を正さず」は、すももの木の下で冠を被り直せばすももを盗んだと疑われかねないというのが、元の意味です。
大伴御行 - Wikipediaを見ると、壬申の乱では大海人皇子(後の天武天皇)側にたって戦い、一部隊の指揮官になったものと考えられているものの、やはり具体的な活動内容は不明でした。
『万葉集』で御行が「大将軍」と記されるのも、この乱で顕著な功績を立てたためではないかと推測する向きもある一方で、御行の戦功はそれほどでもなく、彼に対する褒章は大和国方面の軍の指揮をとる将軍になった大伴吹負ら大伴氏全体の功に対する部分が大きいと見る説もあるそうです。そして、他は例によって特筆すべき話がありません。
●かぐや姫に少し気の毒に思われた石上麻呂
最後は、石上麻呂(いそのかみ の まろ)。「まろ」のみというシンプルなお名前です。漢字は麿とも書くとのこと。また、氏姓は物部連であるので、物部麻呂とも呼ばれています。
彼の経歴はちょっとおもしろいですね。壬申の乱の際に負けた方である大友皇子(弘文天皇)の側にいました。戦争での活躍は伝えられないものの、大友皇子が敗走して7月23日に自殺するまで、物部連麻呂は一、二の舎人とともに最後までつき従ったと言います。
しかし、勝った天武天皇の時代にも、大乙上物部連麻呂は大使となって新羅に赴くという仕事をしています。おもしろいと思ったらWikipediaでもそこらへんの説明がありました。Wikipediaによると、敗者になった麻呂が、天武天皇に起用された理由は、最後まで従った忠誠を評価されたためではないかと言われているそうです。その他、同族の朴井雄君が大海人皇子側で勲功を挙げたことで、物部一族への処分が軽微に留まったとする意見もあるとのことでした。
お決まりの出世の話もあり、長く空席であった左大臣にもなっていますが、この頃に実際に政治を主導したのは、右大臣であった不比等だったと考えられているそうです。そして、前述の通り、都が平城京に遷ったとき、旧都の留守番になっています。(
石上麻呂 - Wikipediaより)
竹取物語の話に戻ると、この麻呂に、かぐや姫は「燕(つばめ)の産んだ子安貝」をご所望しました。そして、麻呂も真面目系だったようで、大炊寮の大八洲という名の大釜が据えてある小屋の屋根に上って、子安貝らしきものを掴みました。
ところが、その後、転落して腰を打ってしまいます。この時点で惨事です。ところが、さらにこれまた踏んだり蹴ったりな話で、掴んだのは燕の古い糞であり貝では無かったそうな。そりゃそうです。つばめが子安貝を生むわけがありませんものね。
その後、麻呂が気弱になり病床にあることを聞いたかぐや姫が見舞いの歌を送ると、中納言はかろうじて、返歌を書き息絶えてしまいました。とどめを刺された感じです。これを聞いてかぐや姫は少し気の毒に思ったそうで、他の4人よりはやや報われているような気がするものの、死んでしまっても「少し」ですからね。他は全然気持ちが動かなかったようです。かぐや姫怖いわぁ…。
(2023/06/10追記:「かぐや姫怖いわぁ…。」と書いていたのですけど、その後、
徘徊覗きストーカーに結婚ハラスメント 竹取物語がひどすぎるという話を投稿。かぐや姫から見れば、無理やり結婚を迫られるストーカーどもですので、気持ちが動かないのも当然かもしれません)
かぐや姫の物語 高畑勲 (監督) 

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