以前、
悪魔の証明の具体例というものを書きましたので、説明はそちらを見てほしいのですけど、どうも「悪魔の証明」は勘違いされて覚えている方も多いようです。
簡単に言うと、「(ある出来事が)起きないこと」や「(あるものを)存在しないこと」を証明しなさいというものが、悪魔の証明です。(また、多くの場合は、「ほら、証明できないだろう、だからそれは起きるんだ」と主張してしまうようです)
以下は、勘違いの例です。
悪魔の証明
「オーストラリアには蛇が居ない」を題とします
蛇が居ないのを証明するためにオーストラリア全土を調べて(探して)いるとして、 その最中に蛇を見つけてしまいました オーストラリアに蛇が居た=蛇が居ないことを証明するのは不可能 だから否定を証明するのは難しい
悪魔の証明について自分で考えてたらこうなったのですが
調べた説明だと オーストラリアに蛇が居ないのを証明するには オーストラリア全土をくまなく調べなければならないので とても困難、実行不可能である
僕の考えと調べた説明はずれてますよね なので僕の考えの間違ってる部分を教えて欲しいです
ヤフー知恵袋より |
悪魔の証明でよく言われるのは「存在することを証明する方が容易である」ということで、この場合、見つけちゃってますから、話は簡単、オーストラリアには蛇をいることを証明できました。よって、これは悪魔の証明とは関係ありません。
そうじゃなくて、悪魔の証明というのは、オーストラリアに蛇がいると主張する人がいないと考えている人に対して、いないことを証明せよというケースを指しますから、「オーストラリアに蛇が居ないのを証明するには オーストラリア全土をくまなく調べなければならないので とても困難、実行不可能である」というのが正しいわけです。
1 匿名(11/07/06(水)15:38:51 ID:CBvZsMV4U) 悪魔の証明を実際に行ったものにはどのようなものがありますか? フェルマーの最終定理は悪魔の証明になるんですよね?
2 匿名 (11/07/09(土)20:26:50 ID:/Qfv/QciI) 悪魔の証明はとても困難なだけで不可能ってわけではないから いくつかあるんじゃないの?
数学画像掲示板より |
読んでいて何だこれ?と思ったもの。レスはこれ一つついただけで終わってますし、皆さんもわからなかったのかも。
どういう用法で使ったんだろう?と悩んだのですが、唯一レスした方の「とても困難」というのが答えかもしれません。前述したような悪魔の証明の解釈ではなく、「単に困難なことの証明」が悪魔の証明であると勘違いされているのかもしれません。
フェルマーの最終定理は、3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがないという定理で、360年もの間、プロ・アマチュアを問わない無数の数学者がその証明に挑んだにも関わらず、誰も証明することも反例をあげることもできなかったという難問です。(
Wikipediaより)
「できなかった」と過去形になっている通り、これは既にアンドリュー・ワイルズによって1993年に証明されています(実際には1箇所誤りがあり、修正は後年)が、ちょうどフェルマーの最終定理については前日に偶然調べており、個人的にはおもしろかったです。(疑似科学を調べていたら、なぜかそちらに流れました)
話が逸れましたが、基本的に数学の証明を悪魔の証明と言うのは、そぐわないと思います。
フェルマーの最終定理に無理やり悪魔の証明を当てはめようとすると、「3 以上の自然数 n」にあらゆる数字を入れていき「xn + yn = zn 」とならないと説明するといった感じでしょうが、それは数学で言う証明じゃないでしょう。
【悪魔の証明】 無いことを証明するのは、在ることを証明するより難しい。 このことを悪魔の証明という。 何かをしたことの証明は可能なのだが、何かをしなかったことの証明は不可能に近い。
ここでは悪魔の証明をどれだけできるかを建設的議論のもと、検証していきたいと思います。
悪魔の証明の議題はなんでも可能です。 例 「黒は赤い」を証明せよ。
証明は出来る限りで結構です。 本来出来ない(限りなく不可能な)証明を限りなく可能に近づけるという議論場です。
悪魔の証明をしてみましょうより |
これも読んでいて全然意味がわからなかったもので、レスでも大不評。
この方は冒頭で定義を書いているんですけど、どうしてこうなったんでしょう?2つ目と同じく単に困難な証明を、悪魔の証明だと判断してしまったのでしょうか?
ここではレスにおいて、
巷では「悪魔の証明」という言葉が一人歩きしており、中には「存在しないものを存在すると証明すること」が悪魔の証明であると誤解している人もいます。 「存在しないものを、存在しないと証明すること」が悪魔の証明です。 |
ということも書かれていました。
「存在しないものを、存在しないと証明すること」は大体正しいと思いますけど、よりフェアに言えば「存在しないもの」と決めつける必要はありません。
たとえば、犯罪の類なんかはわかりやすいと思います。この場合、犯罪を本当にしたかどうかは、事前に判明していません。そして、被疑者が犯罪をしていないことを証明するのは無茶(=悪魔の証明)だから、警察が被疑者が犯罪をした証拠を見つけましょうという話になります。
ただ、これには証明可能な例外があり、いわゆるアリバイがそうです。
同じ方が直前にその事例を書いており、これがわかりやすいので続けて引用します。
実際のところ、何かをしなかったことの証明は普通にできます。ただ、確かにめんどくさいことは多いです。 私が昨日の正午アメリカにいたことが証明できれば、昨日の正午に起きた通り魔殺人の犯人が私ではないことが証明できますよね。それはつまり「私が人を殺さなかったことの証明」です。 |
まあ、飽くまで例外であり、基本的には証明しろと言うのは「無茶言うな」という話です。
「絶対にないって証拠は!」などと言い出す人の気持ちもわかるんですけど、そうなるとトンデモ疑似科学でも、陰謀論でも、オカルトでも、でっち上げでも、何でもアリになってしまいます。
言っている人はそういうものとは違うと思っているのでしょうが、その違いを証明できません。
「悪魔の証明」になってしまわないように皆さんも気をつけると同時に、「悪魔の証明」を求められたときにはその問題性を根気良く説明して、わかってもうらうしかないですね。
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