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スティーブ・ジョブズの性格1 社内編 ~偉大なる独裁者~


 スティーブ・ジョブズさんに関しては何個か記事を紹介していますが、最近のアクセス数は亡くなった直後に比べると明らかに落ちています。

 ただ、それでも、読みたいという人はまだまだいらっしゃるだろうと思いますので、以前気になった記事で紹介した記事をテーマごとにまとめて再度掲載してみようと思います。(今日の二つ目のみ初掲載)


 最初は集めやすかったので「社員から見たスティーブ・ジョブズさん」……なのですが、すみません、神格化された内容じゃないのでやや辛い話もあるかも……。

 これでもかというほど褒めている記事やエピソード的なものもあるわけですけど、それは次回以降。とりあえず、今ある良いものでは、真面目なビジネスのものしかなく、スティーブ・ジョブズのプレゼンテーションはシンプルあたりをどうぞ。


 それでは、社員さんのお話。まず、Steve Jobs の思い出 (ガジェット通信、2011.10.07 20:00:21 まつひろのガレージライフ)です。

私はアップルで16年間働いていました。そのうち半分以上はカリフォルニアの本社で管理職でした。

(中略)

まず彼がアップルに復帰する前の社内の様子を書いてみたいと思います。

その頃のアップル社内というのは、船頭のいない船、とでも言おうか、“学級崩壊”ならぬ“社内崩壊”とでも言うのか……優秀な人は山ほどいましたが、全員が自分の向きたいほうを向いて好きなことをやっており会社を食い物にしているような感じでした。

また今のような秘密主義の会社ではありませんでした。それどころか社内の意思疎通が極度に悪く、社内で走っている別のプロジェクトを知ろうと思ったらマック専門誌を買って読んだほうが正しい情報がとれるくらいの酷さでした。会社内にペットを持ち込むことも容認されており、中には犬と遊んでんだか仕事してんだか分からない人もいましたし、社内を鳥が飛んでいたりもしました。


 しかし、ジョブズさんが復帰すると、「社内の様子は一変しました」。

最初は熱狂としかいいようのない興奮で迎えられたSteveでしたが、ごく短期間の間にその熱狂は“恐怖”とでもいうような感情によって置き換えられました。

それまでのアップルはよくも悪くも極めて民主的な会社でしたが、一方でどうにも方向性の見えない会社になってしまいました。

しかしSteve のやり方は180度異なっていました。一言で言うなら“独裁主義”です。歯向かうヤツは辺り構わず切られていきました。経営陣はほとんどNeXT から連れてきた連中に入れ替わり、それまでの経営陣はあっと言う間にたたきだされていきました。当時の私の上司だったディレクタもNeXTから来た人に入れ替わりました。その彼は“傍若無人”としか表現のしようがないほど威張り腐っており、それまでのマネージメント・チームは全否定されバサバサを切られていきました。ただその傍若無人な態度を認めざるを得ないほどよく働く人でした。NeXTでスティーブの薫陶を受けた連中というのはもう以前のアップルは基準値が違うという感じで、その日から労働時間が止めどもなく伸びてゆきました。


この頃のSteve の運営方針は一言でいうなら“恐怖政治”でした。
社員食堂などで話しかけられシドロモドロになってしまうと「お前は自分がどんな仕事をしているのかも説明出来ないのか? 同じ空気吸いたくないな」などと言われ首になってしまうと聞きました。たまたまエレベータに乗り合わせて首になった人などの話などもあり、伝説に尾ひれがついて恐怖感が隅々まで行き渡り、みんなSteve と目も合わせないようにするような始末でした。

しかし独裁政治には良いところもたくさんあります。民主主義時代には整理できなかった利益を生まない部署が整理され、コミュニケーションが密になり、秘密が外部に漏れなくなっていきました。こうした変化がわずか1年ぐらいで確立されましたから、本当に大した経営者です。

数年後には(中略)Steve に対する恐怖感というは“恐怖”というよりも“畏怖”といったような感情に置き換えられした。

 やっぱり偉大には偉大なのです。


 今から、8年か9年ほど前の、まだSteve がガンを患う前のことです。こんなことがありました。
当時私はiPod Mini の開発に関わっていましたが、11月のある日、試作機をいじったSteve が完成度の低さに癇癪(かんしゃく)を起こし、会議の席上で試作機を壁に投げつけたことがありました。凍り付いて静まり返る会議室……まったくマンガに出てくるような独裁ぶりです。が、相手が Steve じゃ仕方ありません。その後も血眼の開発が続き、クリスマスイブさえ出勤して働きました。100日以上は休みなくぶっ通しで働いた記憶です。そして翌年の 2月に出荷。Steveが出荷記念パーティを開き、開発メンバーが招かれました。その席でSteveは:

「アップルは最高の砂場だよ。毎日来るのが本当に楽しい。これからも面白いものをいろいろと作っていこう!」

とうれしそうにしゃべっていました。周りに座っていた僕ら下々は「オレには砂場じゃなくて職場なんだけどな……」と内心思っていましたが、みんなおくびにも出さず同調してうなずいていました。

 他の記事を読んでいて、スティーブ・ジョブズさんは非常に子供っぽい一面があると思ったのですが、ここにもそういうものが見える気がします。


 もう一つ、こちらは再掲でなく、初紹介。アップルの創業社員が語るジョブズ氏の素顔 ダニエル・コトキ氏に聞いた 大野 和基 2011年11月8日 日経ビジネスオンライン(登録要)です。

 インタビューされているダニエル・コトキさんという方は、

オレゴン州のリード大学に入った直後、スティーブ・ジョブズと親友になる。1976年から1984年までアップルに在籍した。その後もアップル社員と交流を深め、同社の内部事情に詳しい。

 だそうです。


 以下はおもしろかった話。

コトキ:私は「私が彼を裏切った」と彼が思っていたことを非常に残念に思っている。彼がそう思っていたことに何年も気づかなかった。気づいた時にきちんと謝ったが、彼にとっては十分ではなかったようだ。「もし私があなたのプライバシーを侵害したとしたら、心から謝る」と言ったが許してはくれなかった。

――それはどういうことか。

コトキ:スティーブは1982年のTIME誌のMan of the Yearの候補に挙がっていた。それを担当している記者から突然電話がかかってきて「リサはジョブズの子どもか」と聞かれた。「そうだ」と言った瞬間、電話を切られた。リサは、スティーブが高校生の時に、ガールフレンドとの間にできた子ども。私は誰もが知っている事実だと思ったので、そう答えただけだった。まだ世間に知られていないことだとは思わなかった。

 それが原因でジョブズはMan of the Yearに選ばれなかったようだ。そのことをジョブズは許さなかった。私の発言が原因だったということを何年もたってから知った。それを知った時、今、言ったように謝罪したが受け入れてはもらえなかった。


――ジョブズは大学をすぐに辞めている。講義は受けていたのか。

コトキ:受けていた。大学の学長と仲良くなり、ただで聴講することを黙認してもらっていた。当時から彼は人を説得するのが得意だった。


――大成功したアップルに対してどう思っているか。

コトキ:(中略)

 私は1984年にアップルを去った後、多くのスタートアップ企業(新興企業)で働いたが、成功した会社はなかった。中には給料さえ払えなかった会社もある。

 アップルにはちゃんと払ってもらっていたが、ストック・オプションはもらえなかった。アップルが株を公開する直前になって、スティーブからまったく話しかけられなくなった。辛かった。思い出すだけでも苦しい。将来、自分がどの方向に進むべきか分からず、非常にいらいらした時期だった。

 何年かして、スティーブ・ウォズニアックが、この家が買えるくらいの現金をくれた。ジョブズが私にストック・オプションをくれなかったことに対して同情してくれたのかもしれない。あの“ギフト”がなければ今も家を持てなかっただろう。

 ウォズニアックは、ジョブズの高校の先輩で、天才エンジニアだ。私と同じように最初の社員の一人で、彼がAppleを作った。


コトキ:アップルの初期の成功に対して、スティーブはほとんど貢献しなかった。

 1977年にアップルはAppleIIを発売し、驚異的な成功を収めた。AppleIIは安っぽいフロッピーディスクを使って作った。スティーブはこの製品のデザインに深くかかわった。だが、オペレーティング・システムのことはほとんど分かっていなかった。

 スティーブは、AppleIIIの開発には関係していない。AppleIIIはいろいろな理由で失敗したが、スティーブには責任がない。

 Lisaというコンピューターの誕生にもスティーブはあまり関係していない。Lisaは、先ほど言ったように、彼の子どもの名前だ。スティーブはLisa開発グループから追放された。だからMacintoshグループを始めたんだ。

 Macintoshの成功では彼は50%いや75%の手柄があったと言える。スティーブはジェフ・ラスキンのアイデアを元にMacintoshを作った。しかし、ジェフの手柄はそれほど認めなかった。

 Macintoshは80年代後半のアップルの成功に大きな貢献をした。スティーブはこの頃、ジョン・スカリーをリクルートした。これはアップルにとって非常に価値のある動きだった。なにせ、スカリーの経営の下で、売り上げが8億ドルから80億ドルまで伸びたのだから、誰もが彼の手腕を買った。スティーブも彼の大きな手柄を認めた。しかし、その後、経営判断を誤り、90年代初期、アップルは事業に失敗して倒産してもおかしくない状態に陥った。

 1998年にスティーブがアップルに戻ってきてから、彼はすべてのことを自分の手柄にした。もちろんiMacをはじめとする主な製品のデザインはイギリス人デザイナーのジョナサン・アイブの手柄である。

 スティーブ・ウォズニアックは、ジョブズのことをマーケティングの天才だと言っていた。まさにその通りだ。マーケティングの力を生かすためには、良い製品が必要だ。その意味でジョブズは幸運だった。


――ジョブズ氏はマーケティングの天才と呼ばれる。スティーブ・ジョブズはいかにしてアイコン(崇拝の的)になったのか。自分をアイコンにすることで世界中に信奉者をつくることに成功して、アップルを大成功に導いたということか。

コトキ:その通りだ。彼が自分のイメージを作り上げて、アイコンになることに成功した。誰かに相談してそうしたのか、自分だけで考えてそうしたのかは知らない。自分をアイコンにすることは、アップルのマーケティングにとって非常に素晴らしい貢献だった。Macintoshを売り出す時、彼がステージに立って披露した。そのことに、彼も聴衆も非常に満足した。1984~1985年のことだ。そのころから彼自身がpersonal marketing force(マーケティングの力そのもの)になっていった。

 アップルに戻ってきて、スティーブは同社を見事に立て直した。それは非常に大きな挑戦だった。しかし、彼は自分のキャラクターを前面に出すことで成功した。彼の取り組みがアップルを復活に導いた。



――スティーブ・ウォズニアックは、ジョブズには2つの面があると言っていた。1つはリーダーシップ。もう1つは人情を解さない(callous)ところだ。だから、ジョブズが亡くなって、ほっとしているアップルの従業員もいるのではないか。

コトキ:それは言えるだろう。アップルの従業員にとって、そのメッセージを表に出すことはいいことではない。いくつかの伝記に、彼の2つめの面が既に書かれている。彼のcallousな性格は人によっては耐えられなかったと思う。それでアップルを辞めた人も多い。


コトキ:彼の自宅のガレージでAppleIを作った。

(中略)

 私が仕事をしている間、スティーブは電話をかけまくっていた。顧客探しだ。ウォズニアックや私がモノ作りを担当し、彼がマーケティングを担当した。だから、彼が発想したように思われているものでも、実際には彼の発想ではなかったものがある。よく勘違いされることだ。

 業界では、他の人のアイデアをまるで自分が思いついたかのようにプレゼンすることで彼は有名だ。別に今に始まったことではない。

 iPodもそうだ。それを発案した人を個人的に知っている。彼はあまりにもひどい扱いをスティーブから受けたので、何年か前にアップルを辞めようとした。だが、ジョブズがちゃんと報酬を出したのだろう。思いとどまったようだ。


――ジョブズはあなたにはどういうものの言い方をしたのか。

コトキ:スティーブが私に何かを命令することはなかった。良い友達関係だった。彼が従業員に屈辱的な言葉を吐いたり、怒鳴ったりすることはよく知られているが、そういうことは私にはなかった。さっきも言った通り、多くの人がその圧力に耐えられず辞めていった。

 ジョブズは私にも感謝の気持ちを表したことはない。アップルが1998年にiMacを発売し大成功した時に、少しは感謝の気持ちを表してほしかった。性格だから仕方ないだろう。

 人情を解さない彼の性格は生まれつきのものではないと思う。どのように形成されたのかは分からない。

 養子に出された環境が関係しているのかもしれない。そういうふうに指摘する人もいる。というのも、自分の生みの親を必死で見つけようとしたからだ。自分は誰なのかを探し求めていた。

 一方で彼は、人に思いやりを持とうと思えば、自分の感情が許す限り持てる人だ。彼はそういう意味で非常に複雑な性格だったと思う。彼は誰に対して恩を感じるべきか、とか、何も恩を感じるべきではないとか、はっきりしていた。といって、だから彼が悪い人間だというわけではない。

 本当に貢献した人に対して、きちんと感謝する気持ちを持ち、払うべきものは払うべきだ。だが、スティーブは必ずしもそうしてこなかった。それで「彼のことを一生許さない」という人もいる。彼がそういう複雑な性格であることは、出版されたばかりの伝記『スティーブ・ジョブズ』にも書かれている。著者のウォルター・アイザックソンもテレビで同じことを言っていた。経営者としては最悪の人間だと。

 アップルの歴史は権力闘争の歴史だったと書いていた記事もあり、何もこれはスティーブ・ジョブズさんに限った話ではないかもしれませんが、手柄を全部自分に……というのは、やはり子供っぽさがあるかなと感じます。

 ただ、実際の内部事情はともかく、スティーブ・ジョブズさんを前面に出して会社の象徴としたというのは、記事にもあるようにマーケティング的には大正解だったと思います。

 新しいもの
  ■スティーブ・ジョブズの性格2 社外編 ~子供っぽい一面も~
  ■スティーブ・ジョブズの名言、成功、優れた点
  ■スティーブ・ジョブズの名言から五つを選り抜き ~スタンフォード大のスピーチなど~

 関連
  ■スティーブ・ジョブズのプレゼンテーションはシンプル
  ■スティーブ・ジョブズ、すい臓がん、スピリチュアル、マクロバイオティック(記事紹介)
  ■スティーブ・ジョブズと「Stay foolish」とヒッピー文化
  ■スティーブ・ジョブズを例にしたイノベーションの生み出し方
  ■アップルとアップル・レコードとアプフェルキント(ドイツのカフェ)の商標・ロゴ問題
  ■その他のインターネット、パソコンなどについて書いた記事


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