実際に測ってみて、「セシウムが検出された」といううれしくない結果ながらも、「行動できるすべがあることを知ったことは良かった」と話している。ただいたずらに情報に右往左往して不安がっていたのではなく、「現実が示されない現状」や「何もできないでいる状況」に不安を抱いていたことが分かる |
多くの人が気付いている通り、国民に細部を伝えず、「直ちに健康には影響がない」と言い続けるのは、まさに「よらしむべし、知らしむべからず」の「愚民政治」(国民を愚かなものとして扱う)、あるいは「牧民政治」(国民を家畜のように飼い慣らす)という古いパターナリズムによるものだ。 だが、現代はまさに複雑な社会。東大アイソトープセンター長児玉龍彦教授が前回コラムで指摘した通り、「インフォームド・コンセント(説明と同意)」の時代なのだ。先進国の医療現場では、すでに「インフォームド・コンセント」(説明をして同意する)だけではなく、その先の患者の決定を支援する「インフォームド・コンセント・アンド・メイキング・ディシジョン」(十分な情報提供と説明により患者が同意・決定し、患者の意思決定を尊重し、支援する)が必須になっている。政治や政策にも必要な内容だ。 |
「ただでさえ全体に倣うことを良しとする国として悪名高い(a notoriously conformist nation)日本にあって、日本人はいきなり、何に倣うべきかわからなくなっている」とも。何が危険で何が安全か、個人が自分で判断するよう求められている。そしてそれゆえに、(地震そのものによるPTSDとは異なる)じわじわと押し寄せる目に見えない不安感にさいなまれ、自殺念慮が高まったり、アルコールに依存するようになったり、落ちつきを失ったりする恐れがあると。 |
そうした状況の中で福島を離れる人たちがいる一方で、「東京に避難したいけど、行っても仕事がない。チェルノブイリの人たちがどうして逃げなかったのかずっと理解できなかったけど、今では同じ立場になってしまった」と話す女性もいる。被曝リスクより避難リスクの方が高いという人もいる。幼い子供たちをつれて福島を離れた女性たちは、「戻ってこい」と言う夫や義理の両親と言い争う日々に疲れ、そして一人で不安と戦っている。 |
ワッツ記者は記事掲載前に原稿を、件の友人に送ったそうです。残念ながら友人の女性は「がっかりしたみたいだった」けれども、日本は安全なのかそうでないのか「はっきり断言して安心させることは、僕にはできない」とワッツ記者は正直に認めています。そしてこう結びます。「原発事故は恐ろしいものだが、思っていたのとは違う。原子炉3基が同時にメルトダウンすると1年前に知らされていたら、僕はこの世の終わりだと思ったはずだ。けれども今の日本は、思っていたような終末の世界とはまったく違う。代わりに、じわじわとゆっくりした衰退がはびこっている。福島を3回訪れた今、僕は1年前ほど放射能を恐れていないけれども、前より日本のことが心配だ」。 |
都内に入ると、違和感を覚えた。見渡す限り、全く事故が起きていない。「なぜ、妻だけが……」といった思いが強くなった。 家規さんは、幅20センチほどのビニール袋を見せてくれた。その中には、直径2センチほどの白いかけらが十数個入っていた。 「血だらけになった彼女の服を洗濯機で洗っているとき、“カラ、カラ”と音がした。覗き込むと、モルタルの塊がいくつもあった」 それらは、九段会館の天井の一部だった。今どき、天井にモルタルを使用しているとは信じられなかった。そこで、事情にくわしい知人らに急いで連絡をした。 家規さんは調べるほどに、いずみさんが亡くなったのは「人災ではないか」という思いを強くしていった。九段会館が適切な耐震措置を怠ったことにより、天井が崩落したと確信を深めていったのだ。 (中略) 100日ほど経った後、家規さんら遺族は九段会館の天井が落ちたホールにようやく入ることができた。 「天井の一部が落ちるだけならともかく、全てがくり抜いたように落ちていた。その後、何人もの建築の専門家に聞いてみた。常識的な耐震措置がなされていれば、そのようなことは起こり得ないという。都内では、あの日、他のホールや会館でここまでひどい崩落は起きていない。私は、真相を知りたかった。だが、九段会館は明確な説明を一切しない。もう、法の場で明るみに出したほうがいいと考えた」 |
インターネットの動画サイト・ユーチューブで、九段会館の天井崩落の様子を報じたニュースを目にした。 「それまでは怖くて、テレビニュースを観ることができなかった。いざ観ると、耐えられなかった」 動画を観たときに、天井が隅から隅まで抜け落ちたことに激しい怒りと強い疑念を持った。都内では、ここまで天井が崩落した会館やホールが見当たらない。建築の専門家に聞くと、「天井が全て崩落することは、震度5強では考えらえない」という。次第に、九段会館が天井の落下防止措置を講じていないように思えてきた。 「訴訟にする思いは当初はなかった。だが、あの態度、このズサンな管理を知るほど、決着をつけなければいけないと確信した。いつの日か、争いは終わる。そのときの虚無感が怖い。それでも、はっきりとさせたい」 |
震災の数日後に、九段会館を運営する日本遺族会が家を訪れた。家規さんには、その態度は謝罪に見えなかったという。事故を起こした “当事者意識”を全く持っていないとさえ感じた。 |
この恐怖感に、今も苦しむ。その後、“別の人格”を持つようになったという。 「辛い悲しみの中で生きる目的を失い、自分だけで生きて行くことができないという素の人格と、人格が崩壊しないようにとの自己防衛本能からか、 妙に醒めた冷静な人格の2つがある。その冷静な人格が事故に怒りを覚え、真相を知ろうと考えるようになった」 2つの人格を持つに至ったきっかけは、九段会館の管理をする日本遺族会の役員が自宅に来たときだった。事前に連絡はなく、突然の訪問だった。 桂子さんの死について謝罪はなく、事故に至った経緯などの明確な説明もなかったという。一雄さんの声が一段とかすれる。 「『遺族会として最善の補償をします』と言っていた。まずは、謝罪と事故の説明が先ではないか。あの態度からは、ある種の権力を感じた」 その態度に、一雄さんは怒りを覚えた。 |
1.「遺族の心のケア」のあり方を考え直す 私はこの20年間ほどで、自殺や病死の遺族を110人ほど取材してきたが、今回の2人は殺人事件で殺された被害者の遺族の心理に似ていた。死の真相があいまいであることに、一段と失望感や怒りを感じているようだった。 今後、被災地で遺族のケアはますます必要となる。遺族を取材すると、カウンセラーを求めるよりも、死の真相を知りたがっている人のほうが多い。「津波で亡くなった」ことは理解しているが、そのときの状況や最後の瞬間などはわかっていない場合が目立つ。 (中略) 被災地では、遺体の確認の際、警察官が遺族に遺体が見つかった場所、状況、遺体の写真などを見せつつ、説明する。この対応は、私が遺族に聞く限りでは評判がよい。このように、遺族へのケアの1つは、家族が死に至った経緯を極力、明確にすることだと考える。その意味で九段会館の対応は、遺族のケアになっていない。このことが、事態を深刻化させている。 |
2.「死に対しての責任」の明確化 (前略) 「遺族は真相を知りたかった。だからこそ、我々は会館に資料の提出を求めた。天井が崩落したホールの構造や、これまで行なってきた定期検査など、メンテナンスに関するものだ。ところが会館側は、『第三者に渡してある』などとして提出を拒んだ」 「我々は、それらのコピーであっても構わないと述べた。しかし、応じようとはしなかった。今は警察の捜査中であるから、提出できないことは承知している。だが、会館が自らに非はないと言うならば、早く見せるべきだった。あのような態度であったからこそ、遺族は不快に感じ、我々は刑事事件として告訴し、警察に捜査を依頼したのだ」 裁判になれば、どこかの段階で資料を提出せざるを得ないものだが、九段会館のこの態度が状況を一段と悪化させたと言える。 |
3.事故後に論点の「すり替え」をしない 被災地を回っていて気になるのは、「大震災だったから死者が出たのは仕方がない」という言葉だ。新聞やテレビの論調や有識者の発言にも、私はこのようなものを感じる。 施設側にとって、事故の発生は防ぎようがなかったかもしれない。しかし、死者を出した学校や幼稚園、会館、会社、工場、病院などの取材を進めると、防災対策が十分であったとは言い切れないケースも少なくない。全てを「想定外」として扱い、実態を把握しないまま、終えてしまって本当にいいのだろうか。 だが、私が取材をした遺族60人ほどのうち40人以上が、その死の責任を明らかにするための訴訟をする意欲を持ち合わせていないように思える。悲しみに打ちひしがれているのだ。 その様子を見て、犠牲者を生んだ学校、幼稚園、会館、会社、病院などの責任者や職員らが、だんまりを決め込むケースもある。もし自分たちに非がないという確信があるなら、それを真摯に説明すればいいのに、そうしようとしない。 これで、死者は報われるだろうか。遺族の思いは晴れるのだろうか。社会の秩序は守られるだろうか。再発防止に繋がるのだろうか。 |
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