ジル・プライスさん、42歳。彼女は14歳の時以来、生活の全ての出来事を記憶しているが、それ は呪われた「忘れることが出来ない」能力のようにも思える。 彼女は自らの人生をテレビのスプリット・スクリーンのようだと言う。今現在の彼女の行動を映し出 す画面があり、他方で自分では制止することができない記録していく画面がある。 1980年以降の出来事の詳細―何時に起き、誰と会い、何をして、食事で何を食べたか等―が、 彼女の脳内にしっかり閉じ込められて、歌とか匂いとか、あるいは地名等々、日常のごくありふれ た何かを引きがねにしてそれらがどっと放出されてくるのだ。 プライス夫人(学校経営、未亡人)は、鮮明な過去の記憶が頭の中でひしめき合ってくつろぐこと が出来ないため、しばしば眠りにつくのにも苦労する。 彼女のこうした症状は極めて珍しいもので学者たちは「超記憶症候群」と名付けた。 彼女はこれまでずっと匿名にしていた。カリフォルニア大学アーバイン校の専門家たちが彼女の 脳研究をしてきたが、科学誌ではイニシャルで紹介されていた。 彼女が8歳の時、一家がロサンゼルスへ引っ越しをしてから記憶回路の超過稼働が始まったの だと言う。そして1980年、彼女が14歳になってから以降については彼女は完全に記憶している のだ。 住居の移転といった出来事は、とりわけ自分の人生評価にこだわるタイプの子供にはトラウマと なって、それを主因とする脳の永続的変化を誘発する可能性がある、と神経科学者は言う。 プライス夫人は次のように語っている。「暖かくてゆったりした気分になれるいい記憶もあります。 しかし、失敗したことや侮辱されたこと、そして耐え難い恥ずかしい思いをしたことなども蘇えって きて、長年にわたってそれらは、私を苦しませてきました。ぞっとするものです」。 プライス夫人はこうした症状に悩み、2000年にジェームズ・マゴー神経科教授(記憶の世界的 権威)に症状を説明して相談した。 (中略) マゴー教授は彼女と話をして驚いた。「無作為に抽出した何年も前の日付を彼女に提示すると、 数秒後にはその日が何曜日で彼女が何をしたかだけでなく、その日に起こった重大事件まで 彼女は話すのです」と、マゴー教授。 彼女は10歳から34歳までの間、毎日日記を書いていた。彼女がその時に書きとめたことを今で も思い出すことが出来るかどうか、学者たちが確認することができる。 プライス夫人は、「忘れることができない女性」という著書の中で、鮮明な記憶は長年のうつ状態 に起因するのではないかと書いている。 マゴー教授は、彼女と同等の能力を持つ5人の成人と50人の「潜在能力者」をその後発見した。 彼によると、MRI検査の結果、彼らの脳は普通の人と比べて少し異なる形をしていると言う。 そしてその他に2点の指摘できる傾向が見られたと言う。プライス夫人と他の5人のうち3人は 左利きだった。そして、彼ら6人全員が昔の映画や演劇の番組表が載っているテレビガイドの類 を強迫観念的に収集しているのだ。 |
記憶術、サヴァンとの相違 こうした高度な記憶能力は、これまでとはまるで違うタイプのものであるという。例えばある人々は、過去の出来事を分類して記憶する事が出来る。それはある出来事、事実、それらを別の何かと結びつけて記憶し、後で簡単に想起する方法である。これは一種の記憶術とでも言うべきものであり、しばしエンターテイメントとして行われ、人々を驚かせることがある。しかし彼女の記憶能力はこれらの方法とはまるで異なるものだと博士は語る。 「AJは、幾らかの強迫観念的な傾向があります。彼女は人生に秩序を求めているようにも思えます。まだ幼い頃、彼女の母親が部屋を勝手に片付けると、彼女はひどく怒ったそうです。それは彼女が、自分の求める方法で然るべきものを然るべき位置に置いていたからなんです。つまり、彼女は出来事を日付で分類していると考える事も出来ますが、しかし、では何故それで記憶出来るのかということの説明にはなりません。」 また博士によれば、彼女の記憶能力は、これまでに記録された他の如何なる記憶能力保持者のそれよりも、卓抜したものであるという。しかし彼女の能力は例えばサヴァン症候群の人々とも大きく異なるものである、と博士は付け加えている。 「サヴァンの人々はある特定の趣味、例えば野球やカレンダー、芸術などに特異な記憶能力を発揮しますが、その範囲はとても限定的なんです。私の知るあるサヴァンの人は、音楽を聴けばすぐにそれを完全に記憶することが出来ます。しかし彼は釣り銭の計算も出来なければ、バスに乗ることも出来ません。彼は自分が何処にいるのかも把握できないからです。」 しかしそれとは対照的に、AJは”完全に自立的な人間”であると、博士は語っている。 今後マクガウ博士らは、AJの能力を解き明かすため、新たな視点から彼女の能力を研究していくという。それは例えばAJの脳を磁気共鳴画像で撮影し、その脳の構造を調べることなどである。「今後は彼女の脳をスキャンして、そこに特別な何かがあるかどうかを見極めたいと思います。」しかしもちろん、彼女の脳における何らかの特異性が認められたとしても、まだそれで彼女の記憶力の秘密が明らかになるわけではない。 |
当初、マクガウ博士は他の”優れた”科学者達と同様、彼女の話に極めて懐疑的であった。それは言わば当然の態度である。しかし五年に及ぶ調査を経て、現在、博士はもはや彼女の能力を疑うことは出来ないと断言する。 (中略) マクガウ博士はこれまで、他の卓抜した記憶能力保持者と彼女を比較し、その原因を究明すべく様々な仮説を立てた。しかしそれはほとんど的外れか、あるいは不完全な結果に終わった。例えば博士は彼女の記憶能力について、次のような仮説を立てた。それはストレス・ホルモンが記憶能力に影響しているという研究から、AJの場合は感情が記憶能力に作用し、あらゆる物事を忘れることが出来ない、というものである。 しかしその仮説は、すぐに間違いであることが判明した。何故ならば、彼女はある日におけるごく些細な事柄さえ ― 大きな出来事と同じように ― 完全かつ明瞭に記憶しており、即ちそこに感情の起伏などが介在する余地はなかったからである。(中略) また例えば彼女にある日について尋ねたならば、彼女は即座に、その日が何曜日で、何を着て何をしていたか、思いだすことが出来る(彼女は毎日日記を付けていたため、それらが正確であることが確かめられた)。その為、今では友人から”人間カレンダー”と呼ばれることもあるという。 「このように、彼女は卓抜した記憶能力を持っているんです。しかし、彼女が記憶しているものの多くは、私なんかまるで覚えていないことばかりです。ある日、私が彼女にビング・クロスビー(※1940-60年頃に活躍した米国の歌手)のことをを知っているか、と訊ねた時のことです。私は彼女が知らないと思っていました。何故ならば、彼女はいま四〇歳、つまりビング・クロスビーが名を馳せた世代ではなかったからです。」 しかし彼女は知っていたのである。そして「私は”彼がどこで死んだか知っている?”と訊ねました。」すると彼女は次のように答えたという。「確か、彼はスペインのゴルフコースで亡くなったわ。」そして彼女はそれが何月何日何曜日の出来事であるかさえ、あっさり語って見せたのだ。 「また例えばある時、我々は五年に渡る過去の調査のうち、何月何日に彼女にインタビューを行ったか、それを答えてください、と彼女に問うたんです。すると彼女はまるでフィルムを巻き戻すように、何月何日、その次は何日、と簡単に答えていくわけです。」 更に彼女は、数年前のある日、インタビューの後で博士がドイツに向かったことさえ、記憶していたという。「私が何年何月何日にドイツに行った?そんなことは、私だってまるで覚えていなかったことです。」 |
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