オウム真理教の話をまとめ。<麻原彰晃は魅力的だった?島田裕巳と幸福の科学とオウム真理教>、<オウムを「立派に活動」…オウム擁護で批判された島田裕巳氏>、<オウムおかしな宗教ではなく、仏教の伝統に根ざすと高評価!>などをまとめています。
2023/07/16まとめ:
●オウムを「立派に活動」…オウム擁護で批判された島田裕巳氏
2023/11/21まとめ:
●オウムおかしな宗教ではなく、仏教の伝統に根ざすと高評価! 【NEW】
●麻原彰晃は魅力的だった?島田裕巳と幸福の科学とオウム真理教
2012/2/20、2023/04/18:
宗教学者"世代超え"対談・島田裕巳×大田俊寛(前編)オウム騒動の渦中にいた学者と、ポスト・オウム世代の学者が感じた「サリン事件」を生んだ空気感(日刊サイゾー)を読んで「おもしろい」と思って、残りも出たら読もうとブックマークしていました。で、今読み直してみたのですが、何をおもしろいと思ったかイマイチ思い出せないんですけど、一応紹介しておきます。
・島田裕巳(しまだ・ひろみ)
1953年、東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。放送教育開発センター助教授、日本女子大学助教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任。
・大田俊寛(おおた・としひろ)
1974年、福岡生まれ。宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。
今回は、大田俊寛さんの書いた『オウム真理教の精神史』を中心とした対談なのかもしれません。本の話がところどころで出ています。インタビューアーは、ずばり「そういった80年代の空気感を肌で感じられた島田さんは、大田さんの『オウム真理教の精神史』をどう読まれましたか?」とも聞いていました。
島田裕巳
<80年代の空気感や現場での声などは反映されていない。大田さんは「宗教学が信用を失った」とも書かれているが、そもそも以前から信用されているわけではないし、宗教学というものがあること自体、オウムの事件を契機に一般に認知されるようになった>
島田裕巳さんは上記の後、<私なんかはあの時いろんなことがあり、バッシングも受けました。でも、それはオウムのことだけで責められたわけではなく、統一教会やいろんなことが絡んで責められた>として、さらに以下のように続けています。「宗教学が信用を失った」という見方をされたのは、島田裕巳さんの影響があるようです。
島田裕巳
<私の中には、宗教は非常に世俗的なものであるというのがあって、それは当時も今も変わらない。私が最初にオウムに関する論考を書いたのは「オウム真理教はディズニーランドである」(1990年)というものです。要するに、ディズニーランドへ行くと、まがいもののアトラクションがある。だけど、観客は機械仕掛けで動いているとは思わないで楽しむ、演劇的な空間です。オウムにはそういう面があり、信者たちは安っぽい宗教的なグッズを集め、それを楽しんでいた>
上記だけ読むと、オウム真理教に批判的なようにも見えます。「オウムは、非現実的な楽しい世界を一般人に提供することに長けていた」というインタビューアーの言葉を否定せず肯定。「オウム真理教はまやかしだけ」とも捉えられそうです。ところが、結局、以下のように続いていて、麻原彰晃教祖をちょっと評価するような言い方もしているんですよね。
島田裕巳
<それ(引用者注:一般人への宗教の見せ方のうまさ)を体現しているのが麻原であり、幹部たちなんです。
例えば、91年に『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)で、オウムと幸福の科学が論争をした。その時に、幸福の科学の人たちは私に「神を信じない者が、宗教を研究してはいけない」と言った。それに対して、麻原は「神を信じるか信じないかは置いておいて、宗教学者というのは客観的に研究をするべきだ」と言った。多分、今、オウムのことについてあまり知らない人が見たら、麻原の印象が変わると思います>
幸福の科学の「神を信じない者が、宗教を研究してはいけない」って全く論理性がない主張で、麻原彰晃教祖の「神を信じるか信じないかは置いておいて、宗教学者というのは客観的に研究をするべきだ」は確かにはるかにまとも。ただ、当時批判された宗教学者自身、宗教との距離感を誤り、親密になりすぎた感じはするんですよね。
(2023/04/18追記:なお、問題外にひどい主張をしていた幸福の科学がその後、信者獲得で健闘していることについては注意。幸福の科学は統一教会と同様に右派系で、右派人気のトレンドに合っているのが健闘の要因と指摘されています)
上記の後、以下のように、オウム真理教の人たちはいかにも危なそうな人たちではなく魅力があった…という、島田裕巳さんの「言い訳」のような話が続きます。ここらへんは、後に書いた
新興宗教の信者は悪い人なのか?むしろ良い人だから危険なのでは?を思い出させる話です。(この3段落、2022/12/31追記)
島田裕巳
<もう一人、数々の犯罪にかかわり、死刑判決を受けた新実智光という人がいる。私は、先ほどの『朝生』に出演する前に彼に会いました。彼は非常にさばけた親切な人物で、宗教団体にいる人間の割には「自分たちのやっていることを信じてくれ」と強く言わない、非常に世俗的な振る舞いができる人でした。しかし、そういう人間が現実には罪を犯している。そういうところがオウムの特殊性です。
社会一般を見ると、殺人犯で大学を出ている人はほとんどいません。だけど、オウムの人間たちは、大学や大学院を出ているような、いわゆるインテリ層で、今までの犯罪を犯している層とは、明らかに生い立ちや経歴が違う。「島田は当時、どうしてオウムの危険性についてわからなかったのか」とみなさん言うけど、そういう特殊な事情もありました>
――確かに麻原に実際に会ったことがある人は、僕らが抱いている印象とは違うといいますね。
島田裕巳
<当時、麻原は『朝生』だけではなく、とんねるずのバラエティー番組にも出演していました。その中では麻原は、ギャルに囲まれながらシャンプーの話をしたり、キューティクルについて話している。そんな一面もある人間なのです。だから、人間像がひとつに定まらない。そして、そんな麻原の魅力に惹きつけられ、教団に入信した人も多い>
大田俊寛さんが本の出版後にあった元オウム信者で印象的だった言葉があるそうです。「麻原という人間は確かに悪者ではあったが、しかし問題なのは、そういう人間が、現実にどのようなパーソナリティを備えているかということ。どのようなパーソナリティを備えていたのか、そのことがわかりますか?」という趣旨の言葉でした。
これは元オウム信者による麻原彰晃教祖の擁護しているわけではなさげ。麻原彰晃教祖の本性を見抜けなかったことの弁解めいたところはありますが、この元オウム信者が言いたかったのは、「大量殺戮を計画するよう大悪人が、いかにも大量殺戮するような性格ではなくむしろ魅力的」という事実のようです。(2022/12/31追記)
大田俊寛
<その信者の方は、「自分は95年のサリン事件の直前、最も麻原に近い場所にいたが、日常生活の麻原は、おおらかで人を笑わせるのが得意で、とても愛嬌があり、誰もが思わず親しみを覚えてしまうような人間だった。しかし、その心の奥底には、大量の人間の命を奪っても何とも思わない深い冷酷さや、強い毒性のある棘のようなものを隠し持っていた。自分は人生の中で多くの人々に会ってきたけれど、麻原のような人間には他に会ったことがない」とも語っていました>
ここらへんは今読むと、サイコパスのことを思い出しますね。麻原彰晃さんはサイコパスと違う可能性を感じるものの、似ていると感じるのは「サイコパスには魅力的な人物が珍しくない」ということ。「魅力的な人物だからいい人」といった考え方は、この点でも注意が必要です。(2022/12/31追記)
●オウムを「立派に活動」…オウム擁護で批判された島田裕巳氏
島田裕巳さんは当時、オウム真理教の擁護者と見られ、批判されたそうです。
宗教学者"世代超え"対談・島田裕巳×大田俊寛(中編)「島田さんがオウム擁護派と見なされたのには、4つの理由があった」(日刊サイゾー)で、大田俊寛さんは分析。軽くまとめると、最初の2つは以下のような感じです。
(1)幸福の科学の問題
米本和広さんとの共著『大川隆法の霊言』(JICC出版局)で、「大川隆法と幸福の科学の会員たちは、宗教的なイニシエーションを果たしていない子どもの集まりだ」などと幸福の科学を激しく攻撃。オウム真理教と幸福の科学はライバル関係にあったため、「島田はオウム派だ」と見られた。
(2)ヤマギシ会との問題
島田さんは学生時代に、ヤマギシ会に参画。ヤマギシ会というのは、簡単に言うと、私財をすべて供出して参加する農業ユートピア団体です。島田さんは7カ月でヤマギシ会から脱退しているのですが、その経験自体については、自分が大人になるための契機になった、自分にとってのイニシエーションになったと、肯定的に捉えている。
一方、島田さんは90年、熊本県の波野村にあった「シャンバラ精舎」というオウム真理教のコミューンを視察。島田さんはそこで、「これはヤマギシに似ている、しかもヤマギシより立派に活動している。現実世界を捨ててこういうコミューンに身を捧げる人の気持ちが、私にはよくわかる」と、シャンバラ精舎の存在を肯定的に捉えたところがある。
●オウムおかしな宗教ではなく、仏教の伝統に根ざすと高評価!
また、島田裕巳さんが、オウム擁護派と見なされた3つ目の理由は、既存仏教批判の問題だと大田俊寛さんは考えています。島田裕巳さんは、以前から既成仏教批判をしており、「本来の仏教」なるものを高く見ているのですけど、この点でオウム真理教を評価。これだともう誤解ではなく、ストレートなオウムへの高評価に見えます。
大田俊寛
<(引用者注:島田裕巳さんは、)本来の仏教とは関係がない葬儀料や戒名料を取って寺院経営を成り立たせている日本の仏教は、腐敗・堕落しているのではないかという論旨を展開しています。
それでは本来の仏教とは何かというと、それは修行をして悟りを開くことである。そしてその点からすると、オウムという団体は、日本の既成仏教よりは本来の仏教を実践していると見なされることになった。こうした論理が、オウムへの肯定的評価につながっていったわけです。
(中略)91年に島田さんは、麻原彰晃と気象大学で対談しています(『自己を超えて神となれ!』(オウム出版)に、「現代における宗教の存在意義」という題名で収録)。その中で島田さんは、ヤマギシ会の経験からオウムのコミューンを評価し、さらには、幸福の科学や既成仏教に対する批判において、麻原と意見が一致してしまう。そして『朝生』の内容にも触れ、麻原が自ら番組に出演したことで「オウム真理教がおかしな宗教ではなく、仏教の伝統に根ざしていたことが理解されたのではないでしょうか」と発言しています。これでは、「オウム擁護」と見なされても仕方がないと言わざるを得ない。>
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