2012/2/26:
渡邉美樹ワタミ会長、過労死認定でも「労務管理できていなかった認識はない」
マザー・テレサの指摘「他人によく思われたいだけの偽善」
寄付はダメではないがその前にすべきことが疎かに
人生に関する名言「(世界平和のためにできることは)家に帰って家族を愛してあげてください」
マザー・テレサ自身は地元をすぐ離れている
2018/03/27:
マザー・テレサの黒柳徹子偽善者批判の名言は捏造?
遠くの人を愛すのが悪いとは言っていない
●渡邉美樹ワタミ会長、過労死認定でも「労務管理できていなかった認識はない」
2012/2/26:「和民」(ワタミフードサービス)に勤めていた女性社員が死亡した問題で、渡邉美樹会長は、労災認定されているにも関わらず「労務管理できていなかった認識はない」とTwitterで発言していました。鬼畜です。
さらに渡邉美樹会長は、バングラデシュに自身が理事長を務める郁文館夢学園の姉妹校建設のために訪れた際に、自画自賛した上に、死に追い込んだ女性を利用する発言をしています。
「どこまでも、誠実に、大切な社員が亡くなった事実と向き合っていきます。バングラデシュで学校をつくります。そのことは、亡くなった彼女も期待してくれていると信じています」
●マザー・テレサの指摘「他人によく思われたいだけの偽善」
上記の流れは、
今ワタミ会長に最も送りたいマザー・テレサの言葉「自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、他人によく思われたいだけの偽善者である」- ロケットニュース24(2012年2月23日00時31分 江田島平子)という記事から。この記事では、"全世界で貧しい人々のために活動をし、ノーベル平和賞を受賞した『マザー・テレサ』が黒柳徹子さんに送ったと言われる言葉があります"として、以下のような言葉を紹介。
「自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、他人によく思われたいだけの偽善者である」
「大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、目の前にある人に対して、愛を持って接することだ。」
「日本人は他国のことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」 バングラデシュへの学校建設以外にも東日本大震災の陸前高田市参与になるなどを行っている渡邉美樹会長に対し、素晴らしい行いをしている裏で過酷な労働を強いられている従業員がいるようでは、その活動は結局のところマザー・テレサの言葉通り「他人によく思われたいだけの偽善」であると他者に受け止められてしまうでしょう、としていました。
●寄付はダメではないがその前にすべきことが疎かに
私も何か特別なことをしなくても、身の回りのことを気を使うだけで役に立つのだという考え方なので、共感することです。
実際のところ自然災害などによる被害など、緊急かつ多量にお金が必要になる場合は考えられますので、寄付が絶対にダメってことはないでしょう。
でも、金額が少ないからダメ、多いから良いのように、競うものではない…という違和感はありました。また、何か特別なことをしなくちゃいけないという雰囲気の一方、身近でできそうなことでおろそかにする、あるいはむしろ迷惑をかけるようなことをしているというのが、本末転倒な気がしていました。
こういった考えは、<寄付よりもっと役に立つ社会貢献 ソーシャルビジネスも利益を重視>(
寄付・補助金が悪い理由とは? エコポイント・エコカー減税・公共事業・スポーツチームへの税金投入などにまとめ)や
デマによるパニックで一番困るのも災害弱者でも書いています。
●人生に関する名言「(世界平和のためにできることは)家に帰って家族を愛してあげてください」
マザー・テレサ(Wikipedia)の他の名言にも、最初の記事のような思想は見られます。
インタビューの中で「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられたテレサの答えはシンプルなものであった。
「家に帰って家族を愛してあげてください」だったそうです。
私はこのようなマザー・テレサさんの考え方に共感を覚えています。
●マザー・テレサ自身は地元をすぐ離れている
ただ、最後で台無しにするようなことを書いちゃうと、マザー・テレサさんがまさにこのダメなパターンっぽいんですよ。
彼女自身の出身は、オスマン帝国領のコソボ州・ユスキュプ(現代のマケドニアのスコピエ)。それが18歳のとき、聖座の許可を得てスコピエを離れアイルランド系の修道会であるロレト修道女会に入ってカルカッタ(現・コルカタ)へと赴いています。そして、修道会設立の許可を得て、教会を作っていました。
さらに、「全世界規模で貧しい人々のために活躍」ということで、彼女自身は、世界各国へ出かけていたようなんですよね。
「あなたはやらなくて良い、私がやるんだから」という意味かもしれませんが、それはそれで選民思想的な優越感のようですっきりしません。(宗教関係者ってそういうものなのかも)
先に書いたように遠くの人の助力や大きな力を必要とするときも確かにあります。「身の回りのことを第一とし、それを十分に気遣った上で遠くのもの、大きなことを気にかけられるのなら素晴らしいことですよ」くらいがちょうど良いでしょうか?
●マザー・テレサの黒柳徹子偽善者批判の名言は捏造?
2018/03/27:「黒柳徹子さんに送ったと言われる言葉」と最初の記事にあったのですけど、どうも捏造っぽいです。似た言葉はあるものの、黒柳徹子さんは無関係。また、偽善者批判のニュアンスも異なりそうでした。
このことを知ったのは、
mieki256's diary - 本当にマザー・テレサが言ったのか?というページ。よく調べてあったのですけど、「本人か本人に近しい人物にアポとったり、テレビ局に問い合わせたりしてもっと調べられるだろ」といった趣旨の批判コメントがついていました。これがまさに「愛」が足りないコメントで、ヤバイですね。
それは良いとして、ネットで最古とみられる記述は2004年で、1981年4月の初来日の際に以下のようなことを言ったとのことです。これも質問サイト由来の情報なので、事実かどうかわかりませんけどね。
「大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、目の前にある人に対して、愛を持って接することだ」
「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」
「汝、隣人を愛せ」とは愛が身近な人々から始まるということであり、日本の貧困を見捨てて海外の貧困を救済するの輩は偽善者なのである。日本人なら、まず日本人に手を差し伸べるべきである。
●遠くの人を愛すのが悪いとは言っていない
質問サイトの回答者は同時に以下のような発言があること指摘。たぶん私が最初に書いた「身の回りのことを第一とし、それを十分に気遣った上で遠くのもの、大きなことを気にかけられるのなら素晴らしいことですよ」に近いんじゃないかと思います。
「愛は家庭から始まります。まず家庭の中で不幸な人を救いなさい。両者が愛し合い、母親が家庭の中心となりなさい。平和とうるおいの家庭が築けたら、隣人を愛しなさい。自分が、自分の家庭が、愛に満たされなければ隣人を愛せません」
そして、質問サイトの回答者は、「日本の貧困を見捨てて海外の貧困を救済するの輩は偽善者なのである」とはネット上の一個人の解釈であって、マザーテレサは決して言っていないとしていました。
それから、マザー・テレサさんですけど、
マザー・テレサは聖人などではない オタワ大学で批判的な研究論文といった話も紹介しています。マザー・テレサさんも立派なのは言ってることだけ?という感じの指摘でした。
ああ、あと、さっきの「母親が家庭の中心となりなさい」は、古い固定的な価値観ですね。キリスト教ってそういうところがあります。これはまだマシなものであり、ひどいものとして、
聖書をコーランだと言って読ませると「残酷」などと批判だらけをリンクしておきます。
【本文中でリンクした投稿】
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マザー・テレサは聖人などではない オタワ大学で批判的な研究論文 ■
聖書をコーランだと言って読ませると「残酷」などと批判だらけ ■
寄付・補助金が悪い理由とは? エコポイント・エコカー減税・公共事業・スポーツチームへの税金投入など ■
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