●スピリチュアルとオウム真理教の勧誘
2012/2/29:
中沢新一とオウム真理教のユダヤ陰謀論の続きです。スピリチュアルな話については変だと思いつつも、うちでは特に取り上げてきませんでした。ただ、もう少し警告を書いておくべきだったかもしれないと後悔したのが今回の話です。
…ただ、先にそのスピリチュアルの説明をやっておいた方が良いでしょう。とは言っても、あんまり良い説明がなくて困ったんですよね。いつもは頼りになるWikipediaがあんまり良い説明ではないんですわ。いくつか見た中では、珍しく
ヤフー知恵袋が良かったです。
<スピリチュアル【spiritual】
[名]米国で、民衆の中から生まれた宗教的性格をもった歌。ブラックスピリチュアル(黒人霊歌)・ホワイトスピリチュアル(白人霊歌)・ゴスペルソング(福音賛美歌)など。
[形動]精神的な。また、霊的な。「―な世界」
スピリチュアリティの短縮形として扱われる。元々は霊性としての意味合いで使われていたが、近年(2000年前後)になり自己啓発や精神世界といった、心のあり方を扱う分野で広義に亘り使用されている。
最近(2005年前後)テレビ番組では、霊を呼び出したり、守護霊の話をするような意味に使われるようになった。その影響からか、テレビ以外でもこうした使われ方がされるようになってきているが、もともと以下に示すように実際にスピリチュアルとされる分野は非常に多岐にわたるものである>
これを踏まえて、
〈対談〉元アーレフ代表・野田成人×宗教学者・大田俊寛(後編)ダミーサークルで信者を勧誘する教団と、それにハマる市民はなぜ生まれる?(日刊サイゾー)でのスピリチュアルの話です。聞き手の人は、最近盛り上がっているスピリチュアルが新興宗教に入るひとつの入口になると思うが、アーレフ(オウム真理教)の場合はどうだったか?と尋ねていました。
野田成人・元アーレフ代表によると、SNSで「ヨガや潜在意識で能力を開花させるといった、ダミーサークルを作っています」とのこと。やはりスピリチュアルを利用しているようです。また、野田成人・元アーレフ代表も大田俊寛(宗教学者)さんも「スピリチュアルが求められる時代だ」といった話をしていました。
野田成人・元アーレフ代表
「今の社会の構造として、死や生の意味付けに関する取り扱いの基準が欠けているという状況があるため、いろいろなものが乱立し、スピリチュアルなものを求めるという現象も生じていると思っています」
大田俊寛(宗教学者)
「やはり、今回の対談で話してきたように、何のために生きているのかというとても大きな問題があります。人は生きている間に、さまざまな喜怒哀楽の感情を経験したり、日々の努力を重ねて必死に生きたりしていますが、そもそも死ねば全てがなくなってしまうのに、なぜこんなに苦労して生きていかなければならないのだろうと、ふと分からなくなる瞬間がある。生きるということは、死ねば全てが無に帰するのではないかという圧倒的な問いの前に、常にさらされているわけです」
この「何のために生きているのか?」という問いに対して、スピリチュアルなものは、「非常に分かりやすく、簡略的で簡便な答えを与えようとしている」と大田俊寛さんは指摘。ただ、「簡略的で簡便な答え」という言い方でわかるように、これを評価しているわけではありません。
大田俊寛(宗教学者)
「スピリチュアルなものが、本当に社会のあり方を変えるのかと言われれば、私にはとても信じられません。資本主義的な社会を生きていく上で、その生きづらさをごまかすというか、生や死の問題について仮初めの幻想的な答えを与えて、生きづらさを一瞬だけ緩和するという機能しかないのではないかという印象を持っています。
ただ、一時的にではあれ、それらに触れて救われたように感じる人がいることも否定できないので、ナンセンスの一言で済ませられない部分もありますね」
私が後悔したというのはこういった道へ進んでしまう人のために、もう少しネットでの情報量を増やしておけば良かったということです。前述の話は、「占いなどでは、とても簡便な答えが求められているように感じますね」という質問への回答であり、このスピリチュアル、占いにも言えると思いますが、大田さんは最後にこうまとめていました。
大田俊寛(宗教学者)
「(略)歴史的な目で見ると、近代というのはとても特殊な時代に思われます。(中略)人口が膨大に膨れ上がり、その人口を支えるための政治的・経済的システムが、ここ 100~200年の間に急速に複雑化しました。そして、誰も社会の全体がどうなっているのか分からないという、前代未聞の状況が成立してしまった(略)」
「社会がどのような仕組みで動いているのか、そこで生じるさまざまな問題にどのように対応するべきなのかといった事柄に答えを見出すことは、実際には非常に難しく、また当然そこから、「誰か答えを教えてほしい」という社会的欲求が出てくることになります。
そして、そうした欲求に答える存在として、「私が答えを教えてあげよう」と称する知識人が輩出され、それと並行する形で、結局のところ人類の行く末はハルマゲドンかユートピアかだという、オウム的な二元論も生まれてきたのです。
しかし、複雑な問題や状況に対して、安易な答えを与えることや、それらを単純な二元論にすり替えることは、私はすべて虚偽であると考えています」
二元論に陥いるな、単純化するな…というのは非常に私に近い考え方で、繰り返し書いてきました。
学問とか、分析とか、研究とか、記事とか、それから私の文章とかまで言えると思いますけど、そういったものは本来物事を単純化したり、類型化したりする性質を持っています。それは物事をごちゃごちゃとそこにあるままでなく整理するということで、何かを理解できるようにするためには必要な作業です。
ただ、あまりに単純化し過ぎると、それもまた本質から遠ざかり、理解の妨げになるどころか、大きく間違った答えへと突き進むことになります。前回の
中沢新一とオウム真理教のユダヤ陰謀論で見たように、アーレフの人たちは地下鉄サリン事件を考えないようにして目を背けているようですが、そんな風に都合の悪い情報、しかも根幹となる非常に重要な情報をシャットアウトしていたら、当然間違えてしまいます。
物事を理解するってのはたいへんなことですけど、それが当然であり、仕方のないことなんです。私もわからない、現時点では何とも言えない…ということはしょっちゅうありますが、大切な部分を飛ばして結論だけ決めてしまうというのは明らかに間違いでしょう。
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