2018/10/16:
防災設備に金をかけろ!という主張が短絡的である理由
震災復興でそのまま街を復元してはならない理由
津波で浸水した地域を人に使わせないようにする必要がある
藤間功司・防衛大学校教授「防災に『魔法』のようなものはない」
2018/10/16:
完璧な防災・災害対策は不可能 地震・津波・台風・高潮・火山の噴火など
●防災設備に金をかけろ!という主張が短絡的である理由
2018/10/16:もともとは、「復興特需に頼るのは危険、地震の津波対策に完璧はない」という書いていた投稿。このうち「復興特需に頼るのは危険」の方は、
寄付・補助金が悪い理由とは? エコポイント・エコカー減税・公共事業・スポーツチームへの税金投入などにまとめました。
2012/3/26:
2万人の死者で済んだことはむしろ恵まれていた? 防災学者が危ぶむ「魔法の津波対策」が語られる世相(ダイヤモンド・オンライン 2012/3/6 吉田典史 [ジャーナリスト])では、藤間功司・防衛大学校教授が堤防や防潮堤について、以下のように説明していました。
「堤防の中には1960年前後に完成したものがあり、これらは震災発生時に50年ほどの月日が経っていた。10数年後に今回と同じ規模の地震や津波が発生していたら、堤防の老朽化が進み、一層脆くなっているであろうため、被害は一段と大きくなった可能性がある。死者などは、現在より増えたかもしれない」
ダム事業などもそうなのですが、こういう建築物って一回作って終わりじゃないはずで、いったいどれくらいの期間を想定しているんだろう?と気になっていました。
あらゆる堤防などの予算は削るな、作れと言っている人がいますけど、老朽化が進んだときに再び作らなくてはその防災計画は破綻します。老朽化のたびに予算を計上し続けるということを考えると、当然現実的な有効性を考えて取捨選択されるべきです。
そうでもなくても、予算も時間も有限なのです。本当に役立つものを優先せねば、それもまた人命軽視に他なりません。どうもそこらへんの考えが足りない人たちがいる気がします。
●震災復興でそのまま街を復元してはならない理由
作者が震災発生以降の議論で問題を感じるものは何かと尋ねると、宮古市に1957年に完成した陸側の堤防の例を挙げていました。
「当時からこの堤防を造ったとしても、たとえば、明治三陸地震(1896年)のときのような津波が押し寄せたら、堤防を乗り越えてくると言われていた。少なくとも、建設省(現、国土交通省)や宮古市で防災に関わる職員らは、そのことを理解していた」
「いつからか、事実が間違って解釈されてしまった。この地域では、『津波は堤防を乗り越えない』と受け止められるようになっていった。昨年の震災では、その思い込みにより、犠牲になった人がいる可能性がある」
「私は、人間とは忘れやすい生き物ということを踏まえ、防災を考えるべきと思う。たとえば、可能な限り高台への住居の移転を進めたほうがいい、と官僚や地元の自治体職員らに助言している。今回の震災で浸水した地域に再び住むことになると、いつかまた、同じことを繰り返しかねない」
●津波で浸水した地域を人に使わせないようにする必要がある
そして、「高台移転は土地の所有権の問題なども絡み、スムーズに進まない」との認識を示した上で、以下のような話をしていました。
「浸水地域に住むことは、大きな津波が押し寄せたときに、たとえば、警察、消防、自衛隊を始め、他の地域の自治体などがその人たちを救うために来ることを意味する。そこには、公的な資金が投下される。浸水することがわかっているにもかかわわらず、同じところに住むならば、その方々には一定の額の税金を予め支払っていただくようにしておくことを、検討したらいいのではないか」
藤間さんが、自身の考えを官僚らに話すと、以下のような回答が返ってきたという。
「住民が浸水した地域に住むと、税金の税率を高くし、高台に上がると税率が下がるようにする政策は作れる。だが、政策はそのようなムチではなく、アメが有効。たとえば、浸水した地域に企業を誘致する。その企業には、防災計画などを事前に提出させる。そして住民が、企業が密集する平地よりも、高台に住む方がいいと考えるように仕向けるほうが賢明だ」
ただ、作者は、人が忘れやすい生き物という性を踏まえていないと指摘。進出した企業の上層部は、数十年後には震災を忘れているだろうとしていました。一方、藤間さんは、高台への移転を進めることと並行し、浸水した地域を含め、平地を有効活用することを提言している。
「たとえば、陸前高田市のように町そのものが破壊されたところは、国立公園などにしていくことも検討されていい。高台に移転した住民がかつて住んでいた地域に戻ろうとしても、なかなかできないような政策をつくっていくことが大切だ」
●藤間功司・防衛大学校教授「防災に『魔法』のようなものはない」
さらに、"防災に「魔法」のようなものはない"という話がありました。
藤間教授は防災を考える際、「『これさえすれば住民の命は守られる』という魔法のようなものはない」と語っている。私は、これを意味が深い言葉だと思う。
震災の直後、被災地で「これは問題がある」と感じたのは、次のようなものだった。気象庁による津波警報、防災無線、大規模な停電への対策、警察や消防の連携、消防本部職員と消防団員の意思疎通、自衛隊を中心とした警察、消防、海上保安庁などの救難体制などだ。特に、住民らの実践的な避難訓練などには大きな課題が残ったと思う。
藤間教授が説くように、今後は各々の防災対策のレベルを上げていくことが求められるのだろう。それは時間がかかり、難しい試みなのだろうが、「魔法のようなものはない」と受け止め、粘り強く取り組んでいくべきではないだろうか。
被災地のまちづくりは辛い話で、その地域に住まない人だから勝手なことが言えるのだと言われそうですが、私も以前書いたように、元のままの町を作ることは申し訳ないですけど支持できません。
「もう一度あれだけの犠牲者を出しても良いと言えるか」と問われて、「良い」と言える人はいないでしょう。犠牲者をできるだけ少なくする努力は欠かせません。
●完璧な防災・災害対策は不可能 地震・津波・台風・高潮・火山の噴火など
2018/10/16:上記の記事を思い出すニュースがありました。"【特集】「津波来ても大丈夫」と聞いていたのに…台風で家も車も浸水被害に MBS 10/12(金) 12:23配信"というものです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181012-10000002-mbsnews-l27&p=1
兵庫県芦屋市の南芦屋浜は、人工的に造られた島で周囲は海に囲まれています。兵庫県が地域整備事業としてニュータウンを開発していて、海に面した眺望が人気の住宅街には現在約2000世帯、5000人が暮らしているといいます。
ところが、関西を縦断した台風21号の影響で、高潮が防潮提を軽々と超え、この住宅地へと迫りました。結果、床上浸水17軒、床下浸水230件という大きな被害に。台風による強い風が引き起こした高潮は防護柵を破るだけではなく、神戸港から流出した複数のコンテナまで運んでくるというひどいことになりました。
ただ、住民たちは住宅を購入する際、「この地域はさまざまな水害対策がとられているため津波が来ても大丈夫だという説明を受けた」と口をそろえているとのこと。兵庫県の公営企業が地域整備事業として造成した人工島であり、「本当に大丈夫なのか?」と県に問い合わせたところ、担当者ははっきりと、「高潮による被害はない」と説明したと訴える人もいました。
記事では、この兵庫県が問題としており、実際その通りだと思います。ただ、私はそもそも地震・津波・台風・高潮・火山の噴火などの災害で、完璧な対策は不可能であるということも強調したいです。最初にも書いたように、高い防潮提に税金を投入せよ!では、完璧な対策にはならないんです。
あと、私が気になるのは、国や自治体は防潮提みたいな派手な公共事業には喜んでお金を使う一方、被災者の支援や地道でも命を救える改善策にはお金を使いたがらないということ。大型の公共事業みたいに派手なものの方が国民が喜んで選挙で勝てるからだと思うのですけど、人命軽視であり、支持できません。
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