2012/3/30:
●落とし物の結婚指輪、ネコババしないどころか持ち主探し
●全然諦めない…結婚指輪の持ち主探しが頑張りすぎですごい!
●苦労して返したのに、謝礼すら拒否「指輪を戻せただけで満足です」
●50年以上エドガー・アラン・ポーの墓参りを続ける謎の男
●知らない方が良かった話?謎の男とポー記念館館長は「共犯関係」
2021/02/12:
●親切すぎ…53年前になくした財布が戻ってきた!と喜びと驚き
2021/07/02追記:
●日本最古じゃないと判明した日本最古の時計台、正直に告白する 【NEW】
●落とし物の結婚指輪、ネコババしないどころか持ち主探し
2012/3/30:閉鎖した海外ボツ!Newsに載っていたこぼれ話系のいい話をふたつ。1つ目は、「指輪物語」(07/31/2004 10:34 )と題されていたものです。イギリスのミドルトンに住むポール・ウォーカー(23)さんが、世界旅行中のオーストラリアのグレートバリアリーフでダイヴィングをしていたとき、海底で指輪を発見しました。
「誰かがサンゴ礁に光るものが見えると言ったんだ。それでもう1度、潜って探したところ金の結婚指輪を見つけた。指輪には新郎新婦の名前と結婚した日付が刻まれていた。……そしてなぜか、この指輪を元の持ち主に返すことこそが、オレの運命のように思えてきたんだ 」
友人らはネコババするようにアドバイスしたものの、これを拒否しています。それどころか持ち主探しを始めました。「友人たちは、持ち主は絶対に見つからないから、売って金にしちゃえよ、と唆すんだ。でも絶対に持ち主に返したかったんだ」と言っていました。
●全然諦めない…結婚指輪の持ち主探しが頑張りすぎですごい!
ダイヴィングから陸に戻ると、ポールさんはすぐさま、ホテルなどの関連しそうな施設・組織に、指輪をなくした人間の情報を知らないか、片っ端からeメールを送りました。しかし手がかりはなし。オーストラリア本土の警察にも連絡してみたが、こちらも空振り。しかし、これでは全然諦めません。なんとオーストラリアの宝石店に指輪を持っていき、鑑定までしてもらっています。その結果、指輪はおそらくアイルランドで造られたものだろうとわかりました。
翌年、イギリスに戻ったポールさんは、親切な行いをする人間を援助するウェブサイト《www.joinme.co.uk》の助けを借りながら、結婚記録を洗い始めます。ネットで活動しているうちに、ある人間が、アイルランドでもっとも人気のあるラジオ番組、RETラジオ《ゲリー・ライアン・ショー》にコンタクトを取ってみれば、とアドバイスしてくれました。
興味を持った番組側はポールを番組に招待、そこで彼は指輪を見つけた経緯を話し、持ち主に名乗り出るよう訴えました。この放送が決め手となり、新郎の従兄が放送を聴いていて、本人に知らせました。指輪の持ち主は、アイルランドのブレッシントンに住む技師のデクラン・オローク(23)さんのものでした。
彼と妻のアントニネットさんはポールさんが指輪を見つける1月ほど前、グレートバリアリーフに新婚旅行に行き、泳いでいるうちに指輪を落としてしまったのだとのこと。
●苦労して返したのに、謝礼すら拒否「指輪を戻せただけで満足です」
デクランさんは、「とても信じられなかった」と言っていましたが、そうでしょうね。
「指輪をなくした時、絶対に取り戻すことは不可能だと思ったよ。従兄から電話がかかってきて、ラジオであんたら夫婦の名前を聞いたよ、と言うんだ。従兄は、指輪の持ち主がわたしだって確信していたけど、誰かが指輪を見つけたなんて、とても信じられなかった」
そして、この話は最後まできれいです。デクランさんはポールさんに電話をかけ、指輪を観つけてくれたことを感謝し、俺に自分にできることならなんでもする、と申し出ました。しかし、ポールさんは「あなたに指輪を戻せただけで満足です」として、見返りも求めなかったそうです。
●50年以上エドガー・アラン・ポーの墓参りを続ける謎の男
もう一つは「ポーの墓を訪れる謎の男」(2003年1月20日)の話。「モルグ街の殺人」「アッシャー家の崩壊」などで知られるアメリカの小説家エドガー・アラン・ポーの墓は、墓はメリーランド州ボルティモアの墓地にあります。この墓には、彼の誕生日である1月19日未明になると毎年、1人の男が現れるそうです。
黒っぽいフードで顔を隠したその男は深夜、墓地に忍び込み、深紅の薔薇3本と半分ほど飲んだコニャック「マーテル」のボトルをポーの墓前に置くと、再び闇の中に消えてゆく……。ポー記念館のジェフ・ジェローム館長によると、《謎の男》の訪問は、ポーの死去100周年に当たる1949年から、なんと54年間も絶えることなく続いているといいます。
墓に残される3本の薔薇にも意味がありそうです。ポーと同じ墓に埋葬されている妻のヴェージニア、それに義理の母、マリア・クレムに捧げられているのだろう、とジェロームさんは推測。一方、飲みかけのマーテルは全然理由がわかりません。
そして、ジェロームさんをはじめだれも《彼》の正体を知らないし、その密かな儀式を目撃した者もいないとのこと。まさに「謎の男」です。
ただし、ずっと同じ男性ではないようです。1976年から、この儀式をウォッチしているジェロームさんによると、《謎の男》は一度、代替わりしているとのこと。993年、墓に「松明は引き継がれた」という暗示的なメッセージを記した紙片が置かれていました。さらにその後、初代が1998年に死亡し、彼の息子たちが《伝統》を引き継ぐことを伝える手紙も受け取ったといいます。
●知らない方が良かった話?謎の男とポー記念館館長は「共犯関係」
これだけでもおもしろいですし、むしろこの後は紹介しない方が良いのかもしれませんが、ジェロームさんは「教会から出て、彼の正体を暴くなんて、かんたんなことですよ。でも、ミステリーはミステリーのままにしておきたいんです」と言っています。わからないのではなく、敢えて調べていないということなんですね。
でも、すてきな共犯関係で、なんか粋な感じがしません? 海外ボツ!Newsでは、以下のように書いていました。
極めて用心深い《謎の男》と決して彼の身元を暴こうとしないマニアの《共犯関係》はなかなか粋である。推理小説の創始者であるポーを偲ぶのにこれ以上ふさわしい儀式はないかもしれない。
……《彼》は、今年もやってきた。ジェロームさんたちが夜明け前にポーの墓に行くと、例年通り、3本の薔薇と飲みかけのマーテルが置かれていた。
●親切すぎ…53年前になくした財布が戻ってきた!と喜びと驚き
2021/02/12:指輪の返却と似た話があったので追記。2021年2月7日に、
53年前に南極でなくした財布、持ち主の元に返る:AFPBB Newsという記事が出ていました。米海軍の気象学者だったポール・グリシャムさん(91)に、53年前に南極でなくした財布が届けられて喜んだという話です。
<グリシャムさんは、自分が財布をなくしたことも忘れていたが、親切な見知らぬ人から財布を郵送すると連絡を受けた。2014年に南極のロス島(Ross Island)にあった観測基地が取り壊された時、幸運にも財布が発見された。グリシャムさんは1967年10月から1968年11月まで同基地で気象予報士として勤務していた。
グリシャムさんは、財布を持ち主に返すために多くの人が大変な手間をかけてくれたことに、「心底驚いた」という。まず、南極調査隊長が元職員の一人に連絡をした。この人物は以前、店で販売されていた海軍のIDブレスレットを無事に本来の持ち主に返したことがある。元職員とその娘は退役軍人団体に連絡し、同団体はグリシャムさんが所属していた米海軍気象協会(Naval Weather Service Association)に問い合わせた。そしてついに1月30日、米カリフォルニア州北部のサン・カルロス(San Carlos)にあるグリシャムさんの自宅に、良好な状態で財布が戻ってきたという>(改行は変更)
財布はロッカーの後ろに落ちていたもので、海軍の身分証、運転免許証、生物・化学兵器の攻撃を受けた場合の指示を記載したカード、そしてビールの配給カードが入っていたといいます。こうした内容に「金はあまり入ってなかった」というつまらない反応をしている人がいましたが、もう少し素直な反応できないんですかね。
●日本最古じゃないと判明した日本最古の時計台、正直に告白する
2021/07/02追記:「いい話」と話題になっていた<「日本最古じゃなかった」正直に言うべきか、どうしよう…>(2021年6月28日 19時51分 NHK)というニュース。兵庫県北部の豊岡市出石町にある「辰鼓楼」(しんころう)という時計台が、か“日本最古の時計台”ではなかったと判明してしまったという話でした。
<現存する日本最古の時計台として知られる、国の重要文化財、札幌市時計台が動き出したのと同じ年(引用者注:明治4年)です。市の教育委員会が建てた案内板には「札幌時計台とともに、日本最古の時計台として親しまれている」の文字が刻まれています>
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210628/k10013103701000.html
出石名物の皿そば店の店主、渋谷朋矢さんは「時計台は、いつから動き出したのだろう」を興味を持って調査。もともと地元の歴史や文化について調べることが大好きだったとのこと。記念日がわかれば「イベントもできる」と考えたようです。この調査自体がおもしろい話でした。
<渋谷さんはまず、「出石町史」を調べました。しかし、何も載っていません。続いて新聞を調べようと地元の図書館を訪ねましたが、残念ながら収蔵されていたのは明治34年以降のもの。(中略)
さらに時計を寄贈した医師の子孫にも問い合わせましたが、手がかりは得られませんでした。町に2軒ある時計店を訪ねても「うちは明治時代には商売していませんわ」との答え。最後の手段にと、町内会の広報紙に「情報を求む」と呼びかけましたが、全く反応がありませんでした。
しかし、ついに手がかりが見つかります。渋谷さんが訪ねたのは、出石町内でいちばん古い弘道小学校。出石藩の藩校の流れをくみ、およそ250年の歴史があります。校舎はかつて、「辰鼓楼」の隣にありました。(中略)校長がひと言。
「うちに古い文書が残っている」そう言って校長室の金庫から取り出したのは、明治時代の学校の日誌です>
全部で12冊あり、そのうち時計が設置された明治14年のものは2冊。これによって、時計が動き出したのは、9月8日と確認できました。すごいですね。安倍政権で公文書廃棄や軽視が相次いだことを意識した感じで、こういった記録はやっぱり大事にすべきだよね…といった反応も出ていました。
このように時計が動き出した日がわかったのは良いのですが、札幌の時計台が動き出したのは8月12日であるために、日本最古の時計台ではないことが確定。町内のみんながどう受け止めるか、ちょっと心配だったといいます。しかし、町の人も歓迎。これからは堂々と「日本で2番目に古い時計台」と名乗っていく…という「いい話」です。
ただ、私は記事の最後らへんを見てずっこけました。そこには、<(引用者注:新しいポスターには)正直に「日本最古年の時計台」と書かれています>との記載が…。この表現は読者の誤解を期待するもので言うほど正直ではなく、同様の感想がいくつかありました。正直というよりは、むしろかなり悪質ではないかと思ってしまいます。
感想を見ると、ほとんどの人は「正直」「いい話」というもの。長い記事なので最後まで読まなかったのか、「日本最古年」は嘘ではないのでOKだと思ったのかは不明です。意見が分かれるところなのかもしれませんが、意見が分かれる時点で微妙だと言わざるを得ません。スッキリしない話になってしまいました。
この話については道徳の教科書に載せいたという声もあったのですが、ここらへんの都合が悪い部分を隠した捏造美談として紹介されそうなので、やめておいた方が良いと思います。むしろ誤解を招きかねない「日本最古年」を名乗ることが正直と言えるかどうか…の方が、いい道徳の教材になりそう。そういう問題意識で載せるんでしたら、賛成しますけど…。
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