●法隆寺の七不思議の真実 ~蜘蛛の巣、雀の糞、雨だれの跡は?~
2012/4/7:
二つの法隆寺の七不思議 ~法隆寺には蜘蛛の巣が張らないなど~を書いたときに、その不思議の実際のところについては敢えて記述を避けました。夢を壊さないように…というよりは、実際に法隆寺に行った機会に自分で確かめた方が楽しいだろうなってことでした。
でも、こうやって分割して書けばそれで済むじゃん!と気づいたので、ここで皆さんの調査結果を紹介してしまいます。「楽しみを奪わないで!」って方は、
二つの法隆寺の七不思議 ~法隆寺には蜘蛛の巣が張らないなど~の方だけ見てください。
大きな地図で見る【法隆寺の七不思議】一. 法隆寺の伽藍は、蜘蛛が巣を作らず、雀も糞をかけない。
これは結果が目に見えいているかな?と思いきや、私は期待していたんですよね。たとえば、構造的な工夫をしているだとか、蜘蛛や鳥の嫌がる匂いを出しているだとか、ものすっごい一生懸命毎日掃除しているだとか、何らかの対策がなされているのでは?と期待したのです。
ということで、やろうと思えばできそうなものだったのですが、そういった工夫のようなものは全然なく、無残にも蜘蛛の巣や鳥の糞の餌食になっているようです。たとえば、
L08119の部屋(学校の課題で作ったサイトだそうな。私もやりました)の法隆寺というエッセイでは、「実際には鳥の糞が大量に見られ、蜘蛛の巣もあった」という記述があります。
もう一つ、
建築探訪 ~「法隆寺(ほうりゅうじ)」その3(檜造りの菊池建設 スタッフブログ)でも、「蜘蛛が巣を張ったことがない・・・は、結論から言えば迷信」であり、「当たり前ですが、実際は蜘蛛の巣はあります。(笑)」とのこと。うーん、残念です。
なお、この「法隆寺の伽藍は、蜘蛛が巣を作らず、雀も糞をかけない」という七不思議については、「虫や鳥ですら聖徳太子のありがたさをわかっていてはばかっているのだ」という意味があるという説がよくセットで書かれていました。実際には、虫や鳥はわかっていない模様。そりゃそうだという話ですけどね。
【法隆寺の七不思議】二. 洪水が起きても、南大門の前の鯛石(たいいし)という大きな石より上には水位が上がらない。
これは実際をどうこうとか調べた人はいないかもしれません。発見できませんでした。単なる言い伝えという話です。ただし、先の
建築探訪 ~「法隆寺(ほうりゅうじ)」その3(檜造りの菊池建設 スタッフブログ)では、"この位置の標高は海抜51.1メートル、大和川堤防は44.6メートルで、標高差6メートル余りある"という情報が載っていました。
そりゃあ、確かに法隆寺まで水は来ないのでしょう。ただ、「鯛石(たいいし)という大きな石より上には水位が上がらない」という言い方は、鯛石のギリギリまでなら水が来たことがあるような言い方ですからね。逆に今度はそちらの話が嘘っぽくなってしまいます。
ちなみにここでは、以下のような話がありました。
<これは南大門の石段下にある、長さ2m×幅1mの魚の形をした踏み石のことを指します。一見すると魚の形には見えないのですが、法隆寺創建当時はもっと鯛の形をしていたのかもしれません。長い歴史の間に多くの人々によって踏まれるうちにこのような形になって行ったのかなぁ>
ともありましたけど、あれ?鯛石って形が鯛っていわれでしたっけ…? 私の理解では「魚(水)はここまでまでしか来ないという意味」だけだと思っていました。だから、石は魚の形じゃなくて良いですし、犬でも猫でも何でも良いのです。魚好きでちょうど良いですし、猫だったらおもしろかったのにな…と、残念に思います。
【法隆寺の七不思議】三. 五重塔の上部には、大鎌が四本刺さっている。
これは本当。…と言うか、他と雰囲気が違っていて、ミステリアスさはやや劣りますね。ただ、本当の話であるはずなんだけど、柵がしてあって近づけなくてそんなもの見えなかったという、別の残念な話はありました。なんだか残念な話ばかりになっていますね…。
↓金堂の隣
大きな地図で見る【法隆寺の七不思議】四. 隠された三伏蔵があり、大事のときのために財宝が収めれられている。
これについては、実際に一つ見つかったという話は前回書きました。なので、ちゃんとした言い伝えと言えるかもしれません。とはいえ、見つかったものも中はまだ開けられていないので、開けてみてがっくりってのはありそうな感じ。そんな結果でも大丈夫なように、中を開けるときに立ち会う権利をオークションを売るという商売を私は法隆寺の皆さんに提案します。
ああ、そうだ、ついでに言うと、他にも伏蔵があるってのも嘘臭いですよね。私の生きているうちに判明するかどうかはわかりませんが、調査が進めば真偽をきちんと判明できる七不思議です。こ
【法隆寺の七不思議】五. 因可池(よるかのいけ)の蛙は、片目である。
奇形の子はときたま生まれたり、後天的にそうなることもありそうですので、これはなんとかいけそうな感じがします。ところが、
前回書いたようによく知られている法隆寺の七不思議は「一部のカエルが片目ではなく全部片目」との理解の模様。ハードル上げすぎで、自分で自分の首を締めています。
ということで結果は見えているのですが、先の
L08119の部屋の方は、そもそも「因可池は見つけられなかった」とのこと。とりあえず、「因可池は西院伽藍と東院伽藍を結ぶ石畳の大路の奥にある。その付近には昔、太子が住んでいた斑鳩宮があった」といいます。
場所については
教えて!チャンス - 法隆寺の「因可の池」とはどの池ですか。で質問している方もいて、こちらでは"歴史的裏付けはないようですが、お寺では、聖徳会館前の池を「因可の池」として伝承しているようです"との回答がありました。
そして、質問者がさらに「回答者様の回答をもとに調べてみますと今は池はなく、湿地になっている」というお話です。でも、湿地なら蛙は今でもいるかもしれません。
↓池はあるんですけど、それじゃないみたいです、勘違い。聖徳会館は外れの方でした。
大きな地図で見る【法隆寺の七不思議】六. 夢殿の礼盤(らいばん)の下が汗をかく
既に書きましたっけ? この七不思議は汗をかくマリア像みたいなノリのものだなぁと思いました。
前回も書いたように、毎年2月に礼盤を日光に当て、陽の光により帯びる水気の量によって豊作か凶作かの占い(夢殿のお水取り)を行うわけで、これは濡れていないと困っちゃいます。
ところが、
法隆寺の七不思議(斑鳩の里から平和の声)の方が職員に聞いたところ、「実際はよく乾いているので・・・・・」と答えられたそうです。夢も希望もありませんね。
ちなみに最初に書いた
L08119の部屋の方は、「期間外だったので観ることはできなかった」とのことで、見学できるとは限らないみたいです。
【法隆寺の七不思議】七. 法隆寺には雨樋がなく雨だれが落ちるが、地面にその跡はつかない。
雨だれ跡は落ちるところの工夫次第で行けそうな気がするのです。でも、「地面」って書いているんだから、普通の土じゃないと反則なのかな? この言い方だと、やっぱり無理かもしれませんね。
これは再び
建築探訪 ~「法隆寺(ほうりゅうじ)」その3(檜造りの菊池建設 スタッフブログ)から。とりあえず、金堂、講堂、五重の塔など、法隆寺のどの建物にもやはり雨樋はないようです。そして、さすが建築屋さんという視点で"屋根の面積が大きく、雨が降れば、大きな雨だれが落ちるのですから、普通は雨だれの跡ができそうなものです"としていました。
で、実際どうなのかと言うと、"実は法隆寺では、雨だれが落ちる部分に境内の砂利石よりも大き目の石を敷き詰めているので、雨だれの跡が確認しにくい"とのこと。あらら、これはズルですね。やっぱり私の書いたような物理的な工夫があったようです。
しかしながら、この対策をもってしても、「よく見れば大き目の石が敷いていない場所では確認できます」とのこと。結局、この七不思議も事実ではない…という結果になってしまったようです。
なお、この七不思議に関しては、"聖徳太子がこの法隆寺を創建する際に、場所をどこに定めようかと考えた折、「雨だれも地をうがつことのないくらいに固い地盤の地を選んだ」という、これもまた太子の思慮の深さを称えた伝説"という解説もありました。他では見かけなかった解説です。
以上ですが、
L08119の部屋の方は「実際に行ってわかったことは、この七不思議が作り話だということでした」と結論づけていました。そして、伝説に関しては、本当かどうかはわからないけど、以下のような説を聞いたそうです。
<現地のガイドさん曰く、
江戸時代のころ、法隆寺に拝観する人が多くなり、ガイドを雇う人も増えた。
そこで、面白い話があればもっと拝観する人が増えるだろう、
ということで作られたのがこの七不思議>
これも事実かどうかはよくわかりません。ただ、観光をおもしろくするために作られたのだとすれば、狙いはかなり成功していると言えるんじゃないでしょうか…。ネットで確認している方が何人もいる他、私もこうやって一生懸命皆さんの調査結果を集めたわけですしね…。
【本文中でリンクした投稿】
■
二つの法隆寺の七不思議 ~法隆寺には蜘蛛の巣が張らないなど~【関連投稿】
■
聖徳太子の作った法隆寺は焼失している ■
鎌倉幕府成立は1192年じゃなくて1185年 ~室町幕府も変化?征夷大将軍は無関係~ ■
士農工商とは ~身分制度じゃない?~ ■
光源氏の女性遍歴 ~光源氏の恋人たち12人の紹介~ ■
雑学・歴史についての投稿まとめ
Appendix
広告
【過去の人気投稿】厳選300投稿からランダム表示
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
|