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大阪府内のパチンコ景品交換所に勤務する女性たちでつくる三つの労働組合(組合員計約560人)が15日、初の24時間ストライキに入った。現在の時給1010円から同1100円への賃上げを求めている。妥結しなければ今後もストを打つ構えだ。 女性たちは財団法人・大阪障害者母子寡婦福祉事業協会(大阪市中央区)に雇われている。多くがシングルマザーや寡婦、障害者だ。協会は寡婦らの雇用の場を作る目的で1961年に設立され、パチンコ業界でつくる大阪府遊技業協同組合から、府内にあるほぼ全店の景品買い取り業務を請け負っている。 労組によると、2004年までは繁忙手当などを含めて正規職員で月22万円程度の収入があった。しかし、遊技業協同組合から福祉事業協会に支払われる手数料が引き下げられ、月収は18万円程度に。(中略) 三つの労組の上部組織は連合、全労連、全労協に分かれているが、今回は一斉ストに。 |
大阪のスト、影響なかったようだと情報いただきました。今までデモはたまにありましたがストははじめて聞いた話です。大阪の手数料が崩壊してから、買い場のスタッフのこういう動きはとても増えています。 POKKAYOSHIDA 2011/07/16 12:30:41 特景手数料の問題は「値下げしてよ」という声は主にふたつの声を呼び込みます。ひとつは大阪のストのようなスタッフの給料の話。もうひとつは禁断の「そういうことなら不採算店舗から撤退させろ」という卸・買い場連合の話。 POKKAYOSHIDA 2011/07/16 12:32:20 これは個人的意見ですから異論もあるかもしれませんが、特景手数料というのは「自店の採算で考えるべきものではない」と思います。三店方式のキワドイ立ち位置を知れば知るほど「地域共通スキーム」がベター。どういうスキームが良いかは議論を尽くすことは前提ですが。 POKKAYOSHIDA 2011/07/16 12:33:38 |
重要なことは「自店の採算」ではなくて「不採算店舗のコストを採算店舗がどこまで面倒見るか」という話。手数料コストを極限まで軽くして、不採算店舗が換金不能となれば、ぱちんこ「業」に対する不文律が崩壊します。どこへ行っても換金できるからこそのぱちんこ。それを合理化が崩壊させる。 POKKAYOSHIDA 2011/07/16 12:36:12 |
大阪が暴排と福祉を掲げて三店方式を府警本部に認めさせたのは業界の金字塔。それに金地金を乗っけた東京都も同じ椿事(引用者注:ちんじ。思いがけない大変な出来事)。だけど、その金字塔・椿事があるから、こういったややこしい問題を内包したのも事実。だから俺たちは向き合わなきゃ。自店採算で三店方式を論じるな、と俺はいつも思うんです。 POKKAYOSHIDA 2011/07/16 12:59:16 |
@POKKAYOSHIDA (中略) 大阪の景品交換所は1963年のニュース映像でも確認できますが、かなり昔から障害者協会が業務を行っているらしいですね。そう言えば桜井誠氏は街宣で「交換所は朝鮮人ばかり」と言っていましたが、大阪では障害者は朝鮮人なんでしょうか? (フォロワー) 2011/07/16 11:40:26 @(フォロワー) 昔というよりも1961年から福祉モデルではじまったので、はじまりからずっとですね。国籍は知りません。「朝鮮人ばかり」ということはないと思いますが、詳しくはわかりません。 POKKAYOSHIDA 2011/07/16 11:42:05 @POKKAYOSHIDA 61年ですか?動画制作でちょうど当時の記録映像を見ていたので、自分的にタイムリーな話題でした。景品交換は昔から暴力団資金になってましたが、地方ではそれぞれの戦いがあったみたいですね。パチンコ史は知れば知るだけ面白い。 (フォロワー) 2011/07/16 11:45:41 @(フォロワー) さま。今に続く三店方式の換金とは、歴史的事実として「1961年に大阪ではじまった」です。大阪府警は暴排と福祉の社会的収支をプラスと判断して、これを認めました。警察庁ははじめ大阪府警の方針に反対しましたが、後に大阪方針を黙認。これが事実です。 POKKAYOSHIDA 2011/07/16 11:48:49 |
> これを見る限り最初期からパチンコ店への景品納入に暴力団が絡んでいたので > それの排除のために(なし崩し的とはいえ)三店方式の換金を大阪府警が認めて > お役所の事なかれ主義・前例踏襲で問題を先送りにして今に至ったようです。 |
歴史 * 1925年頃に大阪で横型コリントゲームを改良したものがパチンコの発祥との説があるが、専門家によると実際にはヨーロッパから輸入されたウォールマシンが日本で広まったものがパチンコの起源であるとされる。 * 1930年、風俗営業第1号店が名古屋で許可されパチンコ店が開店。 * 1936年、高知でパチンコが大流行、半年で35店が開店。 * 1937年、日中戦争勃発。 o 戦時特例法によりパチンコ店の新規開店が禁止される。 o 現在のパチンコと同じ鋼球式のパチンコが登場。 * 1941年、太平洋戦争勃発。 * 1942年、戦時体制により、パチンコは不要不急産業として全面禁止。パチンコ店は閉店され、台は処分される。 * 1946年、禁止されていたパチンコが復活する。 * 1948年、 o 風俗営業取締法(改正前の風営法)制定により、パチンコは許可営業となる。 * 1951年、 o 法改正により18歳未満の入場が禁止される。 * 1953年、 o 第1期黄金時代到来。パチンコ店387,664軒にのぼる。製造メーカーは約600社。 o 循環器第1号機(高速度連射可能機:160~180発/分の玉が自動的に発射)開発。これによりパチンコブームが加熱し、射幸心をそそるとして後の連発禁止令の要因となる。 * 1954年、 o 東京都公安委員会が「連発式パチンコの禁止」を決定、全国に広がる。 o 豪快不況が到来、全国軒数も半減。 * 1965年、パチンコ店1万軒を越える。 |
戦前から戦後まもない時期まで普及したのは、今でも新世界に現存するスマートボールと同じような、純粋な娯楽としてのパチンコであった。それも現代の物価で言うところの100円単位で玉を買って景品にキャラメルを貰うような可愛らしい賭け事だった。 |
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