間に一つ
中野剛志VS岩田規久男 インフレターゲット論批判を挟みましたが、
日銀法改正論議と日銀の独立とデフレ・円高に続き、
デフレと超円高 (講談社現代新書)
(岩田規久男)と
円高の正体 (光文社新書)
(安達誠司)の関係第二弾です。
学者によって主張が微妙に違って入り組んでいるんですが、岩田規久男さんはリフレ派と呼ばれることがあります。
そして、このリフレ派は貨幣数量説を支持しているとされるようです。ただ、岩田規久男さんが貨幣数量説を支持しているかとなると、半分間違いくらいで怪しくなってきます。
私はインフレターゲット論にも懐疑的でしたが、一番受け入れられないと思ったのが、量的緩和から直接物価上昇へという流れです。これは過去のデータを見てもそうなっていないからという、至極単純かつ覆し難い理由です。
さて、岩田規久男さんはどう言っているでしょうあ?
まず、彼は
デフレと超円高 (講談社現代新書)
の114ページで「貨幣が増えれば、それに比例して物価が上がる」という説を「単純な貨幣数量説」としています。
しかし、彼の主張はこれとはまったく異なるようです。
岩田規久男さんが最初から「単純な貨幣数量説」を批判していたのか、転向したのかはわかりませんが、とにかく今はこの「単純な貨幣数量説」を支持しておらず、むしろ積極的に批判している場面すらあります。
たとえば127ページでは、貨幣供給が増えても雇用や設備の稼働率に依存するため、ただちには物価が上がるとは限らず、"「単純な貨幣数量説」は成り立たない"と書いています。
さらに"「単純な貨幣数量説」が成り立つのであれば、貨幣供給を増やしても、物価が上がるだけで、生産も雇用も増えない"としています。
これはちょっと極端な書き方ですが、とにかく完全否定です。
もう一つ、180ページでは第一次世界大戦後のドイツにおいてのハイパーインフレについて述べた場面でも、批判があります。
このハイパーインフレの終息時にも、紙幣の供給量は増え続けていたそうです。これは"「単純な貨幣数量説」では説明できない現象である"としています。「単純な貨幣数量説」では紙幣の供給量が増えれば、インフレも続くはずだからです。
じゃあ、何で終息したのかと言うと、
デフレと超円高 (講談社現代新書)
では、重要なのは人々の予想した期待だという説明でした。
ですから、人々に「金融政策のレジーム変換」を印象づけることができるかどうかが肝心、という主張なのだと思われます。
また、岩田規久男さんはしばしば量的緩和政策の批判として出される、今お金がジャブジャブに余っているということを認めています。
本文でもどこかにあったのですけど忘れたので「はじめに」の16ページ目を見ますが、"家計も企業もモノやサービスの支出を控えており、金余りだ"としています。
これは前述の「単純な貨幣数量説」が成り立たない原因でもあるわけですが、重要なのは飽くまでインフレ予想であり、インフレ期待が高まれば、自然とそういう余ったお金は使われるようになるよという理論です。
最初に挙げた二冊はコメントで同時に薦められたものの、ここらへんを安達誠司さんははっきり書いていなかったので、岩田規久男さんとは微妙に立場が異なる気がしました。
しかし、よくよく読みなおしてみると、安達誠司さんも似たようなことは書いていました。(岩田規久男さんのようにガンガン批判してないので最初思い出せませんでした)
それは
円高の正体 (光文社新書)
の130ページで、2002年からの量的緩和政策は飽くまで"適切な措置だった"としていますが、"景気は良くならなかった"ということを説明している場面です。
結局"投資を行うかどうか"は"個々の銀行の経営判断"であり、運用で収益を上げなられなくてもリスクよりも安全を取ったという説明です。
どうもここらへんはすっきりしないんですが、ともかく「日銀が人々に将来インフレ率の上昇に向かうだろうと予想させることが大事」という話は、ふたりとも主張しています。
これは逆に言えば、金融緩和しても信じて貰えない場合があるということです。
そういう信用次第で変わるものがあるのですから、単純な数量比で決まる値とは同時成立しないのは明らかです。
したがって、インフレターゲット論者は必然的に単純な貨幣数量説・量的緩和政策は間違っていると考えなければいけません。
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