2012/8/7:
●実はデマだった…ソ連が宣戦布告なしに北方領土に侵攻して占領説
●ロシアと北方領土、アメリカの立場 ソ連への戦利品って本当?
●ソ連と仲良くするな!アメリカが邪魔して難しくなった北方領土問題
●北方領土は放棄した…実は当時の日本政府もそう説明していた
●「四島返還を主張しなければ、沖縄も返還しない」と外相に圧力
●実はデマだった…ソ連が宣戦布告なしに北方領土に侵攻して占領説
2012/8/7:北方領土に関しては、
日本好き多い親日国?北方領土なんかいらない、ロシア人の本音 その考えの理由とは?というのも書いていますが、もちろん現在は日本とロシアの問題です。しかし、北方四島がソ連に送られたときは、なんと日本の問題でなく、主にアメリカの問題だったという話がありました。
個人的に信頼していない大前研一さんのあ季節なんですけど、この話が載っていたのは、
大前研一氏 北方4島は米国がソ連に“戦利品”として与えたという記事。保守派雑誌のSAPIO2012年6月27日号のものですね。
これによると、日本人にはいくつかの誤解があり、その1つが、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄し、宣戦布告なしに北方領土に侵攻して占領した、というもの。
この説明のうち、ソ連が1945年8月8日に日ソ中立条約の破棄を宣言したというのは事実。ただし、同条約に破棄や失効に関する規定はなかったとのこと。また、宣戦布告についても「日本がポツダム宣言を拒否したため連合国の参戦要請を受けた」として条約破棄と同時に在モスクワの日本大使館に行なったと主張しているそうです。
また、ソ連軍は日露戦争で日本が奪った南サハリン(南樺太)に攻め込んでいますが、北方領土を攻めたのはもっと後。千島列島(クリル諸島)の択捉島と国後島、色丹島、歯舞群島を占領したのは、日本が無条件降伏して大本営が正当防衛以外の即時停戦命令を出した15日以降のことだそうです。
●ロシアと北方領土、アメリカの立場 ソ連への戦利品って本当?
よりわかりやすいと思ったのは、この後の話。1945年2月にアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領、イギリスのウィンストン・チャーチル首相、ソ連のヨシフ・スターリン書記長によるヤルタ会談の協定(ヤルタ秘密協定)というのができています。
このときなんと、ソ連がドイツ降伏後3か月以内に日ソ中立条約を破棄して対日参戦する見返りに、サハリン南部をソ連に返還すること、千島列島をソ連に引き渡すことが決まっていたというのです。北方領土を含めた地域をソ連にあげることは、なんとアメリカのお墨付きでした。これが一番ショックですね。
ただ、この結果は比較的マシな結果だった可能性があります。終戦直後にスターリンは、ルーズベルトの後を継いだハリー・S・トルーマン大統領に、北海道を南北に分割して北半分をよこせと要求しています。しかし、日本をドイツのようにしたくないと思っていたトルーマンはこれを拒否。
大前さんは、「
北方4島はソ連が侵略したのではなく、アメリカが“戦利品”としてソ連に与えたわけで、日本は4島を失った引き換えに北海道の南北分割を避けられたとも言える」と解説していました。
前述の通り、大前研一さんはあまり信用していないのですが、「これは当時のアメリカの公文書に残っている明確な事実だ」とのこと。本当なんでしょうか。
●ソ連と仲良くするな!アメリカが邪魔して難しくなった北方領土問題
日本人にはいくつかの誤解があると書いたように、まだ他にも誤解があるそうな。これは、日本政府が「4島一括返還」を要求することになったいきさつだそうで、こちらにもアメリカの思惑があるというのです。
大前さんによると、実は4島一括返還は日本政府が自ら言い出したのではなく、1956年8月、アメリカのジョン・フォスター・ダレス国務長官が日本の重光葵外相とロンドンで会談した際に求めたも。
当時、日本政府は北方領土問題について歯舞、色丹の2島返還による妥結を模索していました。ところが、これにアメリカが横槍。アメリカとしては米ソ冷戦が深まる中で日本とソ連が接近すること、とくに平和条約を結んで国交を回復することは防がねばならないと考えていたといいます。
そこでダレス国務長官はソ連が絶対に呑めない国後、択捉も含めた4島一括返還を要求するという非現実的な案を重光葵外相に求めました。2島返還で妥結するなら沖縄の返還はない、と指摘して日本政府に圧力をかけたとされています。
それ以降、日本の外務省は北方4島は日本固有の領土、4島一括返還以外はあり得ない、というソ連・ロシアが絶対賛同しない要求が主流に。つまり、「
4島一括返還はアメリカの差し金であり、沖縄返還とのバーターだった」と解説されていました。
●北方領土は放棄した…実は当時の日本政府もそう説明していた
本当かいな?と気になって検索。ジャーナリストの
田中良紹さんの2010年11月 3日のブログが出てきました。
こちらではソ連参戦の流れがもう少し丁寧に書かれていますが、ほぼ同じなので省略。その後も戦利品云々の指摘はないものの、やはり似ていました。
こっちの方で気になったのが、日本が主権を回復した1952年にサンフランシスコ講和条約。実を言うと、この条約について、南樺太と千島列島の放棄が明記され、千島の中に国後、択捉が含まれると政府は国会で説明していたとのこと。つまりこの時点で
日本政府は国後、択捉を放棄していたということになります。これが事実だと日本側の今の主張に矛盾があるということになります。
●「四島返還を主張しなければ、沖縄も返還しない」と外相に圧力
また、ロシアとの交渉を支持する…と言っているものの、こちらでも「そもそも北方領土問題の端緒を作り、問題を難しくしたのはアメリカ」としていました。交渉しても「うまくいかない」とわかっていて、わざと言っているといったことも書いています。
ただ、サンフランシスコ条約が、前半と結構違うポイントとなっていました。サンフランシスコ条約は南樺太と千島の領有権をソ連に認めていたというのです。一応、当時既に米ソが対立していたため、この条約にソ連は署名してはいません。独立後の日本はサンフランシスコ条約を締結していない国々と個別に平和条約を結ぶ必要があり、ソ連と始めた平和条約交渉で結局ここが問題になってきます。
松本俊一、重光葵らが全権となって行われた交渉では、ソ連側は歯舞、色丹の二島返還では歩み寄る一方、国後、択捉を加えた四島返還には同意しませんでした。そこで松本、重光らは二島返還で交渉をまとめようと考えたものの、こちらもで「アメリカがそれを許さなかった」とされていました。前半と同じ説明ですね。
日本をソ連の「防波堤」に使おうとするアメリカは、ダレス国務長官が「四島返還を主張しなければ、沖縄も返還しない」と重光外相に迫ったというのも同じ。北方領土をソ連に与えたのも、返還交渉を難しくしたのもアメリカだとされていました。
先程「戦利品云々の指摘はありません」と書きましたが、「北方領土をソ連に与えたのもアメリカ」とはしています。国後、択捉の放棄を表記するサンフランシスコ条約を結ばされた時点で、アメリカにやられたって理解なんでしょうね。
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