元記事はリーダー論としていたものの、ビジネスに役立つ戦国武将の名言や逸話といった感じ。武田信玄、徳川家康、黒田官兵衛、小早川隆景の話がありました。
2017/06/15追加:日本人が嫌う黒田官兵衛の合理的な判断
●戦国時代の名言 武田信玄のリーダー論
2012/12/19:古いブックマークを整理していて見つけた
負け越さないくらいが一番強い 【特別対談】“天地人”火坂雅志氏と語る戦国リーダー論(前編)(鈴木義幸 2009年12月24日(木) 日経ビジネスオンライン)という記事。コーチングのトッププロである鈴木義幸さんが、NHK大河ドラマ「天地人」の原作者・火坂雅志さんとともに時代を超えて求められるリーダーシップについて論を展開したという話です。
その火坂雅志さんの座右の銘は、武田信玄のものだそうです。実は火坂雅志さんは「上杉謙信が本拠としていた新潟の出身」でしたので、武田信玄はあまり好きじゃなかったといいます。
ところが、仕事で書いてと言われて仕方なしに調べたところ、「この武将は大変な人間通ではないか」と"「惚れ込んでしま」ったとのこと。すっかり逆転です。
その座右の銘というのは以下でした。
「勝負の事、十分を六分七分の勝は十分の勝なり。子細は八分の勝はあやふし。九分十分の勝は、味方大負の下地なり」
火坂:勝負というものは、60%や70%の勝ちで十分なのだというわけです。80%勝てば更によさそうだけれど、そこまで勝つと逆に危うくなる。90%以上の勝ちとなれば完全勝利に近いですが、これは味方が大負けをする環境づくりにしかならないということです。
武田信玄は、勝利を六分、七分にとどめておけば、慢心せず、修正点を改めながら勝負を続けていけるということを、自らの経験から導き出したんです。
●失敗は成功のもとだが、成功もまた失敗のもとである
火坂雅志さんは7分を慢心のためと捉えていましたが、私は羽生善治さんの
将棋と経済の共通点1~いつか来る飽和点~を思い出しました。戦国時代で言うと、完璧にやってしまえばライバルに目をつけられて研究されてしまうという感じですかね?
仕事・ビジネスの名言2 「誰もやりたがらない小さい市場を狙いなさい」での、ブルーオーシャン(競争のない未開の大市場)はあっという間にレッドオーシャン(血で血を洗う競争の激しい事業領域)に変わるという話もそれです。
(あとは周りが協力して全部敵対してしまったり、野戦に応じてもらえず攻め辛い攻城戦ばかりとか、攻めてきてくれると叩きやすいのに誰も来ないとか、考え出すといろいろ適当書けました。現代だと、やっかみによる大企業叩き、独占禁止法違反などでしょうか?)
また、徹底的に叩き潰すと遺恨を買って、良くない影響を残すという捉え方もできそうです。敵方の残された血縁者は深く恨むでしょうし、攻めていた場合は戦後統治の難しさも増すでしょう。さらに第三者に武田信玄はそういうやり方をすると判断されてしまうと、取り得る選択肢も減っていきます。(場合によっては残酷さを強調した方が"効く"ことがありますけど)
ただ、こうやって書いてみると、火坂雅志さんの解釈の方が素直です。ビジネス的に100%の勝利は、成功例に固執してしまうなどの弊害もあると言えそうですね。よくあります。
●徳川家康の「馬上をもって天下を取っても、馬上をもって治めてはならない」
次は後編の話からです。
岐路にあるなら「仁」で選べ 【特別対談】“天地人”火坂雅志氏と語る戦国リーダー論(後編)(鈴木義幸 2009年12月28日(月) 日経ビジネスオンライン)
火坂:人使いの名人といえば、徳川家康がそうでしたよね。例えば、天下分け目の関ヶ原の戦いの前と後では、家康は戦力としての人材をそっくり替えている。
戦の前は、三河の譜代の槍働きの強い武士を率いていました。関ヶ原での最大の功労者は彼ら。つまり家康自身の家臣だったのです。ところが、関ヶ原の戦いで勝利して徳川幕府を開くと、彼ら家臣たちを政治に参加させませんでした。南禅寺の僧だった金地院崇伝や、朱子学を学んでいた林羅山などの文官を幕府に採用したのです。
どういうことかというと、家康は「馬上をもって天下を取っても、馬上をもって治めてはならない」ということを実践したのです。もう、戦の時代は終わったので、家臣の武士たちにはお引き取り願って、平和な時代をつくるための人材に人員を替えてしまったのです。功労のあった自分の譜代の臣さえ徴用しないとは、すごい判断ですよね。
いや、これはすごいですね。冷たい話ですけど、なかなかできるものではありません。これはさっきの成功例への固執とも重なる話です。
●黒田官兵衛の「夏の火鉢」の意味
黒田官兵衛はこれを逆から見たような形で、息子の長政に「夏の火鉢、旱(ひでり)の傘ということをよくよく味わい、堪忍を守らざれば、士の我に服せぬものぞ」と言ったそうです。
火坂さんの解説によれば、まず、「夏の火鉢、旱(ひでり)の傘」とおうのは、「夏の火鉢は暑いから用がない」「日が照っているときの傘も、雨が降っていないから要らない」ということを意味しています。
ただ、このことをよくよく味わい、堪忍を守らるようにと言っているので、これで終わりではありません。
底冷えする冬になれば、その火鉢は役に立つし、土砂降りの雨になれば傘が役立ちます。人間もそれと同じで、ある局面ではまったく役に立たなくても、別の局面になればとても役立ち、思ってもみない才能を発揮することがある、ということ。
黒田官兵衛が言いたかったのは、「人間は性格も能力も千差万別。場面と時によって輝く光も違ってくる。そこを見てあげなければならない」ということだと、火坂さんはおっしゃっていました。
●判断に迷ったときは「人のためになること」をやる…小早川隆景の教え
最後、後編のタイトルになっているもの。
火坂:小早川隆景は、「戦国の学のある武将」と言われた5人のうちの1人でした。それとともに、周りの武将たちからは「最も判断の誤らない武将」とも言われていたのです。
(中略)あるとき、官兵衛が隆景に「どうすれば判断を誤らないのか、教えていただきたい」と尋ねました。
(中略)「人間には岐路に立つ時というものがあるが、どんな基準をもってあなたはどちらの道を行くか選択しているのか」と、質問したのです。
最も判断の誤らない武将の答えは、原文ではこう記録されています。「分別の肝要は仁愛なり」。
「仁愛」とは、1文字で表せば「仁」です。(中略)
どんな決断であっても、人に対する情けの心、つまり「仁愛」をもって判断すれば、たとえその決断が的から外れたとしても、やがて正しいものになっていくのだと、小早川隆景は考えたのでした。
仁愛のない判断は、たとえ才知が巧みであったとしても間違いをするものだということを隆景は言っています。
この対談はビジネスの役に…というものですけど、実際きれいごとではなくある程度通じるものだと思います。
従業員にしろ、取引相手にしろ、嫌われる人であれば、「いつか仕返ししてやる」という思いからしっぺ返しを食らう可能性を抱えています。それよりは「この人のために…」と思ってもらえる人の方が、周りはスムーズに動きます。
また、お客に嘘ごまかしを行った会社は100%ではありませんが、露見時に大きな被害を出します。そもそも顧客のために…といった観点での判断だと思えば、よく言われる「お客様視点」であって特に変わったものではありません。
まあ、それを現実にやれているという企業はあんまりないでしょうけどね。
●日本人が嫌う黒田官兵衛の合理的な判断
2017/06/15:黒田官兵衛の話を追加。おもしろい話がほとんどなくてがっくりしたのですが、「軍師・黒田官兵衛のオキテ」というシリーズをプレジデント・オンラインがやっていました。その中で少し興味を持てる話があったのが、
空気に流されない -経営のプロが読み解いた「軍師・黒田官兵衛のオキテ」【2】 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online(2014.10.4)でした。
松平定知・京都造形芸術大学教授は、黒田官兵衛の合理的な考え方について以下のように褒めていました。
「黒田官兵衛が、小寺家の御着城の出城である姫路城の城主になったのは22~23歳のとき。そこから、じっくり周囲を見て、やがて毛利から信長への主君がえを決断し、中間管理職の小寺政職を説得し、同意を得て信長に直接会いにいき、その傘下に入ります。組織の大勢に流されず、正しい経営判断を行ったわけで、こうしたことは現代社会でも必要なことですね」
ただ、日本ではまだ転職にマイナスのイメージが残っています。ここから、日本では「武士たるもの、二君に仕えず」とよく言う…という話に展開。しかし、そこで數土文夫・東京電力取締役会長がすかさず以下のように否定していました。
「それは、徳川幕府が幕藩体制を長く続けるために、儒教を歪めてつくったのであって、孔子はそんなことは言っていません。徳川以前の戦国時代は、もっとはっきりした契約社会です。藤堂高虎と黒田官兵衛は、ともに秀長の家来、与力でしたが、その後には、官兵衛は家康の庶子である結城秀康とも親交を結び、藤堂高虎も軍師とまではいきませんが、家康の有力な参謀になっていっています。
現代の労使関係も、本来はこれくらい自由であるべきなのです」
これは以前、
武士道は捏造 戦国時代までは主君を変えたし、裏切りも多かったでやった話。武士道ってのは日本の伝統ではなく、捏造なんですね。
數土会長は、「黒田官兵衛のように二君に仕えるのは、もともと筋の通った生き方なのだということを、もう一度日本人は思い出すべき」とも言っていました。
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