ソ連やゴルバチョフ元大横領に関する話をまとめ。<ゴルバチョフの改革ペレストロイカ、日本の外交官は否定的だった>、<パンがおいしくなるなどの変化、でも、一番大きい変化だったのは?>、<改革が起きる前のソ連の方が良かった?現在のロシア国民のロシア評価>などをまとめています。
その後、<ゴルバチョフ元大統領によるプーチン・ウクライナ侵攻の評価は?>などを追記しました。
2023/02/27追記:
●ゴルバチョフ元大統領によるプーチン・ウクライナ侵攻の評価は? 【NEW】
ミハイル・ゴルバチョフ 変わりゆく世界の中で

●ゴルバチョフの改革ペレストロイカ、日本の外交官は否定的だった
2020/01/30:
資本主義ロシアのGDPほぼ半減…ソ連の共産主義が正しかった?に追記した方が良さそうな話ですけど、とりあえず、別に一つ。
ぼくは見た、国の消滅を | NHKニュース(2020年1月23日 16時54分 政治部・渡辺信)という記事がありました。これがおもしろいのです。
ただ、ニュース記事というよりはブログ記事的な感じ。教師だったお父さんが、モスクワ日本人学校に転勤したため、ソ連のペレストロイカ時代に10歳前後の頃をモスクワで過ごしたという記者が、日本の外交文書を見て、子供の頃の思い出とともに振り返る、といった感じです。
モスクワの日本大使館の政務班長だった角崎利夫さんは、1987年11月の「ソ連在勤を終えて」という報告書を以下のように、小説的な感じで書き始めています。この2年前の1985年に書記長に就任したゴルバチョフさんが進めていたペレストロイカ(改革)について、うまくいかないと見ていたことがわかります。
『BUKSOVAT(空転する)。2年1か月のモスクワ在勤を終え帰国する日、空港の暗い待合室で搭乗を待ちながら、ふと、この単語が頭に浮かんだ。ゴルバチョフの始めたペレストロイカを、ひと言で総括するとすれば、まさに「空回りしている」というのが適当ではなかろうか』
●パンがおいしくなるなどの変化、でも、一番大きい変化だったのは?
「空回り」していると見られていたペレストロイカですが、いろいろと日常に変化はもたらしたようです。当時子供だった記者が実感としてあったのは、「店のパンがいつも焼きたてでおいしくなった」「アイスクリームの包装がカラフルになった」「テレビでエアロビクスを放送した」「車体に広告を付けたバスが走り始めた」といった変化でした。
そして、家族にとって最も大きな変化だったのは、「ロシアの人たちが、外国人との家族ぐるみの交流をためらわなくなったこと」。当時、外国人は、監視付きの決められたアパートに住まわされていました。地元の人たちが訪れることもなかったそうです。
ところが、ゴルバチョフ時代には、社会の雰囲気が変化。お父さんの職場のロシア人の同僚がやってくるようになり、母にも初めて現地の友人ができます。また、近所の人の目を気にした様子ではあったものの、別のお父さんの同僚の家に招かれるという、以前なら考えられないイベントも発生しました。
さらに年齢の同じくらいの子がいるその家庭とは、お互いに行き来するように。お父さんの同僚は「ペレストロイカの時代なのだから、誰もとがめはしないよ」と言っていたそうです。
●以前ならあり得ない!ソ連の不可能を可能にしたペレストロイカ
この種の変化は、外交文書からも確認できました。1988年1月の報告書では、濃霧でモスクワの空港が閉鎖され、大勢の日本人乗客が、空港で一晩を過ごさざるを得なくなったときのことについて記述。そこでは、「ペレストロイカの御利益を痛感したのは、アエロフロート(注:ソビエトの国営航空)側が(結果的には)我が方の要求に応じる形で、レニングラード・東京間の直行便を出してくれたこと」と書かれていました。
また、「以前には不可能に近い注文をこなしてくれた」例として、もう一つ「オスロの女子レスリング世界大会に参加する日本選手チームのために骨を折ってくれて、結局、エントリーに間に合うよう計らってくれたこと」を挙げていました。これらは以前のソ連であれば、あり得ないことであったようです。
ただし、1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故についてはご存知の通り、情報は隠蔽されています。こうした事故に関しては、改革と情報公開の対象とはならなかったようです。すべてにおいて良化したというわけではなく、変わらない部分では依然として変わりませんでした。
●日本に対してはペレストロイカの恩恵なし、竹下首相は批判的だった
このように一部で大きな変化はあったものの、日本の政治家の評価はいまいちだったみたいですね。、1988年6月、竹下首相は「残念ながら、実態としては、アジアに対してはペレストロイカもグラスノスチもない。日ソ間には両国関係の根幹に関わる北方領土問題があり、ソ連は北方領土への軍備強化を行っている」と言っています。
前述の通り、日本にも恩恵があったので、日本に恩恵なしってことはありません。ただ、領土問題を重視しているためこうした認識になったのでしょう。
安倍首相のロシア外交 北方領土棚上げで経済協力、スパイに機密情報提供で書いたように、安倍政権では北方領土について問題視しない方針ですから、かなり方針が異なります。
一方、他の首脳は主にゴルバチョフさんを心配している発言で、日本とはかなり温度差がありました。例えば、アメリカ/レーガン大統領は、「中央委が、いつでも「ゴ」をクビにする可能性があるような体制であることは、念頭に置いておくべき」と発言。フランス/ミッテラン大統領もゴルバチョフさんが失脚する可能性を指摘していました。
●ソ連保守派によるクーデター、当時の市民はどちらを支持したのか?
実際、こうした海外首脳の危惧は的中します。1991年8月19日、ソビエト共産党保守派によるクーデター未遂事件が発生したのです。ソビエトを構成する民族共和国が、それぞれ独立する動きを強めたことを受けて、ゴルバチョフ書記長の改革は行き過ぎだと、危機感を抱いた保守派が、彼を軟禁しました。
ただし、市民の多くは改革を支持。数万人の市民が抵抗のために立ち上がりました。当時、今回の記事を書いた記者はすでに帰国していましたが、後で聞くと、当時仲良くなった記者の父の同僚一家も、クーデターに抵抗するデモに参加していたといいます。
父の同僚は、外国メディアのインタビューで、「自由がなかった時代に戻りたくない」その一心で、クーデター反対の意見を堂々と述べたこともあった…とのこと。当時高校生の記者がソ連崩壊直前に出会ったとき、彼らには自信に満ちあふれた表情をしていたという、印象を受けていました。クーデターを防ぎ、改革したことを誇りに思い、なおかつ希望にもあふれていたのでしょう。
●改革が起きる前のソ連の方が良かった?現在のロシア国民のロシア評価
ところが、残念なことに、このようなきれいな話ではこの物語は終わらないんですね。今回の話を、
資本主義ロシアのGDPほぼ半減…ソ連の共産主義が正しかった?に追記しても良かっただろうというのは、ここらへんの現在の評価が絡んできます。
最近、2018年1月のロシアの地方紙「ノーバヤ・ジーズニ」の電子版に、前述のお父さんの同僚がインタビューされていたのを見つけました。「彼らに、本当のロシア人の生活を見せてあげたんだ」とインタビューに答えており、これは記者ら家族との交流の話。ここは心温まる話なのですけど、ペレストロイカの時代については、以下のように皮肉っぽく振り返っていたのでした!
「マルボロ、コカコーラ、ドル紙幣、チューインガム、粗悪な輸入品の衣類がたくさん入ってきた。至るところに億万長者や盗賊がいた」
母の友人となった女性も再会した際に、「社会の秩序があったソビエト時代のほうが、今よりもよかったと思うことはあるけど」といった複雑な心境を語っています。当時熱狂的に支持されたペレストロイカは、間違いなくロシアに良い変化ももたらしたはずだと思うのですが、「昔は良かった」という気持ちもかなりあるようでした。
●民主革命なんてなければ良かった?クーデターのアンケート調査
2021/08/19追記:ソ連のゴルバチョフ大統領の改革路線に反発するヤナーエフ副大統領ら保守派は1991年8月19日、全権掌握を宣言し、ゴルバチョフ大統領を休暇先で軟禁しました。しかし、ロシア共和国のエリツィン大統領の抵抗の呼び掛けに市民が呼応し、クーデターは3日間で挫折。この事件に関する調査がありました。
ソ連崩壊の引き金となったこの保守派クーデター未遂事件から2021/08/19で30年。これに合わせて、独立系世論調査機関レバダ・センターが国民に評価を聞いています。事件は「国と国民に破滅的な結果をもたらした悲劇」との回答が43%で、最も多くなっていました。この回答の割合は過去最高だったそうです。
ただ、「単なる指導部の権力闘争」が40%という回答がほとんど変わらないほど多いです。また、記事タイトルが
「民主革命」評価は少数 ソ連クーデター未遂30年―ロシア:時事ドットコムであったように、「共産党体制を終わらせた民主革命の勝利」は10%にとどまったとのこと。これを見ると、クーデターが成功して民主化していなければロシアはもっと良い国だったと考える人が多いのかもしれないと感じました。
●ゴルバチョフ元大統領によるプーチン・ウクライナ侵攻の評価は?
2023/02/27追記:何か追記しておこう…と「ゴルバチョフ」というキーワードで検索。<侵攻で「功績全て失った」 ゴルバチョフ氏、盟友に語る>(共同通信 / 2022年12月8日 6時39分)という記事が出てきました。ゴルバチョフ元ソ連大統領が主宰のシンクタンク「ゴルバチョフ基金」で広報担当を務めたウラジーミル・ポリャコフさんが日本で取材に答えた…という記事です。
「反戦主義を貫いた彼にとって、ウクライナでの戦争は本当に受け入れ難かった。(軍縮を進めた)指導者時代の功績が全て失われてしまったと痛恨の思いを抱えていた」
<30年来の親交があったというポリャコフ氏によると最後に会ったのはロシアがウクライナ侵攻を開始した後の3月ごろで「交渉が唯一の解決策と訴え即時停戦と交渉プロセスへの移行を提唱していた」と振り返った>
なお、ゴルバチョフ元大統領は、ウクライナ侵攻のさなかの2022年8月30日に亡くなっています。<モスクワでゴルバチョフ氏葬儀、多数の市民が最後の別れ>(ロイター / 2022年9月5日 7時45)では、告別式が、モスクワの労働組合会館「円柱の間」で営まれたとして、以下のように報じていました。
<労働組合会館は、ロシア革命の指導者・レーニンやソ連の独裁者、スターリンなど歴代指導者の葬儀が行われたことで知られている。3日の式には儀仗兵も派遣されたが、2007年に死去したエリツィン初代ロシア大統領とは異なり、国葬の形は取らなかった。
プーチン大統領は1日にゴルバチョフ氏の遺体に献花し、公務を理由に告別式には参列しなかった>
https://news.infoseek.co.jp/article/04reutersJAPAN_KBN2Q50GO/
ミハイル・ゴルバチョフ 変わりゆく世界の中で

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