戦車の話などをまとめ。<これから探すという幻の戦車チトは本当に未発見なのか?>、<2013年1月の調査では円筒状の構造物や金属音がする箇所を発見>、<幻の戦車、日本の秘密兵器だった四式中戦車チトの正体>などをまとめています。
2023/08/09:
一部見直し
●浜名湖や猪鼻湖にあるという幻の戦車チトを探すプロジェクト
2013/1/9:
幻の戦車「チト」はどこだ 浜名湖探査、街おこしに期待(2012年10月30日3時10分 朝日新聞 高田誠)は、旧日本陸軍が終戦直後に隠したとされる「幻の戦車」を探すプロジェクトが、浜松市の浜名湖近くで始まるという話。「街おこしにつながれば」と期待しているようです。
浜松市北区三ケ日町の若手らでつくる「スマッペ」(松崎哲会長)が探すのは「四式中(よんしきちゅう)戦車チト」。三ケ日町史では、旧日本陸軍は「米軍が遠州灘から上陸する可能性がある」として浜名湖北部に戦車隊を展開していたとされています。
これ以外にも、終戦後、米軍の目から隠すため、浜名湖と猪鼻湖(いのはなこ)がつながる瀬戸付近(最大水深約16メートル)にチトを沈めたとの言い伝えも残っているそうです。
「日本陸軍兵器」(新人物往来社)などによると、チトは全長6.3メートル、全幅・全高2.9メートル。75ミリ砲を搭載し、装甲も最大75ミリと厚いのが特徴。
戦車などの模型製造会社「ファインモールド」の鈴木邦宏社長によると、「チトは試作段階で2両しか生産されず、千葉市内にあった1両は米軍に引き渡された」といいます。鈴木社長は戦車隊技術兵だった地元男性が生前、「上官から『秘密兵器なので米国に渡せない』と言われた。湖の深い場所を探し、別の戦車2両と一緒に沈めた」と話すのを聞いたともおっしゃっていました。
●これから探すという幻の戦車チトは本当に未発見なのか?
このとき気になったのは、
ウィキペディアの場合既に見つかっているような話が書かれていたことです。本当にまだ見つかっていないの?と不思議に思っていました。浜名湖北の猪鼻湖で「すでに当該車両が湖底にて魚礁化していた」といった話があったためです。
<本車の1輌はアバディーン性能試験場に送られ調査されたが、もう1輌の四式中戦車のその後の行方は知られていなかった。が、最近になって、九七式中戦車、ウィンザー・キャリアと共に浜名湖北の猪鼻湖に沈められていたことが判明した。模型メーカーファインモールドや兵器・戦史研究家、一部モデラー等の有志が中心となった呼びかけで浮揚調査作業嘆願の署名が集められた。
しかし、
すでに当該車両が湖底にて魚礁化していたため漁業補償問題が発生し、地元漁協との折り合いが付かず物別れに終わり、浮揚調査は断念せられる結果に終わった[要出典]。 2012年9月には歴史的資料として、水没位置の特定と水中写真の撮影を目標とした調査が再開された(参考文献『湖底に眠る「幻の戦車」 歴史継承へ調査開始 浜松』参照)。>
ただし、この部分は要出典つきでした。そう考えると、Wikipediaの"すでに当該車両が湖底にて魚礁化していたため漁業補償問題が発生し、地元漁協との折り合いが付かず物別れに終わり、浮揚調査は断念せられる結果に終わった"の方が間違いっぽいなと当時は判断しました。
そして、今(2013年1月)読むと、以下のように記述が変わっていました。問題の部分はやっぱり消えていますね。ここでは戦車とは断定していないものの、金属製の物体を発見というところまで。戦車チトだと確定指定したものは発見できていない…という理解なのだと思われます。
<本車の1輌はアバディーン性能試験場に送られ調査されたが、もう1輌の四式中戦車のその後の行方は知られていなかった。が、最近になって、九七式中戦車、ウィンザー・キャリアと共に浜名湖北の猪鼻湖に沈められていたことが判明した。模型メーカーファインモールドや兵器・戦史研究家、一部モデラー等の有志が中心となった呼びかけで浮揚調査作業嘆願の署名が集められ、2012年9月に歴史的資料として水没位置の特定と水中写真の撮影を目標とした調査プロジェクトが始動した。2012年11月25日には第1回目の調査が行われ、水深約15メートルの地点に金属製の物体が沈んでいることが確認された。今後は水中カメラマン、ダイバー等による本格的な探索が始まる。>
●2013年1月の調査では円筒状の構造物や金属音がする箇所を発見
さらに"浜名湖に沈んだはずの「幻の戦車」見つからず"(2013年1月8日07時03分 読売新聞)という記事が出ていました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130108-OYT1T00084.htm
記事によると、終戦直後、旧日本陸軍が静岡県の浜名湖北部に沈めたと伝えられる「四式中戦車チト」の潜水調査は2013年1月7日、戦車を発見できないまま、3日間の調査を終えたそうです。先程出てきたのと同じ地元の有志団体「スマッペ」は、磁気探査などで引き続き探索を行うとしていました。
このときの調査2日目の6日には、直径50センチ、長さ60センチの円筒状の構造物が、16個並んでいるのが見つかったそうです。一時は戦車かと思われたのですが、写真を詳しく解析した結果、「戦車ではない可能性が高い」と判断されます。
3日目は、湖底を金属の棒でつついて、泥の下に戦車が埋まっていないかを調べました。この結果、水深7~8メートルの湖底で、5メートル四方以上にわたって金属音がした箇所があったといいます。
スマッペの中村健二事務局長は「第1章は今日で終わったが、金属音など、いくつかの成果はあった」と話し、「磁気探査や、湖底の砂や泥を飛ばす機械を使い、戦車の存在を証明したい」と、今後の調査への意気込みを語ったそうです。
これは2012年11月25日の場所と別なんですかね?何となく話題作りで引っ張っているような感じもしなくもないですけど…。徳川埋蔵金みたいな印象を受けます。
●幻の戦車、日本の秘密兵器だった四式中戦車チトの正体
といった感じなのですけど、夢を壊すような話を2012年に読んだWikipediaから紹介しておきます。以下のうち前半部分は後の四式中戦車 チトの原型となる新中戦車(甲)開発の経緯とその仕様などの話。ただ、問題は、「特筆すべき」とされた仕様について説明する後半部分です。
<1942年(昭和17年)9月、完全な新規車輌として、陸軍兵器行政本部開発方針により47mm戦車砲を搭載する新中戦車(甲)を開発することが決定された。これが後の四式中戦車 チトの原型である。
最初、47mm戦車砲搭載として計画されたチトは、昭和18年7月には長砲身57mm戦車砲搭載に開発方針が変更されて実際に開発が始まり、さらに開発途中で長砲身75mm戦車砲を搭載することになった。装甲に関しても最大装甲厚75mmとようやく列強の中戦車並みの装甲厚となった。(中略)
四式中戦車の特筆すべき点は、それまでの日本の戦車が基本的に歩兵支援用戦車としてつくられていたのと違って、「最初から」対戦車戦闘を想定してつくられた本格的な対戦車用戦車となったことである。とは言っても、単純に「敵の戦車が強力である」という思想に基づいただけのものであり、ドイツ電撃戦に端を発する戦車同士の大規模戦闘を意図したものではない。>
「日本の秘密兵器」と言うとすごそうなんですが、以上のようなWikipediaの記述を見ると、「日本としては異質だけど、欧米から見て特別すごいというわけではない」という感じに読めてしまいました、夢を壊してしまうような感想で、本当すみません…。
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