以前
八ッ場はなぜ「やんば」と読むの?という記事を書きました。
そこで見た説は基本的に「やつば(やっば)」の読みが変化して「やんば」というものでした。
ところが、ここに来て新説が登場します。
「八ツ場」の由来は「簗場」だった!?(スポーツ報知、2009/9/26)によると、「簗場(やなば)」が由来でないかとのことです。(引用部は「八ツ場」の表記を用いています。他の「ッ」を用いる地名も表記ぶれがあります。多分あんまりこだわりないんだと思います)
地名研究家の楠原佑介さんが言うには、「簗場」というのは、川を下るアユを竹のすのこを使って取る古来漁法「梁(やな)漁」に由来し、秩父にも魚を取る時の名残としての簗場という地名があるそうです。
「やなば」 → 当て字で「八ン場」 → 「ン」と「ツ」を間違えて「八ツ場」
という説のようです。
でも、記事についているコメントに「あの辺の川は強酸性の温泉の影響で、中和工場ができるまでは死の川だったはず」というものがあります。それじゃー、魚いなそうですね。
吾妻川-Wikipedia(あがつかがわ、今まであづまって読んでいました)を見ると確かに「草津温泉や万座温泉などを起源とする強酸性の水が流れ込み水質はきわめて強い酸性である。周囲の鉱山からの硫黄も含まれ、魚はほとんど生息しない死の川であった。昭和中期に草津町に中和工場が建設され、川に石灰を注入することで水質が安定した。現在は下流部でアユ漁なども行うことができる川となっている」とあります。
八ッ場は長野原町の地名ですので、
長野原町-Wikipediaを見ると最初に史料に現れるのは、吾妻鏡(あずまかがみ、鎌倉時代末期)の源頼朝の巻狩伝説で、それ以前は遺跡が極端に少なく「文化移入が困難な地」と推測されているようです。
また、
草津温泉-Wikipediaを見ると、最初に史料に現れるのは同じく吾妻鏡ということですので、人が定着するころには既に温泉が沸いていたようです。
「地名が定着したのが温泉の湧く前」という可能性は完全には否定できませんが、以上の経緯からすると簗場が由来というのは考えづらい気がします。
どうでもいいことなんだけど、一生懸命調べてしまいました。今日はここで終わりにします。
Appendix
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