何か一部の人に絡まれそうなテーマですが、私が言っているんじゃないんですよ、芥川龍之介の小説に出てくるんですよ……と最初に断っておきます。
先日芥川龍之介の「手巾」という短編を読んでいて、「あれ?」と思うことがありました。
――昔、先生が、伯林(ベルリン)に留学していた時分の事である。今のカイゼルのおとうさんに当る、ウィルヘルム第一世が、崩御された。先生は、(中略)元より一通りの感銘しかうけようはない。そこで、何時(いつ)ものように、元気のいい顔をして、杖を脇にはさみながら、下宿へ帰って来ると、下宿の子供が二人、扉をあけるや否や、両方から先生の頸(くび)に抱きついて、一度にわっと泣き出した。(中略)子煩悩な先生は、訳がわからないので、二人の明(あかる)い色をした髪の毛を撫でながら、しきりに「どうした。どうした。」といって慰めた。が、子供はなかなか泣きやまない。(中略)
――おじいさまの陛下が、おなくなりなすったのですって。
先生は、一国の元首の死が、子供にまで、これ程悲(かなし)まれるのを、不思議に思った。独り皇室と人民との関係というような問題を、考えさせられたばかりではない。(中略)西洋人の衝動的な感情の表白が、今更のように、日本人たり、武士道の信者たる先生を、驚かしたのである。
この作品の年代を見ると、以下のとおりです。
大正5年ですね。
カイゼルとは「ドイツ語の皇帝号、君主号」であり、「ウィルヘルム第一世」とはヴィルヘルム1世、初代ドイツ皇帝。日本で言えば、天皇です。
「一国の元首の死が、子供にまで、これ程悲(かなし)まれるのを、不思議に思った」と書かれて当時日本人が理解できたというのは、太平洋戦争の後に生まれた我々にとってはちょっと驚きじゃないかと思って紹介しました。皆さんどう思うかわかりませんが、とりあえず私は衝撃を受けました。
ところで、この「手巾」についてですが、上記を書くためにいくつかのウェブ上の感想を見て驚きました。以前
宮沢賢治さんのベジタリアンに対する複雑な思いで書いた宮沢賢治のときもそうだったように、ズッコケてしまう感想がいくつか載っていたのです。
それについては後にして、先にWikipediaにあらすじがあるのでそのまま引用します。
先程のカイゼルのくだりは西洋と日本の対比であり、メインではありません。西洋は大げさなほどはっきりと感情を表してしまう……一方、日本人は?という使い方でした。
大学教授の長谷川謹造は、窓際でストリンドベリの作劇の本を読みながら、庭の岐阜提灯を度々眺めつつ、日本古来の武士道というものを想う。そこへ、ある婦人が長谷川の元を訪れ、彼の元に出入りしていた学生が、闘病もむなしく亡くなったことを告げた。息子の死を語っているにもかかわらず、柔和な微笑みを絶やさない婦人だが、長谷川はふとした事で、夫人の手元のハンカチが激しく震えていることに気が付くのだった。夜、長谷川はこの話を妻に語りながら、この婦人は「日本の女の武士道だ」と激賞した。満足げな長谷川だったが、その後、ふと開いたストリンドベリの一節に目が留まる。「顔は微笑んでいながら、手ではハンカチを二つに裂く。これは二重の演技で、私はそれを臭味と名づける」――。
「臭味」は「メッツヘン」とよみがながついておりましたが、何語なのかわからずに読んでいました。いわゆる「クサイ」のことだと、簡単に理解する程度で作品は読みました。
この後出てくる論文によると、清水康次さんという方が「メッツヘン」はドイツ語で「ばか」であり「臭味」はやや意訳だとしているそうです。「ばか」の方が強烈ですけどね。
またWikipediaで知りましたが、長谷川謹造は著書「武士道」によって欧米へ日本人的精神を広めた、新渡戸稲造がモデルであるようです。
気になって他を検索して読んでみると、芥川龍之介は手紙の中で「新渡戸さんをかいた」と断言しています。また、この作品のモチーフを新渡戸稲造の著作からパロディのように複数取ってきているというあからさまなものでもあり、モデルが新渡戸稲造のようにも風にも読める……という程度のものではないみたいです。
(参考:芥川龍之介「手巾」論 相川直之 広島大学大学院課程後期
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/kiyo/AN00065309/kbs_40_35.pdf大学院課程後期=博士課程ですから当然かもしれませんが、すごく詳しく調べています。私は恥ずかしくなるような論文で卒業しましたので、素直に感心しました)
私がウェブ上で見てたまげた感想というのは、太字にしたあらすじ最後の二行の前で読むのを止めたのか?という内容で、「日本人素晴らしい!武士道美しい!」というものです。
読み手にはある程度自由があり、「先生」(新渡戸稲造)の美意識に賛同し、芥川龍之介の見方を否定することももちろん自由です。私も別に武士道を特に悪い印象は持っていませんし、新渡戸稲造にはむしろ興味を持っています。
しかし、"「先生」の好む武士道観がこの作品の伝えたいことなのだ"としてしまって、この短編を自分の主張に利用するのはまずいでしょう。作品への冒涜です。(※1)
宮沢賢治のときもそうだったのですけど、こういった感想は最後のどんでん返しを完全になかったものとして無視しています。
(芥川龍之介は既成概念・思い込みの逆転や新たな視点の提示を好むように思います。その手際は見事なものですが、ときには悪趣味なほどに徹底的に叩きのめすことがあります)
芥川龍之介が新渡戸稲造の武士道(※2)を手放しに褒めたかったのであれば、最後の部分は明らかに不要です。なぜ前述のような感想で終わってしまったのか、理解に苦しみます。
しかも、複数あるんですよね、この解釈が。これまた宮沢賢治の
ベジタリアンのときもそうでした。
何度か書いているように、私のブログの投稿は全然予想しない解釈をされた上で批判されることが多々あり、私の文章が悪いんだろうなぁと思っていました。
ただ、芥川龍之介や宮沢賢治のような文学的評価の高い作品を読んでもこうなんですから、どうも読者の方でも読解力に問題のあるような気がします。
これはあれですよ、「私は違う」って威張りたいんじゃないですよ?
私も恥ずかしい読み間違いをすることがあり、下書き後に気づいて書き直すことは頻繁にありますし、ときにはおかしな解釈のまま投稿まで済ましてしまい、後から赤面して訂正するということもあります。お互い様です。
ただ、もう少し気をつけて読んだ方がいいんじゃないだろうかと思ってしまう、これもまた衝撃的な出来事でした。
※1「芥川龍之介は完全否定まではしていない」くらいなら解釈可能かもしれませんが、彼が問題を投げかけた部分はどうやっても消し去れません。
先の論文によれば、芥川自身は先の手紙で反響が不快なものではないかを気にしていたことから、新渡戸稲造の主張の賛同者から不快と感じられる可能性があるとわかって書いたと思われます。
また、先の論文では芥川龍之介は新渡戸稲造の授業を受けて憤慨していたことも書いており、考え方は合わなかったと思われます。あと、芥川の私小説的な作品「大導寺信輔の半生」からは、教師全般を嫌っていた感じを受けたことも付け加えておきます。(ちなみに芥川自身も後に先生になっています)
なお、先の論文では後述の※2である通り長谷川謹造≠新渡戸稲造とした上で、長谷川謹造があっさりと満足感を覆し、自身の感性を信じられなかったことこそ批判しているとしていました。また、芥川龍之介自身も夫人の武士道の美しさを感じていると解釈していました。これは先のネットの感想とは違い、途中で読むのを止めたようなものではなく、質が異なる武士道肯定論です。
ただ、個人的には飛躍しすぎで、納得しかねました。根拠となっている、夫人を美しく書いているから、「―」(ダッシュ)に語り手の感動の余韻が現れているからでは、説得力に欠ける気がします。
また、自身の感性を信じられなかったと論文で解釈された長谷川謹造は、実はラストで自身の感性を揺るがす思考を振り払うかのように頭を振った上で、岐阜提灯の灯を眺め始めています。
小説の前半で出ていたこの「岐阜提灯」は日本の美の象徴でした。しかし、おそらく「岐阜提灯」はそのエピソードを語りたかっただけでなく、このラストにも重要な役割を果たせるようにと、芥川が用意した小道具だったのでしょう。再び「岐阜提灯」の灯を眺めるというこの描写は、一度は自身の考えを疑った長谷川謹造が自分の美意識の定型に戻ろうとしたという心の動きを表現したと考えられます。
ですので、長谷川謹造のようにならずに自身の感性を信じるべきだというのが、芥川龍之介の主張だという論文の解釈にはピンと来ませんでした。
むしろ私には現実を受け入れられず、考えることを放棄(頭を振る動作がそれ)して現実逃避する長谷川謹造を非難したように思える終わり方です。
※2「新渡戸稲造の武士道」については諸説あります。一般的には長谷川謹造の武士道=新渡戸稲造の武士道とされていますが、先の論文では多少の相違点を指摘しているとともに、新渡戸稲造自身が武士道を著した後に考え方を変えていることにも触れています。そして、論文では長谷川謹造の武士道≠新渡戸稲造の武士道として解釈しているようです。
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