自由主義・自由競争・市場原理主義などの話をまとめ。<自由主義は本当は敗者に優しい 徹底的な自己責任を求めるのは偽物の自由主義?>、<市場原理主義批判や反対論がほぼ全部間違えている理由 自由競争万能説は経済学に存在しない>をまとめています。
2023/01/11まとめ:
●市場原理主義批判や反対論がほぼ全部間違えている理由 自由競争万能説は経済学に存在しない
●お金持ちが勝ち続ける「自由主義」は本当の自由主義ではない?
2013/2/1:
アベノミクスを語る前に知っておきたいこと(日経ビジネスオンライン 山中 浩之 2013年1月18日)で、飯田泰之・駒澤大学経済学部准教授は、<経済学は「その人その人の判断を最大限に尊重する」という考え方をその中心に据えようとする。個人主義、自由主義が経済学の大本にある>と言っていました。
ただ、この自由主義というのがまた厄介で、どうやら我々が勘違いしているところだとのこと。この説明はなかなかにややこしいです。<「自由主義」の社会は、必ず「負荷なき個人」との組み合わせじゃないといけない>という言い方がされています。
このわけのわからない「負荷なき個人」というのは、<職業や収入はもちろん、生まれ育ちも、才能もなにも全く決まっていない抽象的な存在としての個人が負荷なき自己>という言い方をしています。これでもわけがわからないですね。
でも、「自由主義」と「負荷なき個人」との組み合わせが必要だという以下の説明はなんとなくわかると思われます。
<財産を持っている人がいて、持ってない人がいて、その社会で「自由主義」と言ったら、もう金持ちがひたすら勝ち続けるという世界になってしまいます。だから僕は「経済政策を考えるときの“個人”は”負荷なき個人”でなければいけない」のは当たり前だと思っているのですが、それをまったく意識しないで経済学のモデル、方法論を勉強してしまうと、一般の人にとって経済学がまったく間違えた形で伝わるだけだと危惧しているんです>
これだと、自称自由主義者や自由主義に賛同する賛同者も批判者も大いに間違っているということになりそうです。ただ、<僕は「経済政策を考えるときの“個人”は”負荷なき個人”でなければいけない」のは当たり前だと思っている>という言い方だと、経済学者でも解釈が異なる可能性も。そうなると、一般的なものではなく、巷の解釈でもOKということになります。
●リベラルは自由主義と対立せず!実際には共存している
そこんところはっきりしないんですけど、「負荷なき個人」についてもう少し見ていきましょう。これまたよくわからないのですけど、以下のような話がありました。
<コミュニタリアニズム・コミュニタリアンの考え方>
「負荷なき個人」は概念的、形式的で、「自分」や価値観、意志決定というのは、置かれている状況から生まれてくるという考え方。コミュニタリアンは、個人の自由な価値観、自由主義を捨てて「状況付けられた個人」を取った。その代わりに、共同体が個人を守る。
おもしろいだろうと思うのが、このコミュニタリアニズムと対立する考え方として出されていたのがリベラルだったこと。<一方リベラルは、自由主義を守る代わりに負荷なき自己を基礎にしようとした>と説明されています。
つまり、リベラルは自由主義と対立しているわけではなく、共存しているわけです。自由主義と対立するのは、コミュニタリアニズムでした。これはかなり巷の理解と異なっていると思われます。
ギャンブルに手を出して破産するのは現在の日本では自由なわけですが、この問題に関する考えを、コミュニタリアニズムとリベラルの考えでたとえると以下のようになるようでした。
<コミュニタリアニズム>
共同体の誰か、例えば年長者が「そんなバクチに有り金突っ込んではいかん」とか言って財布を取り上げてしまい、そもそもギャンブルをやらせない。
<リベラル>
ギャンブルを買うのは自由なので止める人はいない。でもすっからかんになって食うに困ったら、社会保障制度が最低限の保障だけはしてくれる。
●自由主義は本当は敗者に優しい 徹底的な自己責任を求めるのは偽物の自由主義?
ただ、世間の理解は違うということで、飯田泰之准教授は、<ただし実際の世の中の需要としては、「負荷ある(再分配なき)自己」と「自由主義」という、致命的な、混ぜるな危険みたいなものを組み合わせてしまっている>としていました。
<経済学という道具を使うなら「自由主義」と「負荷なき自己」というのは、どっちも欠けられないんだということを分かってもらわないと。負荷なき自己をあきらめるんだったら、自由主義じゃなくてコミュニタリアリズムにいかなければいけない>
<負荷なき自己を前提としない自由主義って、いわゆる「俗流リバタリアン」になるんです。現在の状況を、あるがままに肯定する。「売春も、臓器売買も、お互い納得の上だからええやんけ」という。貧乏人は努力しなかったからどうでもいい、失業者は能力がないんだから仕方がないやねという。こういった解釈は「状況付けられた個人」プラス「自由主義」という致命的な組み合わせが生み出している>
私は俗な理解の自由主義じゃなくて、まさに自由と保障の組み合わせで考えてきたのでピッタリですね。私はもともと「競争は激しくやるべき」という、一部の人から嫌がられる考えを持っていますですけど、その代わりその競争で敗れた人のためのセーフティーネットはしっかり作っておこうという、これまた一部の人から嫌われている考え方を持っています。全然違和感がありません。
ただ、世の中の多くの人は、競争を嫌ってなおかつ手厚い社会保障という人と、競争を促して敗者を助けることを嫌う人…という風に極端すぎる二つの考えに分かれている気がします。
●市場原理主義批判や反対論がほぼ全部間違えている理由
2023/01/11まとめ:ここから<市場原理主義批判や反対論がほぼ全部間違えている理由 自由競争万能説は経済学に存在しない>や<市場原理主義への批判は大部分が勘違い?>というタイトルで書いていた話をまとめています。
2018/03/11:市場原理主義への批判や反対論が間違っていると言うと、怒る人がいそうです。ただ、そもそも「自由競争が万能」みたいな思想は、経済学では存在しないと説明する記事がありました。
なので、「自由競争が万能」みたいな思想を否定するのは間違っていないというよりは、そもそもそういった主張をしている人がいないというもの。存在しない人間を作り出して叩いている、いわゆる藁人形論法のようになっているということですね。
ただ、2018年になって、今まで載せていなかった元記事の作者名も書いておかないと…元記事を見に行ったら、藤沢数希さんだったことが判明。そうか、藤沢さんの記事だったか…。この人、かなり問題ある人だと後に知った人なんですよね。
ただし、このときの記事の説明はすごく良く見えて、別人じゃないか?と思うほど…。マジびっくりですわ。とりあえず、もともと書いていた
経済学では否定されている「市場原理主義」 ダイヤモンド・オンライン(2011.10.24 藤沢数希)をベースとした内容が以下でした。
●自由にやらせると独占が起きるなど…市場が失敗する4つのケース
2011/11/13:
経済学では否定されている「市場原理主義」 ダイヤモンド・オンライン(2011.10.24 藤沢数希)によると、経済学は市場がすべてを解決するとはまったく言っていないとのこと。むしろ市場が失敗するケースの研究が、最近の経済学ではとても活発な研究分野のうちのひとつだといいます。
そういう意味では、経済学全体としては、全然「市場原理主義」じゃないんですね。また、このように市場が失敗する状況をさまざまな角度から分析した結果、市場が失敗するのは、「次の4つの場合しかない」とされていました。「次の4つの場合しかない」という言い方だと、本当なの?と思いますが、とりあえず、以下の4つです。
①規模の経済と独占企業
②外部不経済
③公共財の提供
④情報の非対称性
「①規模の経済と独占企業」の例としては、例えば、電話事業者や電力会社のようなもの。最初に電話線や電線を作ってしまった会社が規模の経済を最大限に利用して市場を独占してしまうことが可能になります。こうやって新規参入がほとんど不可能になると、利用者はどんなに高い料金でも既存の会社の言い値を払わざるをえません。
ということで、好きにやらせてしまうと、自由競争が起きず独占状態になってしまいます。これでは消費者である国民の利益が大きく損なわれるでしょう。このように規模の経済が大きく働く産業では独占企業が生まれてしまうために、自由市場の競争にすべて任せるわけにはいかないといいます。
このような場合、独占を認めて、公益企業として政府が価格などを管理するという、半分国営のような状態にするのが一つの手だとされていました。ただ、こうした場合でも競争が存在しないことは同じであるため、これでも、結局、価格は高くなります。電力会社なんかもそういった感じです。
また、会社が大きくなればなるほど有利になる「規模の経済」が働くような産業では、企業合併などで1社が市場を独占してしまうと消費者の利益が大きく損なわれてしまいます。日本で言う「独占禁止法」のような独占を禁止する法律が世界中にあるというのは、このためです。
●悪い会社ほど儲けてしまう「外部不経済」も市場の失敗パターン
「②外部不経済」は、言葉が難しくて脳が拒否反応を示しそう…。ただ、「公害」の例で見ると、たいへんわかりやすいものでした。あるモノを作るのに最新の浄化設備を導入してまったく有害物質を出さずに作る会社と、何の環境対策もせずに公害をまき散らしながら作る会社が市場で競争したときを考えます。
すると、公害をまき散らす方が同じモノをより安い価格で提供できますから、公害撒き散らし企業が競争に勝ってしまうという困ったことに…。人々の利益には反するのですけど、競争の上ではこれが正解。人々のことを考える良い会社が負けてしまうのです。このように競争市場の「外」で発生する経済問題を「外部不経済」というそうです。
このような「外部不経済」の問題の解決手段はないのか?というと、ちゃんとあります。公害に関する法律を作って全部の会社に守らせる…ということで、公害を出しまくるという選択肢をなくすのです。そうすることによって、すべての会社の競争条件が等しくなり、悪い会社ほど儲かる…ということが起きづらくなります。
●「何でも民間」は不可能…警察などを市場に任せるのがムリな理由
「③公共財の提供」の説明では、非競合性と非排除性という、またまたとっつきにくい言葉が登場。まず非競合性とは複数の人が同時に使っても取り合わなくてもいいこと。非競合性ではないものとしては、例えば、アイスクリームで、ひとりの人が食べたら別の人は食べることができないとの説明。アイスクリームは競合性がある…というようです。
一方、灯台は、多くの船や飛行機がみんな利用できますが、だからといって減るモノではありません。公園も多くの人が利用できます。警察があることにより町の治安はよくなりますが、この安全は町に住む多くの人が同時に享受できます。こういったものを非競合性があるというようです。
もう一つの非排除性とは、簡単にいうと料金を払わない人にサービスを止めることができないこと。例えば、警察の治安維持を有料にしても、やはり町の住民で料金を払わない人のところだけ治安を悪くすることはできない…といった具合です。こうしたものは、市場で提供できるサービスではないってことなんでしょうね。
●中古車市場で悪い車ばかり出回るのは「情報」の不公平さが理由
最後の「④情報の非対称性」ですけど、これまた難しい言葉です。ただ、要するに「情報の非対称性」というのは、モノやサービスを売る側が、買う側に対して圧倒的に多くの情報を持っていること。そういう情報が不公平な状態を「情報の非対称性」というのです。こう言うと簡単ですね。
この例で有名なのは、「情報の非対称性」の分野でノーベル経済学賞を取ったアカロフさんの中古自動車の分析です。中古自動車の売り手はその自動車にずっと乗っていたわけなので、当然さまざまな不具合や事故歴を知っています。多くの情報を持っている側だと言えるでしょう。
一方、中古自動車の買い手は、不具合や事故歴といった価格に関わる本当にほしい情報を持っていません。売り手が正直にそうした情報を教えてくれればもちろん問題ないものの、売り手側は「なるべく高く中古車を売りたい」と思っているので、そういった不利な情報はできるだけ隠そうとします。
ここで終わると、売り手が一方的に有利…なように見えるのですけど、現実はそうではないというのがおもしろいところ。前述の理由から、買い手側も事故歴などが隠されているということを予測。その上で安い価格でしか買おうとしなくなるので、結果的には本当に事故歴がない優良な中古車まで安値になってしまうのです。
結果、中古車の買い取り価格は常に安すぎることになり、まともな中古自動車を売ろうとしている人が不利益をこうむるということに…。さらに悪いことに、悪い情報を隠している売り手はその値段でもいいと思っているため、積極的に不良車を売りさばく事態も発生。かくして、中古車市場は悪い自動車だらけとなってしまうのです。
なお、この中古車市場の話は、「逆選択」の例として、
社会人に役立つ3つの経済学用語 比較優位・逆選択・イノベーションのジレンマで出てきたことがあります。
●世界金融危機では2つの「情報の非対称性」の指摘
中古車市場の例とは、だいぶ異なりますが、2008年の世界同時金融危機でも、複雑な金融商品はそれを売る金融機関と、それを買う投資家の間に大きな情報の非対称性があったといわれているとのこと。
また、金融機関の内部でも大きなリスクを取り扱う現場のトレーダーと、経営者の間にやはり大きな情報の非対称性があったのも問題だと考えられています。トレーダーは損してもせいぜい会社をクビになるだけで済むと考えて、経営者があまり理解できない巨大なリスクを積極的に取ったことが原因のひとつだともいわれているんだそうです。
こうなると、巨額ボーナスというのも考えものですね。
成果主義と罰則がうまく行かない理由 行動経済学の実験の意外な結果でやったような、成果主義のうまくいかない例の一つと考えられるかもしれません。
●自由市場経済に対する政府の役割は2つだけ
ただし、作者の結論としては、市場は必ずしも万能ではないものの、逆にいえばこの4つ以外のすべてにおいて、自由な市場による競争というのが、国民全体をより豊かにするための最高のシステムなので、政府の仕事は2つだけ!だとしていました。
(1) 失敗の是正
自由市場経済に対する政府の役割は、これらの市場の失敗を正していくことで、市場に恣意的に介入することではない。そういった不必要な政府の介入は、社会全体の資源配分をゆがませ、国民全体の利益に反する。
また、4つの市場が失敗するケースは、自由市場が最高でないというだけで、政府管理の方がうまくいくとは限らない。多くの場合、市場の失敗より、政府の失敗の方がひどく、旧ソ連のような共産圏はその極端な例。
(2) セーフティネット
もうひとつの政府の役割はセーフティネットを税金で作ること。競争に負けた人がそのまま社会に復帰できなければ、それは社会全体にも大きな損失で、競争から滑り落ちた人をいったんセーフティネットで保護して、また、次の競争に参加させてあげるのが重要。
政府は余計なことしない方が良い、既得権益保護、新興産業潰しは止めるべきと何度か書いていますけど、「市場に恣意的に介入することではない」ってのはまさにそんな話。
あと、これも何度か書いている規制緩和は社会的規制の強化とセットにすべきというのは、4つのうちの「②外部不経済」にあてはまります。
●市場原理主義の人は本当にいないのか?
ところで、作者の言う通り、本当に市場原理主義という考え方の人は、経済学を学んだ人ではいないのでしょうか?
実を言うと、Wikipediaでは、
市場原理主義という項目が存在しており、やはりそういう考え方があるように見えます。ただし、「独自研究」になっているという注意書きがあります。この場合は、信頼性が高くないと考えるべきです。
とりあえず、以下のような説明が載っていました。
市場原理主義(しじょうげんりしゅぎ、英: Market fundamentalism)とは、市場への不要な政府の介入を排し、市場原理を極力活用した経済運営を行うことが国民に最大の公平と繁栄をもたらすと信じる思想的立場。民間に出来ることは民間に委ねることを基本とした小さな政府を推進することが多い。
1998年にジョージ・ソロスが著書の中で19世紀におけるレッセフェールの概念に関してのより相応しい表現として市場原理主義を紹介したことから知られるようになった。
これだと、やはり経済学の考え方に「市場原理主義」というものが、存在するのかな?という書き方です。
ところが、日本において小泉政権下で国務大臣を務め、市場原理主義の代表的な論者であるとされる竹中平蔵さんは、「私が市場原理主義者なら、市場がすべてを解決すると信じ込んでいることになるでしょう。そんなことはありえません」と述べているとも書いていました。
●自由競争万能でも自由競争最悪でもない
他もということで、
デジタル大辞泉の説明を確認。
"市場での自由な競争に任せておけば、価格・生産ともに適切に調節でき、ひいては生活全体も向上するという考え方。米国経済の根本原理とされる"
これだと、アメリカに存在しているというもの。結局、よくわかりませんね。
ただ、市場原理主義の言葉の定義はともかく、最初の記事の市場が失敗するケースや政府がすべきことの説明はもっともなもの。自由競争は万能ではないものの優れたやり方であるので、失敗を防ぎながらうまく活かすべき…という至極もっともなバランスが良い考え方です。
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