今までの体罰シリーズの延長線上となりますが、ボリューム十分の記事がありましたのでそこから少し。
2013年2月1日 小川 たまか [編集・ライター/プレスラボ取締役] ダイヤモンド・オンライン
体罰事件に見る“殴る側”と“殴られる側”の論理 なぜ生徒の心までもが「根性論」に呪縛されるのか?
関西学院大学の冨江英俊准教授が2008年に発表した論文「体罰に関する意識と運動部活動経験との関連―体育教師志望者を対象とした調査」(日本女子体育大学紀要2009年3月所収)を見てみたい。(中略)
この調査(調査時期は2006年11月~12月/対象は女子体育大学277人・共学体育大学147人)によると、体罰経験のある学生ほど体罰を肯定的に捉える傾向があったという。
http://diamond.jp/articles/-/31372 調査では"特に高校時における体罰経験と体罰意識の関連"が顕著なようです。
●体罰に対する意識。選択肢は以下。
「絶対に許せない」
「好ましくはないが、時と場合によって、やむを得ない体罰はあると思う」
「体を張った指導でないとわからないことがあるので、いいと思う」
「その他」
・「絶対に許せない」を選んだ学生
「体罰経験なし」17.5%
「体罰経験あり」13.5%
・「体を張った指導でないとわからないことがあるので、いいと思う」
「体罰経験なし」5%
「体罰経験あり」13.5%
13.5÷3は2.7、およそ3倍です。
ただ、これは以前から指摘している通り、自分の指導者や自分の過ごしてきた時間を否定されたくないという思いがあると思われます。人は自分の間違いは認めたがらないものです。
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野球選手は体罰賛成83% しかし、同じ体育会系でも桑田真澄は反対で全否定 また、この調査では性別による差が大きかったようです。
男女別の意識の違いを見ると、「絶対に許せない」と回答したのは男子が6.7%で女子が18.6%、「体を張った指導でないと……」と回答したのは男子が21.0%、女子が4.2%となっており、女子学生より男子学生の方が体罰を容認する傾向があったという。
サッカーは体罰が少ない 多いのはバスケより野球、バレーボールで使ったデータではどうだったっけ?と見直すと、論文は異なりますが執筆者は同じ冨江英俊さんでした。
なお、私の見た論文は意識調査じゃなくて、経験だけを聞いたものでした。下記のように、経験では男女差があまりありません。(中学ではむしろ女子が多いです)
表6 性別 体罰経験の割合
男子 女子
中学での体罰経験者 35.2 40.8
高校での体罰経験者 49.7 41.2
中学校・高等学校の運動部活動における体罰 冨江英俊
http://www.media.saigaku.ac.jp/bulletin/pdf/vol8/human/20_tomie.pdf さて、次はタイトルのコメントの引用元です。体罰経験者たちの体罰依存症の深刻さがよくわかる部分です。
この論文内でのインタビューでは、学生が高校時代の部活動を振り返り「叩かれるのが普通」「殴られなかったら(略)逆に不安になる」などと語っている。
(中略)「両者に信頼関係があれば体罰があってもいい」「愛情のある体罰によって成長する」という意識を、教員も生徒も、さらに保護者も持っている場合がある。
ただし、このことについて冨江准教授はもちろん、指導者にも批判的な人がいます。
冨江准教授は、論文中で「このような『口で言うより効果があるから手を出す』という考え方は、結局のところ『運動部活動は本質的に暴力である』という論理に荷担していることになる」と糾弾している。
「愛のある体罰容認」論の根底にあるものについて、冨江准教授や複数の教育関係者がまず指摘するのは、「勝利至上主義」や「根性論」だ。「努力すれば必ず勝てる」という思い込みは、「試合に負けたこと」や「試合中のミス」を「努力不足のせいだ」という考え方につなげる。努力が足りなかった者は「罰せられるべき」であり、「体罰を受けても仕方がない」という思考だ。
首都圏の大学で体育会系部活動の監督を務める30代の男性Aさんは、「勝利至上主義や根性論に基づく体罰は、スポーツの本質を損なうものだ」と言う。
「伸びる選手は、自分が何をしたら上手くなれるか、どう動けばチームが勝てるかを自分で考えられる。自主性を持った選手こそ求められているのであって、体罰で緊張を与えて指導者の言いつけ通りに動く選手をつくることは“スポーツ”ではない。高校で強豪校の部活動に所属していた選手ほど、試合で『もっと気楽にやっていいよ』と声をかけても、どう動けばいいかわからない傾向がある」
また、"部活動における勝利至上主義の最たるものは「甲子園」であり「春高バレー」である"というショッキングな話もありました。
先の体育会系部活動の監督は「スポーツは理不尽なもの」であり、むしろそれが魅力なのだと言います。
理不尽というのは、"どんなに努力しても天才的なプレーヤーには勝てないという理不尽、一瞬の運で勝敗が決まる理不尽"です。
「努力すれば必ず報われる」というのは"聞こえのいい言葉"ですが、それがあるために先の"努力が足りなかった者は「罰せられるべき」"という考え方が成立してしまいます。
スポーツの理不尽さまで愛せるようなスポーツ選手になってもらいたいですが、そちらより体罰を受け入れる方が精神的には楽なのかもしれません。
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