北海道の力士、いわゆる道産子力士についての話をまとめ。<道産子力士31年ぶり優勝か?と言われて以降、全敗してしまった一山本>、<北海道出身では北青鵬の方が注目?師匠の白鵬や大鵬と共通点>、<千代の山など…北海道出身の横綱は全都道府県中で最多、いったい何人>などをまとめています。
冒頭に追記
2022/11/01追記:
●身長200cmの巨漢である北青鵬の心配な点 実は相撲が下手?
2023/05/14追記:
●中学3年だけで身長が28センチも伸びた北青鵬、まだ成長中
2023/07/07追記:
●同じ身長で同じ個室で同じく海外出身の曙とは全く違う取り口 【NEW】
【クイズ】次のうち北海道出身ではない横綱は?
(1)旭富士
(2)北の富士
(3)千代の富士
●身長200cmの巨漢である北青鵬の心配な点 実は相撲が下手?
2022/11/01追記:北青鵬に関して前回書ききれなかった話をも少し。北青鵬はスピード出世しており、体が小さく苦戦した白鵬とはあまり似ていません。どちらかというと、出世の速さや大きさは大鵬に近いですね。ただし、北青鵬の方の場合は、その後怪我をするなどして苦戦しています。
<初めて番付に名前が載った2020年7月場所は7戦全勝で序ノ口優勝[2]。翌9月場所は序二段優勝[5]。さらに翌11月場所も三段目優勝を果たした[6]。新幕下に昇進した2021年1月場所は、場所直前に白鵬が新型コロナウイルス感染症に感染した影響で、自身は検査で陰性が確認されたものの[7]、濃厚接触の可能性があるとして全休となった[8]。事情が考慮されて翌3月場所は番付が据え置きとなり[9]、初めて幕下の土俵に上がったが、場所前に背筋痛が出た影響で2連敗スタートとなり、序ノ口からの連勝も21連勝で止まったが、その後は5連勝で勝ち越した[10]。西幕下2枚目の番付で迎えた同年7月場所は7戦全勝で幕下優勝を果たした。序ノ口・序二段・三段目・幕下の各段で優勝を決めたのは史上7人目となる[11]。場所後に行われた番付編成会議により、翌9月場所での新十両昇進が決定した[12]。これは21世紀生まれの力士として初の関取昇進でもある。新十両昇進決定に際し行った記者会見では、白鵬が18歳で関取になっていることを意識して自身も10代で関取になることを目標にしており、その目標が無事に達成できたことを明かした[12]。そして、次の目標は2場所連続の2桁白星による新入幕、そして末には21歳までに横綱昇進と掲げた[12]。序ノ口優勝した際にはそこから6場所で関取昇進を決めると宣言したが、これは有言実行となった[13]。
2021年9月1日、日本相撲協会は北青鵬が新型コロナウイルスに感染したことを発表した。風邪の症状を訴えたため、PCR検査をして判明した。宮城野部屋の所属力士たちも検査を行っており、結果は2日に出るという[14]。
新型コロナウイルス感染による休場であったため11月場所は救済措置として番付据え置き。実質的な新十両場所となるこの場所は右膝の怪我で2日目から休場>
身長200cmの巨漢ですが、大きければ勝てるとは限らないというのが相撲。北青鵬が以前から言われていたのは、「腰が高い」ということで、これは長身の力士の弱点です。私が何度か見た取り組みでは、いつ見ても腰が高い状態だったため、なかなか改善されない模様。十両でも優勝争いできていますが、どこかで壁に当たる可能性があります。
<2022年1月場所から3場所の幕下暮らしを経て、7月場所に自身2度目の十両昇進。(中略)結果的に十両優勝は12勝3敗の竜電にさらわれたが、11勝4敗の十両優勝次点の成績を残した。9月場所は優勝争いに加わり、13日目終了時点で3敗でトップの栃武蔵をただ1人4敗で追っていたが、敗れて千秋楽の取組を残して栃武蔵の十両優勝が決定>
また、相撲好きの人が気にしていたのが、腰が高い相撲をしていると怪我をしやすいということ。その関係かどうかは不明ですが、もうすでに怪我に悩まされていてる状態です。意外なことにアマチュア時代(下記参照)は個人優勝できておらず、主に体の大きさでとる相撲というのがずっと続いているのかもしれません。
<鳥取城北高校では高校1年次から全国大会に出場しており、団体戦では2年次と3年次に金沢大会連覇、十和田大会連覇、高校総体2年連続準優勝などを経験、個人戦でも3年次に金沢大会準優勝、高校総体ベスト8などの実績を残している>
●中学3年だけで身長が28センチも伸びた北青鵬、まだ成長中
2023/05/14追記:前回追記の後も北青鵬は勝ち越しを続けてついに幕内に昇進。新入幕となった2023年三月場所も9勝6敗で勝ち越し。私が心配したような壁にはまだぶち当たっていません。ただ、ウィキペディアでは、その後、私が書いていた腰の高さや相撲が下手なのに勝てている点などの記述が新たに増えています。
取り口
<足の長い体型から腰高になりやすく、負けるときは上体を起こされて後退してしまうパターンが目立つ。また立合いも甘く、新入幕場所の時点ではすっと立つだけの立合いも目立つ。ある親方は「背が高いので、腰を下ろさずとも相手の肩越しから強引にまわしを掴めてしまう」「これまでは素質だけで勝ってきたようなもので、実際、素質だけで勝てていましたからね」と語っている[23][24]。>
<2023年3月場所3日目の金峰山戦では腰高な体勢から寄り切っており、北の富士もそのスケールの大きい取り口に感心していた[26]。場所後、15代武蔵川は「まわしを取ったあとに、なぜか何もしないんだよ(笑)。まわしを取って立ってるだけなんだよなぁ。 動きが遅いから、もうちょっと攻めてほしいな」と注文を付けていた[27]。>
あと、身長の話を。「中学3年の1年間に28センチも伸びた」とのことで、突然伸び始めた模様。高校時代も伸び続けて、新入幕時点も成長中だそうです。前回書いたように高校時代は個人優勝できていなかったというのは、この伸びた身長にうまく対応できていなかったのかも。そして、これはまだまだ苦労しそうな感じがありますね。
・
北青鵬、曙に並ぶ史上最長身204cm新入幕 前回計測から4cm伸び「もう止まってほしい…」 - 大相撲 : 日刊スポーツ[2023年2月27日16時41分]
<新入幕の北青鵬(21=宮城野)は、師匠の宮城野親方(元横綱白鵬)とともに東京・両国国技館で会見。日本相撲協会の公式ホームページで、前日26日まで北青鵬の身長は「200センチ」だったが、この日、最新の計測結果を反映して「204センチ」に更新された。この結果、十両以上の公式計測が行われるようになった、1953年(昭28)9月場所以降、元横綱曙と並んで最長身の新入幕力士となった>
<中学3年の1年間に28センチも伸びた身長は「もう止まってほしいけど、伸びているものは仕方ないので」と、現在も成長中だという>
●同じ身長で同じ個室で同じく海外出身の曙とは全く違う取り口
2023/07/07追記:新入幕を9勝した北青鵬は、次の2023年5月場所の10日目に勝ち越しを決めて同日終了時点で優勝争いの一角に立つ活躍ぶり。ただ、以前からしつこく言っているように相変わらず相撲は下手くそ。突きも当たりもなく、受け身になって組んでから体の力だけで勝つという工夫のない相撲が多いです。
相撲になっていない点についての苦言は聞こえているのか、「相撲の概念をぶっ壊す」などと天狗になったようなこともこの時点では言っていました。ただ、そのうち対策されるなどして通じなくなるだろうと思ったら、意外にその日は早く来て、なんと勝ち越したその日から全敗。終わってみれば、8勝7敗という平凡な成績でした。
北青鵬は、恵まれた体が武器ですが、全く活かせていません。その点、同じ海外出身の大型力士の横綱・曙とは全くスタイルが違うなと思いました。彼は組みたがる北青鵬と全く違って、突き押しが武器。以前、曙の
ウィキペディアを読んで知ったのですけど、彼も最初からこのスタイルというわけではなかったそうです。
<長身を活かした突き押しが特徴で、立合いの際にはリーチの長さを生かすために、仕切り線から下がって始めることが多かった。>
<2mを超える体格を生かす技術を身に付けるために、東関は積極的に出稽古させた。出稽古先では佐渡ヶ嶽(第53代横綱琴櫻)から「小さい力士相手には、鶏を追うようにいけ」と指導を受けた。そうした努力と指導によって、小兵相手でも苦にしない、長いリーチからの伸びのある強烈な突き押しが生まれた>
完全に曙を真似するのではなくても、北青鵬にはもう少し工夫がほしいところ。そう思っていたら、いろいろと曙と縁があるようで、前回書いたような
北青鵬、曙に並ぶ史上最長身204cm新入幕 前回計測から4cm伸び「もう止まってほしい…」 - 大相撲 : 日刊スポーツ[2023年2月27日16時41分]という記事が出ていました。
<最新の計測結果を反映して「204センチ」に更新された。この結果、十両以上の公式計測が行われるようになった、1953年(昭28)9月場所以降、元横綱曙と並んで最長身の新入幕力士となった。>
<関取には個室が与えられるが、北青鵬が現在使っているのは、かつて曙が使っていた“出世部屋”。昨夏に現在の宮城野親方(引用者注:元横綱白鵬)が部屋を継承し、縁あって現在の場所に部屋を移して以降、師匠からは「映像を見ておきなさい」と、曙の取組を見て研究するよう指導されてきた。>
上記でもすでにあるように、師匠・宮城野親方も曙に学ぶべきと考えている模様。「曙関みたいに身長があって、手足が長いので、組んでよし、離れてよしという力士になってもいいのかなと思っています」としていました。本番ではまだ成果は出ていない感じですけど、突き、押しの相撲を取る稽古も行っているそうです。
さらに、ウィキペディアによると、北青鵬と同じ北海道出身である元横綱北勝海の八角理事長も「(今後の課題として)ちゃんと腰を下ろして行けばね。立ち合いも甘いと相手十分になるから、やはり突っ張りが必要かな」と指摘していたとのこと。皆さん思っているところは同じのようです。
●千代の山など…北海道出身の横綱は全都道府県中で最多、いったい何人?
2020/01/04:近年は関取が一人もいない時期があるなど、むしろ強い力士が少ないのですけど、一時期は北海道出身の横綱が多い時期がありました。
北海道出身の横綱一覧 - Wikipediaによると、北勝海出身の横綱は8人いて、全都道府県中最多だそうです。
最も古いのは、千代の山。戦後すぐの時期に活躍した力士です。その次の次の横綱である吉葉山も北海道出身でした。戦後すぐの時期に活躍した…ということですから、彼らが生まれたのは当然戦前。戦争があった時期ということもあって、戦争によって相撲人生に深刻な影響を受けたという話もあります。
<千代の山> 松前郡福島町出身
第41代横綱。1951年5月場所後昇進、1959年1月場所引退。幕内最高優勝6回、全勝2回。
終戦直後の1945年11月場所で10戦全勝の衝撃的デビューを果たす。「鉄骨のやぐら」と呼ばれた筋肉質の長身から破壊力ある突っ張りと右四つの相撲でならした。戦後角界の旗手として期待を集め期待通り横綱に昇進したが相次ぐ故障で大成できず、「横綱返上」騒動を起こしたこともある。
<吉葉山> 厚田郡厚田村出身
第43代横綱。1954年1月場所後昇進、1958年1月場所引退。幕内最高優勝1回、全勝1回。
市川右太衛門に似た美男と筋骨隆々とした肉体で人気を集めた。力士として伸び盛りだったころに兵役にとられ、さらに戦地で負傷し、体重も減少して出世の足かせとなった。横綱昇進までの苦難の数々は「7つの悲運」と呼ばれたが1954年1月場所で生涯ただ一度の優勝を全勝で果たし、雪中の都内をパレードする姿は全国的な熱狂を呼んだ。横綱昇進後は優勝しないまま引退。
●北海道出身最後の横綱は大乃国、その前は第13代日本相撲協会理事長
前述の通り、近年は全然強い力士がいません。一番最後の北海道出身の横綱というのは、1987年に横綱に昇進した大乃国。えらい昔ですね。同時期に北勝海もいて、こちらの方が有名でしょう。八角親方として、第13代日本相撲協会理事長になっています。
<北勝海> 広尾郡広尾町出身
第61代横綱。1987年5月場所後昇進、1992年3月場所引退。幕内最高優勝8回。
素質には恵まれなかったが兄弟子千代の富士との激しい稽古と闘志でカバー、激しい相撲で小錦らと「花のサンパチ組」とうたわれる 。昇進後は腰や膝の故障に悩まされるがそのたび復活を遂げ優勝回数を8回まで積み上げた。
<大乃国康> 河西郡芽室町出身
第62代横綱。1987年9月場所後昇進、1991年7月場所引退。幕内最高優勝2回、全勝1回。
常陸山のようと喩えられた恵まれた巨体で早くから将来を嘱望され、期待通り横綱にまで駆け上がったが、睡眠時無呼吸症候群などその巨体からくる病苦に悩んで低迷、安藝ノ海以来となる本場所皆勤での負け越しを記録してしまった。
●横綱が北海道出身だらけ!同時に北海道出身横綱が3人もいた時期も…
上記の北勝海は1992年、大乃国は1991年の引退ですが、北勝海の兄弟子千代の富士も1991年の引退。そして、千代の富士も北勝海と同じく北海道出身。つまり、この時期はなんと横綱3人が北海道出身という信じられないことになっていました。また、同時期に大関だった北天佑も北海道出身。上位は北海道だらけでした。
<千代の富士> 松前郡福島町出身
第58代横綱。1981年7月場所後昇進、1991年5月場所後引退。幕内最高優勝31回、全勝7回。
同郷の先輩・千代の山にスカウトされて角界入り。精悍な顔立ちと筋肉美で高い人気を集め、80年代の相撲界を人気・実力双方で支えた、戦後屈指の人気力士。力任せの投げで肩を故障し続けたが前褌をとっての速攻に開眼、関脇での初優勝から横綱まで駆け上がり、空前の「ウルフフィーバー」を現出した。双葉山につぐ記録となる53連勝を記録、相撲界初の通算1000勝を達成。また、相撲界初となる国民栄誉賞も受賞した。
大乃国の次の第63代横綱は旭富士で、北海道第二の都市・旭川を思い出す名前ですけど、全然関係なし。青森県西津軽郡木造町(現在のつがる市)出身だそうです。ちなみに千代の富士と北勝海の間に横綱に昇進した力士は、北海道出身ではない隆の里と双羽黒でした。
【クイズ】次のうち北海道出身ではない横綱は?
(1)旭富士
(2)北の富士
(3)千代の富士
【答え】(1)旭富士 (青森県西津軽郡木造町(現在のつがる市)出身)
●北の富士、北の湖…北がつくから北海道出身という単純な話で良い?
クイズでは旭富士だけ違うということで、他の選択肢にした「北の富士」は北海道出身。北勝海もそうですけど、北がついて普通に北海道出身というパターンですね。そして、よく似た名前の北の湖も北海道出身。北の湖は北勝海の前の理事長でもありましたが、理事長在任中に亡くなっています。
横綱になった順番としては北の湖の前になる北の富士の方はまだまだお元気で、NHKで相撲の解説をやっていますね。また、千代の富士・北勝海の師匠ということで、ここらへんは関わりがある力士が多いです。
<北の富士> 旭川市出身
第52代横綱。1970年1月場所後昇進、1974年7月場所引退。幕内最高優勝10回、全勝3回。
「現代っ子横綱」「プレイボーイ横綱」などの異名をもつ美男力士。鮮やかな速攻が身上だった。大鵬晩年期に横綱となり、ライバル玉の海とともに優勝を重ね「北玉時代」到来と思われた矢先に親友でもあった玉の海が急逝、以後8場所間一人横綱を務めたが成績は急降下した。引退後は千代の富士・北勝海を横綱まで育て上げた。
<北の湖敏> 有珠郡壮瞥町出身
第55代横綱。1974年7月場所後昇進、1985年1月場所引退。幕内最高優勝24回、全勝7回。
「怪童」と呼ばれ年少記録を次々に更新、横綱昇進時の年齢21歳2ヶ月は現在も大相撲記録。横綱昇進直後は取りこぼしも目立ったが、やがて巨体を利した破壊力と巨体に似合わぬ機敏さを武器に安定した強さを兼ね備え、37場所連続二ケタ勝利などを記録した
●巨人・大鵬・卵焼き…32回も優勝して国民栄誉賞の大鵬も北海道出身?
お互いに関係する力士が多いということなのですけど、さらに上記で名前の挙がっている大鵬も北海道出身。ただ、彼の場合はいろいろと特殊です。
まず、当時日本領であり、現在はロシアである樺太の出身であったということ。また、父はロシア革命後に樺太へ亡命したウクライナ人であったということも特殊。法的には問題なく日本人ではあるものの、日本人と認めたくない人もいるかもしれません。
<大鵬> 川上郡弟子屈町出身。
第48代横綱。1961年9月場所後昇進、1971年5月場所引退。幕内最高優勝32回、全勝8回。
出生地は樺太(当時日本領)である。当時の年少昇進記録を次々と塗り替え、入幕からわずか2年、21歳3か月で横綱昇進。同時に横綱に昇進した柏戸と共に「栃若時代」に続く「柏鵬時代」を築いた。特に女性・子供からの人気が高く「巨人・大鵬・卵焼き」の流行語が生まれた。抜群の安定感を誇り、優勝30回を記念して相撲協会から一代年寄を贈られた。慈善活動に力を注いだことでも知られる。前相撲博物館館長。2013年1月の他界後に国民栄誉賞を贈られた。
●道産子力士31年ぶり優勝か?と言われて以降、全敗してしまった一山本
2022/07/04追記:久しぶりに北海道の力士が優勝するのでは?と話題になったのが、2022年5月場所でした。幕内で勝ち越し一番乗りで、すべての取り組みが終了した時点で同成績は二人だけ。勝ち越し前日には、
あるか道産子力士31年ぶりV、いつもニコニコ一山本が優勝争いトップ2敗死守 - 大相撲 : 日刊スポーツ(2022年5月16日19時57分)といった記事が出ていました。
<だれが優勝するか分からない。ならば道産子力士31年ぶりもあるか。西前頭15枚目の一山本(28=放駒)が千代翔馬を突き出し、7勝2敗と勝ち越しに王手をかけた。大鵬、北の湖、千代の富士ら大横綱を輩出し隆盛を誇った北海道出身力士も幕内は現在、一山本だけ。優勝すれば91年春場所の横綱北勝海(八角理事長)以来となる。2敗は平幕4人、3敗も横綱照ノ富士ら5人の大混戦で一発を狙う>
地元のNHKニュースのスポーツコーナーでも優勝の話が取り上げられたのですが、勝ち越しで安心したのか安易な取り口が多くなり、勝ち越し後は全敗(5連敗)で終わってみれば8勝7敗でギリギリ。実力がまだないので仕方ないと言えば仕方ないですけどね。なお、以下のように、公務員をやめて力士になったという変わった経歴で、応援したくなる力士ではあります。
<大学卒業後は北海道福島町役場に就職し、教育委員会に配属された[6]。公務員になったことは小学校の卒業文集に書いた夢が叶った形でもある[3]。また、町役場に勤務する傍らで、町内の小学校などで相撲の普及に取り組み[7]、横綱千代の山・千代の富士記念館でコーチとして相撲の指導をしていた[1]。2016年の国体では個人16強入りとしたが、この成績が不本意なものであったことや[1]、中央大学相撲部OB会長(当時)の元幕下・神光から大相撲へ誘われたこと[8]などから、大相撲への熱意が再燃した。
(中略)大相撲入門に伴い、町役場は退職した[11]。入門に際して公務員の地位を捨てることに対して母が猛反対していたが[12]、4歳年上の兄の説得によって入門が実現した[3]>(
ウィキペディアより)
●北海道出身では北青鵬の方が注目?師匠の白鵬や大鵬と共通点
2022/08/31追記:北海道出身で久々の優勝が期待できそうな力士としては、私は一山本より別の力士を想定していました。現在はまだ十両ではあるものの、もっともっとの下の時点から幕内優勝を期待していた北青鵬(ほくせいほう)という力士です。彼はモンゴル生まれなのですが、北海道出身でもあるんですよ。
どういうことか?というと、モンゴル生まれではあるものの、母親の語学留学に伴って5歳で札幌に移住。モンゴルよりも北海道で暮らしている期間の方が長いんですね。モンゴル国籍ではあるものの、日本への在留期間が10年を超えているため外国出身力士枠の対象ともならなかったそうです。
彼は以下のように、白鵬に憧れて白鵬と同じ宮城野部屋に入門しています。四股名の北青鵬の「鵬」も白鵬由来です。ただ、白鵬の元ネタである大横綱「大鵬」との共通点も感じます。モンゴルではありませんが、大鵬も海外生まれで北海道に移住して北海道出身の力士でした。
<モンゴル生まれ[1]。母親の語学留学に伴って5歳で札幌に移住した[2]。大相撲の札幌巡業を観戦した時に横綱の白鵬と出会って相撲をやることを勧められたため[2]、札幌相撲スポーツ少年団で相撲を始めた[1]。6歳の時には韓国の空港で白鵬と再会し、一緒に写真を撮ってもらっている>
<高校卒業後は白鵬の内弟子として宮城野部屋に入門し、2020年3月場所で初土俵を踏んだ>
<四股名は白鵬が名付け、下の名は札幌相撲スポーツ少年団の監督の名前を貰った[1]。四股名の由来は、出身である北海道の「北」、モンゴルの空から「青」、白鵬の「鵬」からきている>
(
北青鵬治 - Wikipediaより)
<四股名は、横綱・大鵬と柏戸に因んで柏鵬(はくほう)とする案があったが、色白だったことから白鵬と付けられた(元幕内・千代白鵬と四股名が比較されるが、命名は千代白鵬が先)。四股名の命名は部屋の元幕下・岩海でマネージャーの岩埼という人物によるものであった>
(
白鵬翔 - Wikipediaより)
【関連投稿】
■
規制しても幕内割合や優勝が多い外国人力士が必要な意外な理由は? ■
大相撲が捏造伝統の女人禁制で殺人未遂 救命中の女性に土俵から降りるように指示 ■
貴乃花・貴ノ岩・貴公俊も暴行か?貴斗志裁判の証言・エアガン乱射事件など ■
日本国籍がないと相撲の親方になれないのが外国人差別でない理由 白鵬の帰化で話題に ■
昔は強いと思われなかった白鵬、モンゴル人で唯一部屋が決まらずお情けで入門 ■
文化・芸術・宗教・海外との比較についての投稿まとめ
Appendix
広告
【過去の人気投稿】厳選300投稿からランダム表示
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
|