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大化の改新の謎と過大評価 日本書紀は班田収受の法施行など嘘だらけ


 今の教科書では大化の改新は645年じゃない 645年は乙巳の変で内容的には十分なんですけど、補足的にもう少し。

 前回ちょっと出てきた「過大評価」というキーワードで検索して出てきたページを片っ端から読んでみます。
社会お役立ち用語|大化の改新|家庭教師に聞いた!社会のワンポイント勉強法

(略)大化の改新といわれる一連の改革は、日本書紀編者による後世の過大評価であるとし、その存在を疑う説が流れています。天皇の宮を飛鳥から難波宮に移し、蘇我氏など飛鳥の豪族を中心とした政治から天皇中心の政治への転換点となったといいます。真の改革者だった蘇我入鹿を暗殺し、実権を握ろうとした中大兄皇子が起こしたという説があり、また蘇我入鹿は皇位簒奪を狙っていたという説もあります。
http://www.seisekiup.net/dictionary/shakai/ta/taika.html

 中大兄皇子悪者説まであるんですね。いきなり刺激的なものが来ました。
大化の改新は改革 日本史で社会科を勉強する | echodescharmilles

天皇の宮を飛鳥から難波宮(現在の大阪市中央区)に移し、蘇我氏など飛鳥の豪族を中心とした政治から天皇中心の政治への転換点となったという。 しかし、大化の改新といわれる一連の改革は、日本書紀編者による創作ないしは後世の過大評価であるとし、その存在を疑う説が近年提示されている。
http://echodescharmilles.com/pink.html

 以下は万世一系を至上とする人たちから睨まれちゃいそうな話で、最初のもの以上に過激です。
5.5 実像の天智天皇 常識で考える日本古代史

西暦663年、白村江河口の海戦において倭軍は壊滅的な敗戦を喫し、支援していた百済は滅亡した。(中略)

敗戦国である百済・高句麗は国として滅亡することとなった。問題はなぜ、日本だけが国として存続し、かつ、戦争時点で国家元首であり軍最高司令官でもあるはずの天智天皇(引用者注:中大兄皇子)が敗戦後も国家元首であり続けることができたのか、ということである。日本書紀には、この点について納得できる説明がなされていない。

天智天皇については、もう一つの疑問がある。(中略)日本書紀に書かれている内容をよく読んでみると、天智天皇の業績は決して特筆すべきものではない。大化の改新はあってもなくても大勢に影響はなく、国力を傾けた百済支援は白村江の大敗によって投下した兵力・武器・兵糧、つまり人材と資本をすべて失ったのである。

にもかかわらず、平安時代以降の天皇はすべて天智天皇の子孫であり、藤原氏も天智天皇の血筋である、という記事もあるくらい、後の世において天智天皇は特別視されているのである。

本来であれば、天智天皇を「戦争責任者」として連行してもおかしくない唐・新羅も、日本書紀を見る限り丁重な態度であるし、実際に戦争責任を問題にしていないことは、遣唐使がほどなく復活し、それ以前にも唐・日本間の交流(捕虜の返還など)があったことからも明らかである。
http://www1.rurbannet.ne.jp/~papas/joshiki-nihonshi/story/sec5_5.htm

 ここから万世一系が絡んできますし、大化の改新の話もここにあります。
唐の国書である旧唐書には、倭国に関する記事と日本国に関する記事が並立している。倭国は、かつての邪馬台国であり、さらに遡って後漢の時代に朝貢した倭奴国である、とされており、一方日本国は、「倭国の別種」とはっきり書かれている。(中略)

日本書紀の制作者の側の事情を考察すると、そもそも書紀の大前提は、「万世一系の天皇家が、日本列島を代表する唯一無二の政権である」ということだから、天皇家以外の政権があったとしても「なかった」と書かなければならない。

そして、天皇家以外の政権はなかったという前後のつじつまを合わせるためには、前世代の政権(具体的には九州の倭国)から日本列島の支配を奪った天智天皇の最大の業績を、そのまま書くことはできなかった。だから、大化の改新については過大評価するし、後の時代にも特別視されているということではないだろうか。

日本書紀に関してもう一つ不自然なのは、なぜ政治的実権が天武天皇の血統に移ったにもかかわらず、それでもあえて天智天皇の業績が強調されているのかということである。

天武天皇は天智天皇の実弟であると日本書紀には書かれているが、これはきわめて疑わしいとされている。天武天皇の年齢があえて不明とされているどころか、後代の記録によると天武天皇の方が年上なのである。いまでもなく(引用者注:「いうまでもなく」の誤記)、年齢が上の実弟などということはありえない。

なぜわざわざ、天武天皇を天智天皇の実弟と書かなければならなかったのか。このことも、さきの仮定を置くと、合理的な説明が可能なのである。

 私が言ってるんじゃないですからね。脅迫とかしないでくださいね。

 次は前回の今の教科書では大化の改新は645年じゃない 645年は乙巳の変でも出てきた日本書紀の記述による大化の改新の謎です。

 ですから内容的には被っているんですけど、そのままどうぞ。
『大化の改新』実は大したことはなかった?! - Tunataroのブログ

研究者によっては吹聴されている大化の改新は、日本書紀による創作か後の世の過大評価ではないのか?と考える人もいる。
その論拠は日本書紀に記されている大化の改新の模様が、如何にも不自然であり、後世でしか現れない制度などが堂々と登場するからである。
(中略)
また「国、郡、県(くに・こおり・あがた)」を整備し、令制国とそれに付随する郡に整備し直したと伝わるが、この郡という用語は大宝律令以後の用語であり、大化の改新当時は評(ひょう)という用語を使用していたらしい。これは、出土した木簡から明らかになっている。

戸籍や計帳の作成と公地を公民に貸し与える「班田収受の法」を実施したとも伝わるが、これとて701年の大宝律令に到って初めて登場するのであり、それ以前は存在が確認されていない。公地公民を謳いながら、豪族たちには土地の領有が依然として認められていたので、大化の改新は中途半端で小規模な改革に過ぎなかったとする見方がある。
http://blogs.yahoo.co.jp/brick_3410_hatena/5646885.html

 この方は"日本書紀の記述を改ざんしたのは、藤原不比等"という説が有力であることを紹介した上で、"父鎌足の業績を大きく高く見せ"たかっったという動機を想像しています。

 これは前回書いた通り、私もわかりやすい考え方だと考えています。


 最後にもう一つ。
大化の改新(645) 歴史-日本飛鳥奈良

推古天皇の皇太子であった厩戸皇子(聖徳太子)が早死にしてしまったため、推古天皇の没後誰を天皇にするか、皇族や有力豪族の間で意見が大きく分かれました。(中略、聖徳太子の子)山背大兄皇子を押す意見と敏達天皇の孫で(中略)蘇我系の二人の姫を妃に持つ田村皇子を押す意見とが対立しますが、結局田村皇子が制し、山背大兄皇子を支持していた蘇我麻理勢は殺されてしまいます。

こうして田村皇子は即位して舒明天皇となり、(中略)舒明天皇が亡くなると皇后がその後をついで皇極天皇となりました。

ここで舒明天皇が亡くなれば、さすがに次は自分だろうと思っていた山背大兄皇子としては面白くありません。不穏な空気が流れると時の実力者蘇我入鹿は先手を打って山背大兄皇子とその一族を全員殺してしまいました。
http://www.ffortune.net/social/history/nihon-nara/taika.htm

 ここらへんややっこしいですね。聖徳太子は蘇我氏と親密で、山背大兄皇子はむしろ蘇我系です。Wikipediaでは以下のような説明。
『日本書紀』皇極紀に拠ると、推古天皇が病没した後にその後継問題が発生し、蘇我氏の庶流境部摩理勢らは山背大兄王を擁立する。その結果、蘇我蝦夷の擁立する田村皇子らと皇位を争う。だが、蝦夷から山背大兄王に対して自重を求める意見をされたこともあって皇位は田村皇子が継承することとなり、629年に即位(舒明天皇)する。

蘇我蝦夷が山背大兄王を避けた理由については、山背大兄王がまだ若く未熟であった、あるいは山背大兄王の人望を嫌ったという説と、推古天皇に続いて蘇我氏系の皇族である山背大兄王を擁立することで反蘇我氏勢力との対立が深まる事を避けたかったためという説がある。

だが、蘇我氏の実権が蝦夷の息子の蘇我入鹿に移ると、入鹿はより蘇我氏の意のままになると見られた古人大兄皇子の擁立を企て、その中継ぎとして皇極天皇を擁立した。このため、王と蘇我氏の関係は決定的に悪化する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E8%83%8C%E5%A4%A7%E5%85%84%E7%8E%8B

 さて、続き。
こうなるとビビったのは中大兄皇子です。次に入鹿に殺されるのは自分だということが確信されました。一方当時仏教を背景とした蘇我一族に対して反抗の機会を狙っていた神道を背景とした中臣家の鎌足は最初軽皇子(後の孝徳天皇)に接近しますが、大器ではないとみて見限り、若くて血気盛んな中大兄皇子と手を結びました。二人は蘇我入鹿を倒すことで同意しますが、その為には蘇我一族の中にも協力者が必要であると考え、蘇我石川麻呂を仲間に引き入れます。

 ここからぐっと飛ばして、乙巳の変のクーデター、以前で言う大化の改新の実行後に移ります。
皇極天皇は中大兄に「もう後はあんたがやりなさいよ」と言って退位してしまいますが、中大兄はここで天皇になるより、聖徳太子がやったように皇太子・摂政として動いた方が自分の政策を進めやすいと考え、自分では即位せず叔父の軽皇子を天皇の位につけてしまいます。そうして中臣鎌足・蘇我石川麻呂とともに3人のトロイカ体制で新しい政治体制の確立を図りました。このクーデターを乙巳の変といいますが、明治以降これを歴史的に過大評価して「大化の改新」と呼ぶ呼び方が有名になりました。

なお、この3人の内、やがて蘇我石川麻呂は邪魔にされるようになって殺されてしまい、代わりに中大兄の弟の大海人皇子(後の天武天皇)が台頭して新しいトロイカ体制に移行します。そしてやがて鎌足が死去するとこの体制は崩れて、壬申の乱へと歴史の歯車は動いていくのです。

 諸説ありましたけど、日本書紀の記述がおかしいためにこうなっています。

 古代の話は謎が多く、史家・研究者にとっては垂涎モノであり、楽しいところでしょうね。


 関連
  ■今の教科書では大化の改新は645年じゃない 645年は乙巳の変
  ■聖徳太子の作った法隆寺は焼失している
  ■二つの法隆寺の七不思議 ~法隆寺には蜘蛛の巣が張らないなど~
  ■士農工商 ~明治の職業別人口と僧などの分類~
  ■法隆寺の七不思議の真実 ~蜘蛛の巣、雀の糞、雨だれの跡は?~
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