●鎌倉幕府成立の年号 1192年、1185年など6説併記の教科書が登場
2013/4/6:
鎌倉幕府成立は1192年じゃなくて1185年、室町・江戸も変化?征夷大将軍とは無関係という話をだいぶ前にやりましたけど、<鎌倉幕府はイイクニ?イイハコ?変わる教科書>(2013年3月27日14時42分 読売新聞)という記事で、新聞社が話題にしていました。やっぱり注目なんですね。まだ浸透しきっていないようです。
<「1192(イイクニ)つくろう」。語呂合わせでおなじみだった鎌倉幕府成立の年について、近年有力な1185(イイハコ)年など六つの説をまとめて紹介する高校教科書が、来春から登場する。
六つの説を掲載したのは、26日に検定を合格した東京書籍の「日本史B」。源頼朝が鎌倉に侍所を設けた1180年から、征夷大将軍に任命された1192年まで並べた。このうち、頼朝が守護や地頭の任命権などを獲得した1185年を「幕府成立」とする学説を「現在ではこれを支持する学者が多い」と紹介した。
ただ、いずれの説にも軍配を上げず、「幕府をどうとらえるかによって、成立した時期も変わってくる」と記述した。編集担当者は「歴史的事実は『何年』という風に決まるものばかりでなく、幅があることを考えてほしい」と話す>
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130327-OYT1T00739.htm
学説をこれほど並べるのは異例で、文部科学省の担当者も「いままで見た記憶がない」と驚いていたとのこと。たくさんあるってのはおもしろくって良いですけど、1192年じゃない意外さに関して言えば古い教科書で習っていたからこそですからね。年寄りだからこそ意外に思うのです。若い子はむしろ1192年だったことの方がびっくりするかもしれません。
●1192年じゃなくなったのはいつから? 20代はすでに知らない説か…
別記事で、
イイクニじゃない鎌倉幕府 問い直される歴史の「常識」(2013年02月15日 朝日新聞)というのも出ていました。ここでは、<30代以上の人の多くは、「いいくに作ろう」の語呂合わせでおなじみの1192年と答えるだろう>としていました。この書き方だと20代で既に1192年説は卒業しているんでしょうか。意外に昔ですね。
<92年は源頼朝が朝廷から武家のトップである征夷大将軍に任じられた年だ。一方、85年は頼朝が軍事・行政官である守護や地頭を各地に置くことを朝廷から許された年。教科書が、形式より頼朝の実質的支配の始まりをもって幕府成立とみるよう、記述を変えていっていることがうかがえる。
だが、鎌倉幕府の成立時期について、実は歴史学界ではいまだに決着が着いていない。実際、「国史大辞典」には、1180年から1192年まで、七つの説があがっている>
こちらは7つという例を挙げていました。そういや、以前の
鎌倉幕府成立は1192年じゃなくて1185年、室町・江戸も変化?征夷大将軍とは無関係はいくつ紹介していましたっけ? 確認してみると、6説でした。他にもう1個あるんですね。
・頼朝が東国支配権を樹立した治承4年(1180年)説
・事実上、東国の支配権を承認する寿永二年の宣旨(寿永二年十月宣旨)が下された寿永2年(1183年)説
・公文所及び問注所を開設した元暦元年(1184年)説
・守護・地頭の任命を許可する文治の勅許が下された文治元年(1185年)説 (現在、最有力)
・日本国総守護地頭に任命された建久元年(1190年)説
・源頼朝が征夷大将軍に任命された建久3年(1192年)説 (過去の最有力)
●6説どころか7説ある!7説というのはどの説を指しているのか?
読売新聞を見直すとすべて同じ年で上記と同じ6説…っぽいですが、月まで指定しています。なので、以下のような同じ年で2説あるというのを入れて、7説かもしれません。
鎌倉幕府成立は1192年じゃなくて1185年、室町・江戸も変化?征夷大将軍とは無関係ですでに紹介済みの情報だけでも説明できそうです。
・頼朝が東国支配権を樹立した治承4年(1180年)説
鎌倉の大倉郷に頼朝の邸となる大倉御所が置かれ、また幕府の統治機構の原型ともいうべき侍所が設置されて武家政権の実態が形成される。さらに権大納言兼右近衛大将に叙任され、公卿に列し荘園領主の家政機関たる政所開設の権を得たことで、いわば統治機構としての合法性を帯びるようになった。
・守護・地頭の任命を許可する文治の勅許が下された文治元年(1185年)説 (現在、最有力)
この年、壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼしたことも大きかった。(壇ノ浦の戦いは4月25日、文治の勅許は12月21日)
●新しい知識を受け入れられない保守的な人々が陰謀論を主張も
朝日新聞では"いまの枠組みを、後付けで過去に当てはめようとするのだから、研究者の定義次第で時に歴史は変わる"とありました。"いまの枠組みを、後付けで過去に当てはめようとするのだから"「無理がある」とまで言ってしまった方が良いかもしれません。
以下も既に
鎌倉幕府成立は1192年じゃなくて1185年、室町・江戸も変化?征夷大将軍とは無関係で紹介したものと重なるものなのですけど、いまの枠組みを、後付けで過去に当てはめようとしたことの「無理」が表れたものとしてわかりやすいでしょう。当時なかった概念を強引に当てはめるのですから、無理が出てきます。結局、鎌倉幕府の成立年を決めるには、幕府の定義を子細に決めねばなりません。
<諸説が林立するに至った原因の一つは、幕府という概念自体が江戸時代後期に生まれたものだということだ。「鎌倉幕府」という言葉が初めて使われたのは明治時代。頼朝に仕えた武士たちには、自分たちが、政治・軍事を武家がつかさどる「幕府」の構成員であるとの認識はなかった>
この鎌倉幕府成立にしても、以前やった士農工商にしてもそうなんですが、歴史の研究が進んで今までとは異なった見方が出てくるとそれを受け入れられず、陰謀論に走って変な批判を持ち出してくる人がいるので困ります。
鎌倉幕府成立の年号が1192年じゃなくなったのは左翼のせい?がそういった話でした。
科学なんかは定説の否定・修正の歴史であり、より深化した学説を生きている間に知れるというのは知的好奇心を刺激するむしろ喜ばしいことなのですが、人間は先入観にとらわれやすく変化を嫌うものなので感情的に否定されやすいようです。
【本文中でリンクした投稿】
■
鎌倉幕府成立の年号が1192年じゃなくなったのは左翼のせい? ■
鎌倉幕府成立は1192年じゃなくて1185年、室町・江戸も変化?征夷大将軍とは無関係【関連投稿】
■
士農工商とは ~身分制度じゃない?~ ■
諸葛亮(孔明)と徳川家康の空城の計はどこまで史実? 趙雲、文聘にもエピソードあり ■
聖徳太子の作った法隆寺は焼失している ■
雑学・歴史についての投稿まとめ
Appendix
広告
【過去の人気投稿】厳選300投稿からランダム表示
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
|