●裁判員制度問題 裁判員が殺人事件の遺体写真でストレス障害に
2013/4/19:あんまりいいことないよなぁと思っていた裁判員制度。<殺人事件の元裁判員 ストレス障害に 4月18日 16時6分 NHK>というニュースまで報じられていました。本当いいことなくて、悪いことばっかりですね。あまりやりたいと思われない制度で、洒落にならない罰ゲームのようになっています。
<福島県郡山市で開かれた強盗殺人事件の裁判員裁判で、裁判員を務めた60代の女性が、被害者の遺体の写真を見て眠れなくなるなどの症状に苦しみ、急性ストレス障害と診断されていたことが分かりました。(中略)
弁護士によりますと、女性は、裁判の中で、殺害現場や被害者の遺体のカラー写真などを見てから、その画像を思い出し、食欲がなくなったり、眠れなくなるなどの症状に苦しんでいるということです>
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130418/t10014012281000.html
"裁判員メンタルヘルスサポート"というのがあるにはあったとのこと。ただ、これが役になっていれば、こんなことになりませんからね。<遺体画像でストレス障害、裁判員が賠償訴訟検討 2013年4月18日 読売新聞>によると、そもそも役に立てるような制度設計ではなかった感じでした。
<女性はその後、裁判員メンタルヘルスサポートを利用しようとしたが、東京まで出向かなければならないと知って断念したという。同月22日、自宅近くの病院の心療内科で受診。ASDと診断され、現在も薬物治療を続けている。弁護士によると、女性は、裁判員を経験したことで強い精神的なダメージを受けたと被害を訴え、裁判員制度の見直しを求めているという。
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=76367
●精神的に弱い人の問題?ただ、そもそも原則拒否・辞退できない制度
そんなもん「甘えだ」なんてことを言いそうな人もいる気がしますが、症状は普通に深刻です。上記までの記事の中でも<その画像を思い出し、食欲がなくなったり、眠れなくなるなどの症状に苦しんでいる>といった話がありましたが、読売新聞では、さらに以下のように報じられていました。
<公判では、被害者夫婦の遺体の画像がモニターで映し出され、検察側から、犯行の残忍性について説明を受け、その後、食事をしても嘔吐(おうと)を繰り返すようになった。判決後も、遺体の画像が脳裏に浮かび、悪夢にさいなまれることもあったという。
判決後、女性は、記者会見に応じ、「現場写真は血まみれというより、血の海だった。そのショックが大きくて、弁当を吐いたこともあった」と、公判で受けた精神的負担について語っていた>
"裁判員に選任された当日から女性は不眠に悩むようになった"というのですから、この女性がもともと精神的に弱かったのかもしれません。ただ、そもそも原則拒否(辞退)できませんからね、裁判員。こういう風に精神的に弱い人もお構いなしという問題ある制度です。
●急性ストレス障害を引き起こした写真を提出した検事「適正だった」
で、この件の責任者が何て言っているか?と言うと、これまたひどいんですよ。最初のNHKによると、被害者の遺体の写真などを裁判の証拠として提出した福島地方検察庁の検事は、以下のように言っていたそうです。
「今回は極めて重大な事件であり、真相を伝えて適正な量刑を得ることが検察の職責だ。示した画像についても、裁判員の心理的な負担を考えながら事前に内容を告知し、事実を伝えるうえで必要最小限の物を選ぶなど配慮しており、適正だったと考えている」
不眠・嘔吐を繰り返して「急性ストレス障害」(ASD)と診断されても「適正だった」というのは、どう捉えて良いのやら。やはりそもそもの制度設計に無理があるんだと思うんですけど…。
●面倒くさい裁判員制度 カトリックの司祭なら辞退できる?
2017/02/21:過去に書いた裁判員に関する話をとりあえず、ここに掲載。「原則辞退できない」に関わる話です。(
「司祭は裁判員辞退を」カトリックが方針 他宗教は「追随せず」?(J-CAST)(2009/6/19)という記事が出ていました。
<日本カトリック司教協議会は2009年6月18日、裁判員制度に関する公式見解を発表し、司祭や修道者については、候補者として通知された際には、調査票・質問票に辞退の意向を書いて返送することを勧めた上で、それでも裁判員に選ばれてしまった場合は「過料を支払い、不参加とすることを勧める」としているそうで>
これは、カトリック教会法で「聖職者は、国家権力の行使への参与を伴う公職を受諾することは禁じられる」と政教分離の原則を定めていることによるものによるそうです。「え?じゃあ、アメリカではどうしてるの?」と思って調べたら、
カトリック教会と司法 裁判員制度を巡る問題(あんとに庵◆備忘録、2009/6/19)にいろいろ書いてありました。
あるとき、アメリカのシスター(注:シスターはカトリック教会のみっぽいのでおそらくカトリック)が参加した裁判で死刑判決が出ました。全員一致の陪審制のため、シスターも死刑を指示したわけで、カトリック教会は原則として死刑反対の立場を採っていることもあって、どうもその後かなり糾弾されたみたいなんです。んで、これを機会に聖職者の陪審員への責務解除の取り決めが結ばれたとのことでした。
でも、「やらんでいいんだから、楽だよね、いいなぁ」というのはありますね。うらやましいです。一方で、死刑が選択肢にない可能性があるというのは、陪審員・裁判員として不適格で役に立たないとも言えます。
裁判員制度ってそこらへんの選定ってどうなんでしょう。思想的に偏りがあると思われる人が集まっちゃったら、不公正だと思うんですけどね。そこらへんはちゃんと考慮されているんでしょうか。
【関連投稿】
■
誰得な裁判員制度 遺体写真を見て気を失う・死刑判決も破棄 ■
裁判員制度の問題点3 審理短縮を目的とした拙速さ、素人への配慮による誤判・誤審の誘引 ■
裁判員制度の問題点2 休暇と仕事と苦役 ■
裁判員制度の問題点 被告人らの報復 ■
裁判官はきちんと考えた上で量刑しているのしょうか? ■
人生・生活についての投稿まとめ
Appendix
広告
【過去の人気投稿】厳選300投稿からランダム表示
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
|