<体罰賛成キャンペーンのように擁護記事を連発していた大新聞>、<必要悪?新聞の体罰肯定論「殴られて血まみれでも感謝される体罰がある」>、<体罰を禁止しているから教師が正当防衛できないのでは?の答え>、<木の棒で尻を叩かれる・正座・丸坊主をどう擁護するかと言うと…>など、体罰必要論についてまとめています。
冒頭に追記
2022/03/26追記:
●懲戒免職の先生「児童を叱ることで他の子にも抑止効果がある」
2022/08/02追記:
●カルト宗教・統一教会にも協力した人が作った財団も体罰擁護論 【NEW】
●懲戒免職の先生「児童を叱ることで他の子にも抑止効果がある」
2022/03/26追記:別のところで紹介した
児童4人にプリント配らず、給食は少量...小学校教諭を懲戒免職 「教員によるいじめ」と横浜市教委:東京新聞 TOKYO Web(2022年3月25日 20時33分)という記事の話ですが、体罰関連のところにもひとつ追記しておこうということでこちらに。体罰でも似たような効果を主張する人がいるためです。
<担任で受け持っていた児童4人にプリントを配布せず、給食を少量しか盛り付けないなど差別的な行為をしたとして、横浜市教育委員会は25日、市立小学校の男性教諭(46)を懲戒免職にしたと発表した。(中略)
市教委によると、教諭は4年生の担任だった2020年度、児童4人にプリントを配布せず、うち3人にはテストや授業を受けさせなかった。4人に給食を少量しか盛り付けないことが数カ月にわたって繰り返しあった。また、1人の児童をたびたび教室外に連れ出し、1時間以上叱った>
この話がなぜ体罰肯定論と似ているところがあるかと言うと、今回差別していた教諭が「叱られている姿を見せることにより、他の児童にも抑止効果があると考えた」とも説明していたため。単なる言い訳だとは思うものの、見せしめによる抑止自体には効果があると誤解している人はまだまだ多いでしょう。
●カルト宗教・統一教会にも協力した人が作った財団も体罰擁護論
2022/08/02追記:産経新聞が体罰擁護キャンペーンをやっていたときの記事で、紹介していなかったものがあったので追加。
【解答乱麻】「あえて言う 体罰必要なときも」 日本財団情報グループ長・菅原悟志 - 産経ニュース(2013/3/2)という記事です。
なお、この記事は作者肩書の「日本財団」にも注目。日本財団は「大衆右翼」を自称した右翼の大物・笹川良一さんが作った財団であり、右派ほど体罰擁護という傾向とも見事に合致します。また、ここらへんの右派・体罰擁護・産経新聞というキーワードは、追記時点で話題の統一教会や安倍元首相にも繋がってくるんですよ。
産経新聞は今、カルト宗教・統一教会(家庭連合)に家族を壊された人に恨まれて殺害された安倍元首相の美化キャンペーンをやっているところですが、笹川良一さんもまた統一教会に協力した人でした。産経新聞社出身のある自民党議員は安倍首相に近い上に、統一教会の重点支援候補でもあるという密接さもあります。
で、肝心の日本財団情報グループ長・菅原悟志さんによる体罰肯定論の方ですが、意外に過激ではなく、いじめっ子みたいな特殊な子に限って体罰OKという主張でした。この主張だと、もともと産経新聞が擁護していた罰ゲームのようなノリで楽しむ体罰は普通に禁止…ということになりそうです。
<体罰ではなく明らかに暴力行為なので、その後全国各地で発覚した体罰とは意味が異なる>
<本来、学校は子供が大人に成長するために大切な基礎を学ぶべきところである。個性の異なる生徒を教育するには、ある程度の強制は必要だ。
体罰の是非は、世代や性別によって差があり、個人差もあるが、世の中の流れが体罰禁止の方向へ向かうなかであえて言うが、必要に応じて体罰を認めるべきだと考える。
罪のない他生徒の心や身体を深く傷つけ、苦しめるいじめや差別、校内暴力、そして将来を棒に振る可能性がある違法行為に限定し、最後の手段としてやむを得ない。
いじめや校内暴力などの問題行動を起こす生徒は、自らの感情を抑えることや他人の痛みを感じることができない場合が多い。教師が手を出さないとわかれば、ますます増長し、歯止めが利かなくなるだろう>
一方、最後は結局過激で、<学校で他人を傷つけるような行為をしているならば、育てた責任として、親が体を張りわが子に対し体罰を与えればいい。それならば誰も問題にはしない>と、家庭内での体罰を推奨。家庭内では監視の目が弱いため過激化して虐待になりやすく、今、こちらが問題となっているところなんですけど…。
●体罰賛成キャンペーンのように擁護記事を連発していた大新聞
2013/4/27:体罰で死者が出たところなのですけど、体罰賛成キャンペーンのような感じで、産経新聞が体罰を擁護する記事を連発していて、異彩を放っています。例えば、以下のあたりは産経新聞の記事で、体罰を擁護する意図が感じられるものでした。
■
新聞社の体罰賛成論「教師が怒っただけで体罰と言われるので生活指導できない」 ■
内部告発者が匿名なのはおかしい、「痛み」も伝わらない 柔道五輪代表暴力問題で大手新聞社 これが私の誤解ではなく、産経新聞は本気なんだなと感じたのが、
喫煙生徒を血まみれになるまで殴った教師、母親は「よくぞやってくれました」と頭を下げた(2013.4.9 08:00)というという記事。タイトルからしてすごいですね。
●必要悪?新聞の体罰肯定論「殴られて血まみれでも感謝される体罰がある」
産経新聞は、死者が出た大阪市立桜宮高校の体罰問題をきっかけに、「『体罰』を考える」を連載。この連載が終了後も、「学校教育法で禁じられている体罰だが、実体験に基づいてその効果を知らせるご意見もあった」として、いくつかの体罰肯定論を紹介しています。まず表題の件は、以下のようなものでした。
<日常的に校庭に暴走族が入り込み、頻繁に授業妨害があり、登下校時に喫煙したりするのは当たり前の高校に通っていた。授業中に、複数の生徒が教師をボコボコにするといったこともあった。また、街で起きた窃盗事件などの聴取で、高校にパトカーが来るのも珍しくなかった。
そんな中、1人の生徒が喫煙して生徒指導で呼ばれ、教師から血まみれになるまで殴られたということがあった。翌日、その生徒の母親が学校に出向いてきた。大問題に発展するのかと思いきや、母親は「よくぞやってくれました」と頭を下げていた。その様子を見て「体罰は必要悪なのではないか」と感じた>(要約)
「血まみれになるまで殴られた」というのは、普通の人にとっては「それはダメじゃね?」となるところ。でも、産経新聞的には血まみれですら感謝する人(本人ではなくて親ですけど)がいるんだから、他は言うまでもないということなのかもしれません。
●体罰を禁止しているから教師が正当防衛できないのでは?の答え
次は自殺事件のときですら出ていた「親が悪い」というもの。というか、当時の「親が悪い」という報道も産経新聞だった気がします。
<元教師は「親に問題はないのか」という点を強調していた。小学校の講師をしていた知り合いの女性教師が、体格の良い小学校5年生の児童がテスト中に問題行為をしたため注意したところ、児童が向かってきて格闘になり、女性教師の身体に青あざができてしまうようなトラブルになったという。
この児童は数々のトラブルを起こしていたこともあり、保護者である児童の母親にも働きかけをしたのだが、実は、母親自身が子供に虐待行為をしていたことが判明。しかも、母親は学校側に無理難題を求める“モンスターペアレント”でもあったため、学校側はその後の対処にも苦労したという。
元教師はこの一件について、子供は家庭でのストレスのはけ口として、教室で女性教師に暴力をふるった可能性もあると推測している>
これは親も悪いですし、子も悪いです。でも、体罰肯定論と直接関係ない話であり、ここで紹介する意図をいぶかしみます。実際、記事内でも<児童や生徒が問題行動を起こし、教師がやむにやまれず手をあげたケースは本来、体罰にはあたらない>としていました。現在でも体罰に当たらないとされているものであり、体罰を擁護するエピソードにはなりません。
新聞社の体罰賛成論「教師が怒っただけで体罰と言われるので生活指導できない」のときもそうでしたけど、産経新聞は体罰じゃないものまで体罰とみなされる…という例を並べて、体罰そのものまで肯定しようとしている印象。必死ですね。
●木の棒で尻を叩かれる・正座・丸坊主をどう擁護するかと言うと…
これ以外にもそういう流れにするの?という話がありました。まず、以下のように「生活指導による体罰」ではない「学業成績による体罰」の事例を紹介しています。
<授業中、あてられて答えられないと、正座。テストの点数が悪いと、木の棒で尻を叩かれる“ケッパン”、小テストが基準点にいかないと、ゲンコツ。“重罪”の場合、バリカンで頭を刈られて丸坊主にさせられることもあったという。
文部科学省の基準によれば、正座や丸坊主の強制も体罰にあたる。だが、職員室にはバリカンが常備され、その場で丸刈りにされていた。
丸坊主は、テストの点数だけでなく、カンニングなどの問題行為への対処として行われることもあり、“生活指導”として位置づけられていた面もあった。多いときはクラスの半数以上が丸坊主になったこともあったという>
この話は全然体罰を擁護する要素はないのですけど、産経新聞は「学校側は、とにかく学業成績をあげ、進学実績をつくることに必死だったのだろう」と理解を見せます。さらに、明るく楽しんでいたのだから良いじゃない!として、肯定化してきました。そう来るか!
<校内の雰囲気は決して暗くはなかったといい、丸坊主にされた生徒を笑って迎えるなど、“体罰”を罰ゲームのようなノリで楽しんでいる雰囲気もあったという>
●新人職員を毎日正座させる先輩を見て上司「指導熱心と思った」
それがねぇ、一見明るく見えるいじめなんてものも世の中にはあるんですよね。例えば、
100万円以上おごらせ毎日正座 熊本市職員パワハラ 2011年12月26日19時59分 朝日新聞の件がそうでした。
新人職員に正座させ、飲食代まで出させるあきれた悪質なパワーハラスメントが熊本市で判明しています。いじめていた2人は20代の男性の新人職員に約2年半、ほぼ毎日のように職場の喫煙スペースで30分~1時間程度の正座をさせていました。
しかし、その際、他の職員に怪しまれないよう、笑っているよう指示する偽装工作を行っていました。所長ら職場の全職員が正座を目撃していたが、所長は「指導熱心と思った」として、問題視しなかったといいます。明るいから大丈夫というのは間違いです。
●体罰はいじめと似ている…人によって判断が違うから禁止しないべき?
産経新聞の最後は<体罰問題の根深さは、禁じられた行為であるにもかかわらず、その線引きの難しさと、教師、生徒、保護者一人ひとりの受け止め方が違うところなどにあるといえる>という締め方でした。要するに「良い体罰まで悪い体罰だとされてしまう!」という体罰擁護だと思われます。
ただ、これは逆に体罰正当化リスクの方が問題。さっきいじめの話を出しましたが、「一人ひとりの受け止め方が違う」というのはまさにいじめと同じですね。だからこそ一律に禁止すべきじゃないと産経新聞は言うんでしょうけど、果たして産経新聞はいじめでも同じ話ができるでしょうか。
そうすると、今度は「体罰といじめは全く異なる」と、体罰肯定派は言うかもしれません。しかし、「一人ひとりの受け止め方が違う」のですから、ある体罰を「それは体罰ではなくいじめだ」と受け止める人も存在。また、先の職場いじめの話は「正座」ですから、産経新聞の出した体罰の例とちょうど全く同じでもあります。
このように体罰といじめは互いに接したところに位置している…というのが実態でしょう。いじめは問題だし、悪い体罰もダメだけど良い体罰は残すべき…というのは無理がありますし、こういった主張がいじめや悪い体罰を助長し、被害者を増やし、死者をも増やしてしまいます。正当化してはいけません。
●「明るい体罰」ならよし…は通用する?文科省のいじめの定義
2019/10/26:いじめっ子側の言い訳として、「遊んでただけ」「いじめじゃなくていじり」「ふざけてただけ」「本人も笑ってる」といったものが多いことも考えなくてはいけません。いじめであり体罰ではありませんが、「楽しんでるから」「本人も了承してるから」といった正当化は重なるところがあり、参考になるでしょう。
2017年度に認知されたいじめは、41万4378件と過去最多を更新していました。記事によっては、前年より一気に10万件以上も増えたとしているものもあります。このような極端な増え方があったのは、当然、2017年に一気にいじめが増えたわけではありません。集計するいじめの定義を変えたり、発見に力を入れたりしたためでした。
(
いじめ最多41万件 進む把握、解決直結せず 指導力不足、悪化の例も 毎日新聞 2018年10月26日より)
文科省は、いち早く「いじめの芽」を摘むためとして、学校がいじめと判断すべき項目を増やしたとのこと。他の記事もチラチラ読んでいると、ケンカやふざけ合いなどについてをいじめに計上するようになったみたいですね。産経新聞の擁護していた「明るい体罰」も、文部科学省定義だといじめにあたりそうです。
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