●サムスン李健熙(イ・ゴンヒ)・創業者李秉喆は、日本の早稲田大出身
2013/5/20:
サムスン李在鎔(イジェヨン)氏は慶応大大学院卒で日本語が堪能で出たサムスングループ創業家と日本との関係についてです。日本との縁が深い一族なんですね。
Wikipediaでは、以下のように書いています。
<李一族>
李秉喆 - 創業者(早稲田大学中退)。
李健熙 - 2代目会長。李秉喆の三男(早稲田大学卒業)。
李在鎔 - サムスン電子社長。李秉喆の孫で、李健熙の長男(慶應義塾大学大学院卒業)。
李富真 - ホテル新羅社長、サムスンエバーランド社長、サムスン物産商事部門顧問。李秉喆の孫で、李健熙の長女
李敍顕 - サムスングループ第一毛織・第一企画専務。李秉喆の孫で、李健熙の次女
李猛熙 - 息子の李在賢はCJグループ会長
前回
サムスン李在鎔(イジェヨン)氏は慶応大大学院卒で日本語が堪能で書いた李在鎔(イジェヨン)さんは慶応大でしたが、その父と祖父は早稲田大学だそうです。まあ、おじいちゃんは中退ですので卒業していませんけど、みんな揃って日本に来ているってのはおもしろいですね。
●慶応大学出身の李在鎔(イジェヨン)氏はハーバード大でも学ぶ
Wikipediaから
サムスン李在鎔(イジェヨン)氏は慶応大大学院卒で日本語が堪能で書いた李在鎔(イ・ジェヨン)さんの経歴を
Wikipediaで見てみましょう。「サムスングループ創業者李秉喆の孫で、サムスングループ2代・4代目会長である李健熙の長男」と説明されています。
略歴
1991年 サムスン電子入社
1992年 ソウル大学 東洋史学科卒業
1995年 慶應義塾大学大学院修了
2001年 ハーバード大学経営大学院退学
2001年 サムスン電子 経営企画チーム 常務補
2003年 サムスン電子 経営企画チーム 常務
2004年 S-LCD取締役
2007年 サムスン電子 グローバル顧客統括責任者 専務
2009年 サムスン電子 最高執行責任者(COO)副社長
2010年 サムスン電子 最高執行責任者(COO)社長
●創業者の李秉喆氏が早稲田大学中退後に始めた仕事は実は…
Wikipediaによると、サムスングループを創業した創業者の李秉喆(イ・ビョンチョル)さんは、早稲田大学中退後、馬山にて友人2人と1万円ずつ出資し設立した協同精米所の事業をします。実はこれについては、失敗。その失敗の後、1938年3月1日に大邱で設立した三星商会が今日のサムスングループの始まりだそうです。
略歴
1910年 慶尚南道の大地主 李纉雨の次男として誕生
1934年 早稲田大学を病気で中退
1936年 協同精米所設立
1938年 三星商会設立
1948年 三星物産公司設立
1951年 三星物産設立
1953年 第一製糖設立
1954年 第一毛織設立
1961年 三星物産会長( - 1987年)
1961年 全国経済人連合会(全経連)会長
1963年 東洋放送設立
1964年 韓国肥料設立
1965年 中央日報設立
1965年 成均館大学理事長
1969年 三星電子設立
1974年 三星石油化学設立
1987年 死去
●李健煕(イ・ゴンヒ)氏はなぜサムスン2代目と4代目会長なのか?
執筆時点のトップである李健煕(イ・ゴンヒ)さんは、サムスングループを創業した李秉喆の三男でした。
Wikipediaによると、サムスングループ2代目会長であるだけでなく、4代目会長でもあるのは、裁判で有罪になるなど、問題が起きて辞めているためだったようです。
なお、李健煕(イ・ゴンヒ)さんの場合は、韓国の大学行っているわけでもないために、日本一筋(?)な感じ。ジョージ・ワシントン大学経営大学院はMBAとっているとはいえ、大学としては早稲田大学だけなので、「日本の大学出身」というイメージが強くなっています。
<2008年1月、自宅とサムスン本社が借名口座による政界や法曹界への不正資金提供疑惑で韓国当局から強制捜査を受ける。同年4月22日、借名口座による1000億ウォン台の脱税疑惑に関するサムスングループに対する韓国特別検察官の捜査が終結したのを機に経営刷新案を発表、自らも辞任した。これによりサムスングループの3代目の会長にはイ・スビンが選ばれた。この件で贈与税を回避する形でサムスングループの株式を無償受領したという疑いを受けた長男の李在鎔も最高顧客責任者(CCO、Chief Customer Officer)の役職から退いた。同年7月16日のソウル地裁の判決で、李健熙は譲渡所得税456億円の脱税容疑で懲役3年執行猶予5年、罰金1100億ウォンを宣告された(11年ぶり2度目)。
2009年、ソウル高等裁判所の判決により脱税、株式市場での違法行為、背任行為に対して有罪判決を宣告される(1年ぶり3度目)。
2009年12月29日、李明博は平昌オリンピック招致のために健煕を恩赦することを発表した。2010年3月24日、サムスン電子会長として経営復帰した>
略歴
1965年 早稲田大学商学部卒業
1966年 ジョージ・ワシントン大学経営大学院 MBA課程修了
1968年 東洋放送に入社
1978年 三星物産副会長
1979年 三星グループ 副会長( - 1987年)
1981年 韓日経済協会副会長
1987年 三星グループ会長( - 2008年)
1996年 国際オリンピック委員会委員
1996年 大韓レスリング協会会長
1997年 全斗煥・盧泰愚両元大統領への贈賄事件で有罪となったが恩赦される
1998年 三星電子代表取締役会長
2005年 大韓オリンピック委員会名誉委員長
2008年 不正資金疑惑に対して有罪判決が下される 三星電子代表取締役会長辞任
2009年 李明博大統領により12月31日付で特別恩赦
2010年 サムスン電子会長職に復帰
●最初はなんと砂糖と服地…変わり続けている企業サムスン
残りはついでにサムスンの歴史を。私はもっと日本に関する逸話があると期待していたのですが、全体にあんまり日本に関するエピソードはなくて残念でした。なお、サムスンは当初砂糖と服地の会社で、主力事業が変化し続けている会社です。これは他で書いているように、成功する企業の典型的なパターンですね。
<1930年代、大邱のサムスン商会>
<李秉喆が早稲田大学中退後、馬山にて友人2人と1万円ずつ出資し設立した協同精米所の事業が失敗、その後1938年3月1日に大邱で設立した三星商会が今日のサムスングループの始まりである。1948年には三星物産公司が設立され、引き続き食べ物と着るものが不如意だった当時の状況に、一番需要が高かった分野である砂糖と服地を生産する企業として、第一製糖と第一毛織が作られた>
<サムスンの成長>
<サムスンは60余年間、時代時代に必要だった製糖、纎維、電子、航空及び機械、化学、大型船舶製作、金融など多方面の事業を展開してきた。1993年からは「新経営」を宣言し、量的成長から質的成長へと戦略を変更した。それによって、1999年の2.2兆ウォン(日本円で約2500億円)から2004年の15兆7000億ウォン(日本円で約1兆7000億円)と収益が急増する結果となった>
<1998年のアジア通貨危機>
<1998年の経済危機(アジア通貨危機)では、自動車生産をフランスのルノーに売却し(ルノーサムスンとなる)撤退したが、打撃は比較的少なかった>
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