トルコの話をまとめ。<本当なの?地元のトルコ人も知らない世界で7番目に効く温泉>、<アララト山はディアディン温泉よりもノアの箱舟伝説で有名>、<トルコは個性的な観光地が多い?パムッカレの温泉の方が有名>などをまとめています。
2022/09/13追記:
●有名なカッパドキアは意味も良い「美しい馬の地」という意味だった 【NEW】
●本当なの?地元のトルコ人も知らない世界で7番目に効く温泉
2018/07/28:ANAの機内誌「翼の王国」2018年4月号ANA'S WORLD SCOPEで、フリー記者の増田幸宏さんが、トルコに行ったときの話を書いていました。目当てだったのはアララト山(後述)で、トルコ東端のドウバヤズットを訪れています。ただ、登ったわけではなく、眺めただけ。登ると1週間近くもかかるそうです。
ということで、目的ではなかったのですけど、街から1時間ほどのところに「世界で7番目に効く温泉」があるというのを、たまたま日本のガイドブックで知って行ってみることに。世界7位の温泉であれば、きっとトルコ内では1番手クラスでしょう。これが事実なら現地でも有名なはずです。
ただ、そもそもどのような基準で順位付けをしたのか不明確ですし、日本のガイドブックが勝手に言っているだけなのか、地元の人も知らない…という摩訶不思議なことに。通りすがりの人に場所を尋ねたところ、ああでもないこうでもないと大騒ぎ。現地の人でもみんな知らない謎の温泉のようです。
なぜかひげ面のおじさんにアイスクリームをおごられるなどしているうちに、若い男性という意外な人が知っていて「もう10分くらい先」とやっと判明。「ディアディン」というそうですけど、インフォシーク検索だとヒットしないほど無名なようです。粗末な小屋が複数あり、そこを貸し切って入るしくみでした。日本とは雰囲気が違いますね。
●世界7位とされるディアディン温泉は、硫黄泉の青色の綺麗な温泉
前述の通り、インフォシーク検索だと「ディアディン」の温泉の話は全然出てきませんでした。なので、てっきり日本語情報は全くないのかと思ったのですけど、グーグルで検索すると、
おじさんだってしてみたい!! シルクロード横断, 中国西安からローマまで ディアディン温泉へ(2014/04/26)など、ちゃんといくつかのページがヒットしました。
こちらの<おじさんだってしてみたい!! シルクロード横断, 中国西安からローマまで>を読んでみると、<地球の歩き方によると、ミネラルが多くて世界で7番目に効き目の有る温泉なんだと>と書かれています。やはりガイドブックの話が出ていました。最初に書いた「翼の王国」であった増田幸宏さんの話と同じ元ネタかもしれません。
このシルクロード横断,の方が入ったディアディンの温泉は、「浴槽はプールの様でもうひとつムードは無い」との感想でした。ただ、「硫黄泉の青色の綺麗な温泉」とあるように、温泉そのものの見た目は非常にきれいですね。「世界で7番目に効く温泉」という妙な売り文句じゃなくても、魅力を伝えられそうです。
●アララト山はディアディン温泉よりもノアの箱舟伝説で有名
なお、最初に名前が出てきたアララト山というのは、『旧約聖書』にでてくるノアの箱舟が大洪水の後、流れ着いたとされる山と目されています。現在のアララト山頂から見つかった古い時代の木の化石や、航空写真から見出だした方形の船の跡らしいものをノアの箱舟の痕跡だとし、ノアの箱舟伝説が実証されたと主張する人もいるとのこと。(
アララト山 - Wikipediaより)
ノアの方舟うんぬんはあれですけど、山の良い写真はありました。
●トルコは個性的な観光地が多い?パムッカレの温泉の方が有名
2018/07/28、2019/11/12:ディアディンじゃないのですけど、別のトルコの温泉パムッカレの写真も見つけました。こっちは「世界で7番目に効く温泉」と違って、かなり有名みたいです。個性的ですね。
Wikipediaでは、ヒエラポリス-パムッカレという名前を項目に採用。世界遺産です。パムッカレとは、トルコ語で「綿の宮殿」という意味。昔からこのあたりが良質の綿花の一大生産地であったためだとのこと。ヒエラポリスというのは、2世紀頃、存在したローマ帝国の都市名のようで、まとめてこう呼んでいるみたいですね。
パムッカレは写真を見てわかるように、今の見た目は綿と全然関係ありません。石灰華段丘からなる丘陵地です。二酸化炭素を含む弱酸性の雨水が台地を作っている石灰岩中に浸透し、炭酸カルシウムを溶かした地下水に。その地下水が地熱で温められて地表に湧き出て温泉となります。さらにその温水中から炭酸カルシウム(石灰)が沈殿して、純白の棚田のような景観を作り出しました。めちゃくちゃ良いですね、これ。
ついでに私が好きなカッパドキアの写真も。トルコはいろいろ見どころある個性的な観光地がありそうです。
●有名なカッパドキアは意味も良い「美しい馬の地」という意味だった
2022/09/13追記:私が好きだと書いた「カッパドキア」の話を補足。
ウィキペディアを見ると、かなり詳しく書いていて、いくらでも紹介できる話がありそうでした。とりあえず、まず呼び名の由来などの話。私は「カッパドキア」という言葉の響きも好きなのですが、意味も「美しい馬の地」といういい感じのものでした。
<カッパドキア(ラテン語: Cappadocia)はトルコの中央アナトリアの歴史的地域、あるいはアンカラの南東にあるアナトリア高原の火山によってできた大地をいう。
古代の地理においてCappadocia(「美しい馬の地」を意味するペルシア語: Katpatukに由来、トルコ語: Kapadokya, ギリシア語: Καππαδοκία)は、小アジア(現代のトルコ)の広大な内陸地域を指した。
(引用者注:紀元前484年頃に生まれ、紀元前425年頃に没した古代ギリシアの歴史家)ヘロドトスの時代には、「カッパドキア人」がタウロス山脈から黒海)までの全域をなしていた。この意味でのカッパドキアは、南ではタウロス山脈と、東ではユーフラテス川と、北はポントス地方(黒海沿岸部)と、西はおよそトゥズ湖と境界を接していた。
だが、その境界を正確に定義することは不可能である。その国の多少とも詳細な記録を記したただ一人の古代の著述家ストラボンは、その大きさを非常に誇張したが、現在は長さ約250マイル(引用者注:約400km)、幅150マイル(引用者注:約240km)以下の範囲だったと考えられている>
カッパドキアという呼称の最初の記録は、紀元前6世紀後半。2人のアケメネス朝初期の王ダレイオス1世とクセルクセス1世について3言語で書かれた碑文に、ペルシア帝国を構成する一地方(古代ペルシア語でdahyu-「州」)として登場したのが最初だといいます。その後、分割が行われて、この範囲が定着したそうです。
<ペルシア帝国後期の皇帝の支配のもとで、彼らは2つのサトラペイア、すなわち行政区に分割された。中央と内陸の部分を含む一方に対して、ギリシアの地理学者によってカッパドキアの名前が使われ続け、そして他方はポントスと呼ばれた。この分割はクセノフォンの時代以前に既になされていた。 ペルシア帝国滅亡後も2つの州は分離され続けたので、両者の区別は恒久化された。カッパドキアは内陸の州(時に大カッパドキアと呼ばれる)に限定され、これのみが本稿の焦点となる。>
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