忠臣蔵では悪役でおなじみの吉良上野介。ただ、彼が極悪人であったという証拠はないようで、最近はむしろ擁護しかない状態のようです。浅野内匠頭が吉良上野介を恨んだ…と言われるのも、これまた証拠もなし。吉良上野介は人から好かれるタイプではなかったようですが、地元では名君とされているそうです。
2009/12/22:
●日本一の悪役吉良上野介、最近ではむしろ擁護ばかりで悪人説が皆無
●天皇の勅使が来て接待の仕事がある中で江戸城内で殺傷…の重大性
●むしろ評価してくれていた浅野内匠頭が吉良上野介を恨んだ理由は?
●地元では名君の評価!ただ、吉良上野介が嫌なやつであった証拠も?
2022/05/25追記:
●忠臣蔵のせいで悪役に…もうひとりの忠臣蔵の犠牲者、徳川綱吉
2022/08/05追記:
●「日本のドラマ・小説は海外と違って史実」が1番人気コメントに 【NEW】
●日本一の悪役吉良上野介、最近ではむしろ擁護ばかりで悪人説が皆無
2009/12/22:『忠臣蔵』の敵役としてお馴染みの吉良上野介(きらこうずけのすけ)。
Wikipediaでは、吉良義央(きらよしひさ)という名前を採用しています。この義央はかつては「よしなか」と読まれていたそうです。また、通称は左近といったとも書かれています。
日本史上最も有名な悪役の一人であろう、上野介お爺ちゃま。ただ、私はこれは多分に作られたところがある気がして、どっちかと言えば、斬りつけた方が悪いんじゃないの?と、ずっと気になっていました。これはかなりひねくれた見方かもしれませんが、どうも従来の考え方はしっくり来ません。
ところが、検索してみると、そもそも吉良の擁護ばかりで、単純な悪役としている文章は、検索上位に見当たらないという想定外の状態。これだけ見ると、私の見方は「ひねくれた見方」どころか王道の見方。実際には従来型の見方も残っているとは思うのですが、この検索結果には驚きました。
●天皇の勅使が来て接待の仕事がある中で江戸城内で殺傷…の重大性
問題の松の廊下の事件は、元禄14年(1701年)3月14日。東山天皇の勅使などの饗応役(接待役)だった浅野内匠頭長矩に、吉良上野介は額と背中を斬りつけられます。よりにもよって、江戸城内で刀を抜くのですから、この時点でたいへんな事件です。はっきり言って、正気とは思えません。
現在で言うと、国会議事堂内で与党の政治家が同じ与党の同僚政治家に怪我を負わせるほどの激しい暴行をした…って感じですかね。暴行された政治家が意地悪なやつだった…としても、暴行した政治家がやはり問題あるとわかりますよね。吉良は「拙者何の恨うけ候覚えこれ無く、全く内匠頭乱心と相見へ申し候。且つ老体の事ゆえ何を恨み申し候や万々覚えこれ無き由」と、取調べに答えています。
また、「浅野は激怒した将軍徳川綱吉の命により、即日切腹となった」というのも、従来の理解ではおかしいと問題視されるところ。「徳川綱吉の判断はおかしい。浅野内匠頭に厳しすぎて、吉良上野介には甘すぎる」といった理解です。ただ、これも前述の国会議事堂の例で考えると変だとわかるでしょう。
江戸城内でこのようなことを起こすことは、当然幕府にとっても看過し難いことですので、厳しい処分がくだされて当然。たとえ恨みがあったにせよ、場所を選ぶでしょうし、天皇の勅使などの饗応役としての役目がある中で、タイミングも最悪でした。天皇絡みですし、今なら右派ほど怒る案件です。
さらに、浅野が元々短気でかんしゃく持ちだったという話も残っています。加えて、本来突く武器であるはずの脇差で斬りかかったという、不自然な点も見られました。吉良が浅野に対して表現した「乱心」とは気が狂うの意味ですが、浅野はまさにそのような状態にあったのだと思います。
●むしろ評価してくれていた浅野内匠頭が吉良上野介を恨んだ理由は?
ところで、その恨みについては、様々な説が出されています。そして、どれも信頼できるものではないようです。「
吉良上野介を弁護する (文春新書)
」という本なんかは、「内匠頭への賄賂の強要もイジメもなかった、藩同士が塩の販売をめぐって争っていたわけでもなかった」とすべて否定していました。
そもそも浅野内匠頭を饗応役として推薦・承認したのは、他ならぬ吉良上野介であり、それ以前に浅野内匠頭が饗応役をしたときも、吉良上野介が指南役でした。つまり、吉良上野介がわざわざ浅浅野内匠頭を指名してくれていたんですね。重要職を任さてくれたという状況です。
「いじめるために選んだんじゃないの?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それも考えづらいところ。浅野の接待が失敗して責任を取らされるのは、その指導者である吉良であるため。わざわざ自らを危うくするような人物を選ぶとも思えません。そういう意味では、吉良は浅野の能力を見誤ったのですけどね。
●地元では名君の評価!ただ、吉良上野介が嫌なやつであった証拠も?
ただ吉良が嫌われるタイプの人だったというのも、また事実のようでした。「いじめ」に関してはほとんどが後世の創作ですが、嫌われ要素としてはいくつか信頼できそうな記述もあるようです。また、息子を養子にやった米沢の上杉家にいろいろとお金を出させたために、上杉家からも疎まれていたそうです。
吉良家は高家筆頭と呼ばれるほど格式が高く、吉良流の作法は当時最も権威ある流儀でしたので、吉良自身にも驕りがあったのかもしれません。一方、地元では、吉良は黄金堤による治水事業や富好新田をはじめとする新田開拓で、逆に名君とされているとのことでした。
ただ、「地元での評価は汚名を着せられた領主に対する同情によるところが大きいと思われる」ともあり、公平な評価とも言えない感じではあります。…ということで、非の打ち所がなく皆から慕われるような人ではなさそうですが、日本史上最大の悪役とまでされるのは、ちょっとかわいそうな感じですね。
●忠臣蔵のせいで悪役に…もうひとりの忠臣蔵の犠牲者、徳川綱吉
2022/05/25追記:
変わる教科書の徳川綱吉と生類憐れみの令の評価 名君と動物愛護を読み直していて、徳川綱吉もまた吉良上野介と同様に、史実ではない創作である忠臣蔵によって悪役とされた犠牲者なんだな…と思いました。当時読んだ徳川綱吉の
Wikipediaでは、「現代においての評価の低さはドラマによるところが最も大きい」と指摘していたのです。
徳川綱吉の場合、現代の作り物のドラマによって悪いイメージ…というのは、『忠臣蔵』だけでなくもうひとつ国民的な大人気のドラマも関係。『水戸黄門』です。徳川綱吉がドラマに登場するのは基本的に『忠臣蔵』関連か『水戸黄門』関連のドラマなのですが、どちらも悪役での登場。徳川綱吉もかわいそうですね。
<『忠臣蔵』(元禄赤穂事件)では大抵の場合、高家吉良義央が浅野長矩をいじめる姿が描かれる。その結果、浅野にのみ切腹を命じて吉良の罪をとわなかった綱吉には「いじめっ子」に加担したかのような否定的イメージが付きまとってしまう。このことも、綱吉の評価を実際以上に低めていると言える。
そして綱吉のもう一つの不運は『水戸黄門』(徳川光圀)の存在である。光圀には生類憐れみの令に抗議して犬の毛皮を送ったという逸話を中心に綱吉に直言したという記録がいくつかあるため、水戸黄門の物語中では悪役を割り当てられてしまっている。また、光圀が『大日本史』を編纂し、綱吉が自ら易経を講じるなど、類似した方向性を持っていたことから、水戸黄門ファンの中には、黄門を持ち上げるためにことさらに綱吉をけなすという風潮もある>
●「日本のドラマ・小説は海外と違って史実」が1番人気コメントに
2022/08/05追記:テレビ局媒体のニュースはすぐに削除されてしまうのですが、<「意外とイケメン」40代の伊達政宗 顔つきは? 伊達政宗公の顔が最新技術によって復元 一般公開 仙台>(22/8/3(水) 20:32配信 仙台放送)という話がありました。こういう顔の復元みたいなものは、ちょくちょくありますね…。
<仙台藩の初代藩主、伊達政宗公の顔が最新技術によって復元されました。今回、復元された顔は40代のころの政宗。「独眼竜」と称えられたその顔とは…。
(中略)瑞鳳殿(引用者注:記事では説明ないが、仙台市にある仙台藩祖伊達政宗の霊廟、もしくはこれを運営する公益財団法人瑞鳳殿のこと)と茨城県の国立科学博物館が実際の政宗のものとされる頭の骨から作られた模型をもとに、4カ月ほどかけて共同で制作。(中略)
この政宗の復顔像は8月3日から8月15日まで、青葉区の地下鉄東西線、国際センター駅で見ることができます>
https://news.yahoo.co.jp/articles/acc861dab8c21f60d3535f8d0ffc0309a7757eda
伊達政宗の話そのものは、このページとは全然関係ありません。ただ、ヤフーニュースの1番人気コメントが「日本のドラマや小説などはある程度は史実に基づいて作ってるだろうから、容姿についても醜男がかけはなれてイケメンになることは少ないと思われる」というものだったので驚いたのです。
わざわざ「日本の」と限定して書いていますので、海外と違って日本のドラマや小説などはある程度は史実…というニュアンス。ただ、もともと書いていたように、日本のドラマ・小説も創作だらけ…。ヤフーニュースコメントは特に変なことが多いとは言え、これがよりによって1番人気になってしまうというのは日本ヤバイ…という感じです。
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