「衝撃の事実」と書いちゃったのですが、飽くまで説の一つであり確定ではない話。中世・ルネサンス文学の専門家らによると、シェイクスピアは悪徳商人で民衆からむさぼりとって大儲けしていたことが、当時の記録からわかるといいます。おまけに税金もちゃんと支払ってなかったみたいですね。
その後、<シェークスピアの正体説もあったライバルのマーロウ、実は共作?>などの話を追記しています。
冒頭に追記
2022/12/26追記:
●シェークスピアの正体説もあったライバルのマーロウ、実は共作? 【NEW】
心を支えるシェイクスピアの言葉 河合 祥一郎 (著)

●シェークスピアの正体説もあったライバルのマーロウ、実は共作?
2022/12/26追記:シェークスピアの正体…という話ではないのですが、2016年11月10日に
シェークスピア「ヘンリー6世」に共作者 研究者ら認定: 日本経済新聞という記事が出ていました。これまでもシェークスピアのいくつかの作品に共作者がいたと指摘されてきたのですが、作者の名前が公式に認められたのは初めてだといいます。
<英国を代表する劇作家シェークスピア(1564~1616年)の「ヘンリー6世」3部作が、ライバルと目されてきた同時代の劇作家クリストファー・マーロウ(1564~1593年)との共作だったと、英オックスフォード大の全集が認定した。英メディアが10日までに報じた。
(中略)今回の研究では44作品のうち17作品に共作者がいたとの結果が出た。これまで考えられていたよりも多いという>
<マーロウは「フォースタス博士」などの作品で知られ、ヘンリー6世の一部を担当したのではないかとの見方が長年出ていた。資料があまり残っていないシェークスピアは実在せず、マーロウ自身が本当はシェークスピアだとする説さえあった>
「作者の名前が公式に認められたのは初めて」ってどういう意味かな?と思ったら、<シェークスピアの全集「ニュー・オックスフォード・シェークスピア」の「ヘンリー6世」の第1、2、3部それぞれについて、作者として2人の名前を併記することになった>のことを言っているみたいですね。
今回の研究は、英米など23人の研究者がコンピューターで作品の文章の構造などを解析した結果。全集の編集責任者は「彼らが影響を及ぼし合っていただけでなく、共に作品を書いていたことは間違いない。ライバルは時に協力するものだ」と話していたそうです。
●シェイクスピアは自身の作品「ベニスの商人」の悪役顔負け
2013/7/19:誰も読まないんじゃないかなぁと思いつつ、趣味で書いた
孔子は聖人ではない・論語は格下 礼儀知らず・無知・出世主義の人?ですが、それと似たような印象を受けるタイトルの記事を見つけてストックしていました。
これは、"「シェークスピアの本性は守銭奴」英国研究者ら衝撃リポート"(配信元:産経新聞 2013/04/28 14:45更新【岡田敏一のエンタメよもやま話】、リンク切れ)という記事。以下のような内容です。
<貧しい人々の立場に立ち、彼らの権利を擁護するため数々の名作を世に送り出したといわれる彼ですが、今回、明かされたもうひとつの顔は、代表作「ベニスの商人」に登場する非情な金貸しシャイロック顔負けの笑えない金の亡者ぶりだったのでした…。
3月31日付英紙デーリー・メール(電子版)やAP通信など欧米メディアが一斉に報じていますが、今回の研究結果を発表したのは英西部ウェールズにあるアベリストウィス大学で中世・ルネサンス文学を教えるジェーン・アーチャー教授と、同僚のリチャード・マルクグラフ・ターリー教授、ハワード・トーマス教授の3人です>
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/art/650133/
●弱みにつけこむのが上手、有力地主の立場を利用して大儲け
欧米メディアが一斉に報じているとのこと。特にイギリス人にとっては一大事でしょうね。記事によると、3人はいずれも中世・ルネサンス文学の専門家。裁判所や税務署に残されていた当時の記録を詳しく調べたといいます。
シェイクスピアが作品群を発表した16世紀末から17世紀の欧州は、異常な寒波のなか激しい雨が降り続く“小氷河期”で、穀物はまともに育たず食糧不足が顕在化する飢饉状態が長く続いたそうです。
そんな時代に彼は、故郷の街ストラトフォード・アポン・エイヴォンを含むイングランド中部ウォリックシャーで最も有力な地主であるという自身の立場を利用し、麦芽や大麦、トウモロコシといった穀物を買い占め、15年以上にわたって近隣住民や商人に法外な値段で転売したというのです。人の弱みに徹底的につけ込みまくるとんでもない悪徳地主ですね。
●この世に悪は栄える!脱税悪徳商人で守銭奴という衝撃の事実
大げさに言っているだけかな?と思いましたが、上記の内容を見ると十二分にひどいです。しかも、さらにすごいのがこの後だったというのが驚き。大悪人です。
<彼が穀物の値段をつり上げたため、多くの人が長年、困ったことは言うまでもありません。ところが彼は、こうした悪徳商法で得た利益で今度は土地をどんどん購入。
大儲けしているくせに税金はビタ1文払わず不正蓄財に奔走。揚げ句の果てに、余剰資金で貸金業まで行い始めたといいます。何なのでしょうね。このお金への異常な執着ぶりは>
民衆からむさぼってもお咎めなし…理不尽だなぁと思ったら、一応当局は動いたようです。1598年2月、穀物の不正蓄財と脱税の疑いで当局から起訴され、刑務所行き寸前のところまで追い詰められました。とはいえ、罰金刑で何とか逃れたといいますので、十分に罪を償った感じではありませんね。この世に悪は栄える…という例に見えます。
●自身の経験を活かして作品にしたシェイクスピア、償いでもある
上の事実を明らかにした研究者らは、一応シェイクスピアを叩きたいわけではなく、アーチャー教授は以下のように擁護しています。
「ロマンチックで繊細な芸術家という従来のシェークスピアのイメージにそぐわないからといって、彼を厳しく非難すべきではない」
「穀物の買い占めは、収穫に失敗した際、自身の家族や近隣住民を飢えから救う手段でもある」
また、アーチャー教授らは、今回の研究成果について、1608年ごろに執筆されたシェークスピア悲劇末期の作品で、貴族の無神経な振る舞いに不満を募らせていたローマ市民たちが、食糧不足を機に暴動を起こす「コリオレイナス」をはじめとする彼の作品群の解釈に新たな光を照らすものであるとも説明しています。
これは、どういう意味でしょうか。まず、「コリオレイナス」はこれまで、彼の生存中の1607年に英国中部で実際に起こった食料危機への抗議活動との関連性が指摘されてきました。そして、アーチャー教授は「(穀物の買い占め・転売といった)自分の行いへの罪の意識を反映させた作品」との新解釈をつけています。
また、今回の研究では、悪徳商売で大儲けしたお金に関し、相続問題で実の娘と大もめにもめたことも明らかになっており、こうした体験が、娘に追い出された父王の孤独を描く「リア王」に反映されていると分析しています。でも、果たしてこれが罪の償いになるのかどうか…とは思いますけどね。
●正論や美談を大声で言うやつは大抵悪いやつ!正体を聞いて納得
一方、記事を作った産経新聞の岡田敏一さんは容赦無い感じでした。
<長年新聞記者をしていて分かったことのひとつは、人前で正論をとうとうと説教したり、涙ながらに感動秘話や美談なんかを語る連中というのは、大抵、マルチ商法の親分だったり、詐欺の常習犯だったり、家で家族を血が出るまでシバいていたり、近隣住民から小銭借りまくったままどこぞに飛んだ過去があったりといったロクでもない連中であるということです。そういう意味で考えると、シェークスピアが悪徳商人だったという話を知って、個人的には「やっぱりそうか…」と大いに納得したのでした>
そうですね、ワタミの渡邉美樹元会長もいろんなところに呼ばれて、経営を語ったり、福祉や高齢者について語ったり、寄付やら何やら大好きだったりで、自身の有利になる感動話なんかもお得意ですからね。挙げ句、政治家にまでなってしまいました。そういった人たちに一定数まがい物が含まれているということはあると思います。
岡田敏一さん「はニヤニヤ(ニコニコ?)している人の方が悪いやつだ」ということまで言っていて、それはさすがに極端。ただ、少なくとも「人は見かけによらない」という古くから知られている言葉は、今も変わらずとても重要だと言えそうです。
●シェイクスピアが悪徳地主だったって本当?Wikipediaでは…
2020/03/18:上記の話は飽くまで説の一つ…と書いていたのですけど、ふと
ウィリアム・シェイクスピア - Wikipediaを確認してみたところ、「生涯」「前半生」のところには全然違う話が載っていました。やはり有力ではない説なのかもしれません。
まず、ウィリアム・シェイクスピア本人ではなく父であるジョン・シェイクスピアの話ですが、裕福であったことや悪いことをやっていたことは書かれています。ただ、ウィリアム・シェイクスピア本人ではないエピソードであるがために、上記のシェイクスピアが悪徳地主だったという説とは関係してきません。
<ウィリアム・シェイクスピアは1564年にイングランド王国のストラトフォード=アポン=エイヴォンに生まれた。父ジョン・シェイクスピアはスニッターフィールド出身の成功した皮手袋商人で、町長に選ばれたこともある市会議員であった。母メアリー・アーデンはジェントルマンの娘であり、非常に裕福な家庭環境であった>
<父はシェイクスピアの生まれたころには裕福であったが、羊毛の闇市場に関わった咎で起訴され、市長職を失った>
1582年11月29日、18歳のシェイクスピアは26歳の女性アン・ハサウェイと結婚。結婚後、ロンドンの劇壇に名を現わすまでの数年間に関するその他の記録はほとんど現存していないそうです。1592年ごろまでにシェイクスピアはロンドンへ進出し、演劇の世界に身を置くようになっています。
この間の事情については、「鹿泥棒をして故郷を追われた」「田舎の教師をしていた」「ロンドンの劇場主の所有する馬の世話をしていた」などいくつかの伝説が残っているのですが、いずれも証拠はなく、これらの伝説はシェイクスピアの死後に広まった噂であるとされていました。
地主となったのはこの後有名になってからじゃないかという可能性も考えましたが、Wikipediaではそもそも地主であったことすら書かれていません。重要じゃないということで省かれている可能性があるものの、最初に紹介した説は全く支持を得ていないのではないかと思われます。
心を支えるシェイクスピアの言葉 河合 祥一郎 (著)

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