2018/04/02:
日本国内の移民 北九州から2万人移住の千葉県君津市
君津市、大移動により九州文化に染まる
今も君津市に残る北九州市文化
移住民と地元民の融和をはかる「やっさいもっさい踊り」
当時の人口の3分の1が移住者か?
●日本国内の移民 北九州から2万人移住の千葉県君津市
2018/04/02:1960年代後半に八幡製鉄(のちの新日鉄)が工場を作り、日本史上にも残る「民族大移動」が起きたと書かれていた千葉県君津市。工員やその家族などおよそ2万人もの北九州人が、やってきたそうです。
当時の人口を調べたものの、古い人口が見つからず。ただ、地域的には君津市内でも特定の地域に集中したと考えられますので、かなりの占拠率だったのでしょう。
朝日新聞1970年2月23日号によると、君津町立大和田小学校の場合、1135人中転校生は800人。また、八重原小学校は1974年に1432人となり、県下一のマンモス校となったといったそうです。
●君津市、大移動により九州文化に染まる
こういった話があったのは、
50年前に2万人の移住で九州文化が大流入! 千葉県君津市はまだ少し九州だった - デイリーポータルZ( 2018年2月13日)。
記事では「北九州」「福岡」といった言葉が使われているものの、八幡製鉄所は福岡県北九州市にありましたので、流入したのは、おそらく正確には「北九州市文化」なのだと思われます。以下のようなエピソードがありました。
<当時>
・君津ではもっぱら北九州の方言が使われ、九州料理が出すお店がたくさん登場し、九州カルチャーが街を占拠した。
・そば屋では、味は九州人にあうように薄口にし、寿司屋はシャリを少し甘くし、北九州産の地酒を用意した。その店で聞く言葉は九州弁だらけ。
・「こうちゃり」(買って下さい)「いやろ」(いいでしょう)などの九州弁のほか、「いっしょんべ」(一緒に出すよ)など、君津弁を九州風に短縮したミックス方言も生まれた。
・「ジャンケンポン」のかけ声までが「ジャンケンシー」に変わり、地元の子が「ジャンケンポン」と言うと大勢の九州人のクラスメートから笑われ、泣いて帰った。その親が「ジャンケンシーってなんだよ!」と小学校に怒鳴り込んだこともあるとか。
(引用者注:検索すると、北九州市は「どっこいし」とのこと。博多だと「じゃいけん しっ」、福岡市だと「じゃんけんしっし」の記述は確認)
・八幡風やきとりのお店があった。
・スーパーは関東で一般的ではない正月の丸餅をそろえ、しょうゆ棚には大分産「フジジン」が並んでいた。
●今も君津市に残る北九州市文化
ただし、地元の人に聞くと、「(九州を感じるものは)無くなってきたなぁ……」という声が多かったとのこと。紹介されたお店はことごとく閉店していましたが、以下のあたりは北九州市文化の名残です。
<現在>
・大量移住者のためのラーメン屋が多くでき、今ではその味が君津の味になっている。「古くからの豚骨ラーメンが食べたければ、九州よりむしろ君津に行った方が良い」とまで言われている。福岡にある月見ラーメンも提供。
・おでんと一緒に食べられる北九州式おでんがある。塩辛いのが特徴の福岡風の醤油。九州のおでんダネの王様・餃子巻きもある。
・「豚まん」や九州人がひそかに愛した「高菜まん」を売るお店がある。
・出身者が多い宗派の寺がなく、法事になると九州に里帰りする人も多いほどだったため、浄土真宗である築地本願寺の君津出張所「光明寺」が1973年に建立される。
●移住民と地元民の融和をはかる「やっさいもっさい踊り」
君津市の名物「やっさいもっさい踊り」は、九州からの移住民と地元民の融和をはかろうと1974年にはじまったものだそうです。やっさいもっさい」は木更津甚句のはやしことばで、掛け声の「おっさ」は木更津方言で「おお、そうだよ」の意味、歌詞の「みんなの故郷だから」「みんながお隣同士だから」といった意味だそうです。
逆に言うと、これは当時トラブルがあった証拠かなと思いました。記事の場合は終始「いい話」になっているのですけど、記事だけじゃなくて検索しても悪い話はなし。Wikipediaの「やっさいもっさい踊り」「君津市」「新日鐵住金君津製鐵所」にもそういう説明はありません。
あと、文化流入とは関係ないのですけど、大和田団地の四角くて無骨な11階建て高層アパートは、建築当時「超モダン」と評されていたシロモノだとあって、感覚の違いを感じ印象に残りました。
●当時の人口の3分の1が移住者か?
最後に
はてなブックマークの感想からも。
Satoooon 逆に佐賀県には元寇の際下総から千葉氏が派遣されて土着化したりしてる。九州と千葉は意外と縁が深い。
itamae 「九州から移住が多かった一宮市もこんな文化は無いので、一斉に移住がポイントなのかも
rakko74 醤油は紀州からだし、白浜や勝浦といった地名があったりで、房総は元々紀伊半島からの影響も大きいし、西の文化が入りやすい場所なのかもなぁ。
moonspell すっごい昔の話になるが、父が新日鉄関連会社勤めで東京から君津の大和田団地に引っ越してビックリしたのがこれ。千葉県なのに福岡県だった。スーパーではおきゅうとが売ってたし、薩摩揚げを天ぷらと呼ぶ。
人気ではないコメントからも。ここでは当時4万人程度だったという話が出ていました。
tmfmysd 北九州も八幡製鉄以降の移民で出来た街なので、さまよえる労働者達の歴史を感じる
denilava 君津市はその以前の市民数は4万人強だったのでこれにより30%が九州民になった。企業の誘致なので当然若い世代が多く子供たちの九州民率は更に多かっただろうし客の多くが新日鉄なら店もついて行って移転しただろう。
おそらく日本ではあまりない例でしょう。めちゃくちゃ良い研究材料だと思うのですけど、研究みたいなのないんですかね?
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