別に有力でもなんでもないのですが、黄金の島ジパングというのは、実は日本のことではないという説があるそうです。もし黄金の島ジパングが日本ではないとわかったらがっかりするという人もいるかもしれませんが、冷静に考えるとそいういうものでもないでしょう。マルコ・ポーロの『東方見聞録』はいい加減で、ジパング以外にもある黄金島伝説もいい加減。また、実際、日本は黄金の島なんてことはありませんでした。がっかりするようなことでもないと思われます。
2022/12/15追記:
●西洋では東に黄金の島があると考える一方、日本は西に極楽浄土 【NEW】
●東方見聞録も黄金の島ジパングという伝説もそもそもデタラメ
2017/12/22:冒頭でも書いたように、黄金の島ジパング=日本にこだわる必要はないんじゃないの?という話を先にします。まず、日本が黄金であふれている島だと主張する人はあまりいないでしょう。これは事実ではありませんので、黄金の島ジパングが日本じゃなかったとしてどうってことありません。
黄金の島ジパングが書かれたマルコ・ポーロの『東方見聞録』というのも、もともとかなりでたらめな記述を含むもので、ジパング=日本だったら、日本人が嫌になってしまうような不名誉なことも書かれています。それから、金や銀が豊富に産出される「金島」「銀島」があるとして探し回るという「金銀島探検」というのは、ジパング以外でもあり、これらも全部デタラメ。そういういい加減なものなんですわ。
黄金の島ジパングが日本でないという証拠があるのなら、それに対し感情的になっても仕方ないのですが、黄金の島ジパングという伝説は。そもそも事実を捻じ曲げてまで守ろうとするほどのものではないと思われます。
では、1300年頃の口述を元にしたとされるマルコ・ポーロの『東方見聞録』では、どのような話があったか?という話。ここでは、「ジパングは、カタイ(中国大陸)の東の海上1500マイルに位置する独立した島国であり、莫大な金を産出する」と書かれていました。これが日本であったら日本人が喜びそうな「人々は礼儀正しく穏やかである」という記述もあります。
これを日本だとするのは、マルコ・ポーロが伝え聞いたジパングの話は、平安時代末期に奥州藤原氏によって平安京に次ぐ日本第二の都市として栄えた奥州平泉の中尊寺金色堂がモデルになっていると考えるため。当時の奥州は莫大な金を産出し、これらの財力が奥州藤原氏の栄華の源泉となったとされています。
(
ジパング - Wikipediaより)
また、元寇を思わせる以下のような記述があることも、日本説を後押しするものです。
<モンゴルのクビライがジパングを征服するため軍を送ったが、暴風で船団が壊滅した。生き残り、島に取り残された兵士たちは、ジパングの兵士たちが留守にした隙にジパングの都を占領して抵抗したが、この国で暮らすことを認める条件で和睦して、ジパングに住み着いたという話である>
ただ、モンゴルがジパングの都を占領したという事実はなく、やはりおかしな話が混じっているといえますね。本題ではありませんけど、蒙古襲来が暴風雨で壊滅したという説も、
元寇の真実、神風なんてなかった 呼び方も「蒙古襲来」が正しい?でやったように怪しい話。当時の宗教家らが宣伝のために言っていた可能性があります。いつの時代にも迷惑な宗教家がいますね。
●人食い人種という記述もマルコ・ポーロ『東方見聞録』にはある
一方で、東方見聞録のジパングの記述が当時の日本の記述として正しいとしたら、日本人は嫌だと思う記述もあるんですよ。東方見聞録には、捕虜を騙して殺して食ってしまう民族だと書かれていたのです。ただ、こういうのは都合の悪いところだけ事実ではないとして、都合の良さそうなところだけジパングのことだと言っちゃうという手もあります。それは人としてどうなの?って気はしますけどね。
「ジパング諸島の偶像教徒は、自分たちの仲間でない人間を捕虜にした場合、もしその捕虜が身代金を支払えなければ、彼らはその友人・親戚のすべてに『どうかおいで下さい。わが家でいっしょに会食しましょう』と招待状を発し、かの捕虜を殺して――むろんそれを料理してであるが――皆でその肉を会食する。彼等は人肉がどの肉にもましてうまいと考えているのである」
ちなみに上記出ててきた「偶像教徒」というのは、神様や仏様の像、木や岩石などの形象物などを崇拝する宗教の人らのことをいいます。日本では一般的でどうってことないことなですが、偶像崇拝禁止のキリスト教徒からすると野蛮人といった偏見があり、上記もネガティブなニュアンスだと思われます。
●黄金の島ジパング、実は日本じゃない?金銀島探検はいい加減
上記で見てきたように、いい加減なものですので、マルコ・ポーロのジパングが日本のことを指すという見方が現在一般的であるものの、以下のような理由で異説もあるそうです。
(1)中世の日本はむしろ金の輸入国であり、黄金島伝説と矛盾する。
(2)マルコ・ポーロの記述やその他の黄金島伝説ではツィパングの場所として(緯度的にも気候的にも)明らかに熱帯を想定しており、実際の日本(温帯に属する)の位置とはかなり異なる。
(3)元が遠征に失敗した国は日本以外にも多数存在する。
それから、最初で書いた金銀島探検のいい加減さについてももう少し補足。伝説の発祥は古代インドとも言われ、1世紀のローマ帝国の地理書には、インダス川の東方に金島・銀島が存在すると記されていました。また、金島を「ジャバ・デビバ」とも呼び、現在のジャワ島やスマトラ島にあたるとも考えられていました。当然これもウソなんですけどね。
で、このジャワ島などの件がウソが判明すると、いい加減なことに別のところに金銀島があるはずと彼らは考え出します。金銀島が絶対あるという思い込みが最初になっているんですね。で、でっち上げられたのが、「黄金の島」・ジパングなわけです。ところが、前述の通り、これも完全なウソ。16世紀にポルトガル人が日本に来訪し、実際には金の産出量がそれほどでもないことがわかってしまいます。
さらにいい加減なのは、日本には豊富な銀鉱山があるので、「金島」じゃなくて「銀島」だった!と考えてしまったこと。そして、東方の太平洋上に、別に「金島」が存在するという考えが登場するようになりました。加えて、日本が鎖国の体勢に入って貿易が困難となると、別の「銀島」を探す風潮が生まれたということで、めちゃくちゃでした。
(
金銀島探検 - Wikipediaより)
●黄金の島ジパングはフィリピンだった?フィリピン説で喧々囂々
ところで、「私の考えではなく」としており、積極的に主張しているわけではないようですが、「黄金の島」ジパングについては、フィリピンの可能性を指摘している人もいるそうです。2003年に国学院大に提出した博士論文を下敷きに、スペイン在住の的場節子さんが出版した著書『ジパングと日本』(吉川弘文館)というのを出版して、その中にフィリピン説が出てきます。
先程もあったように、「モンゴル海軍の遠征はほかにもあり、見聞録は東南アジア遠征の記録では」と的場さんは指摘。また、スペインやポルトガル、イタリアの図書館、修道会などを回り、大航海時代の多数の文書や地図を10年がかりで集めて読み解いたところ、シャンパグなどの名前で黄金島はたびたび登場するが、位置的には熱帯になっていたことも指摘。
特にスペインが手中にしたフィリピンについては、どこで金が取れるかなどの黄金情報があふれていたことに注目。一方で、日本では金がとれるのかなどの情報は見あたりません。さらに、地図を見ると日本は東というよりは北っぽいところ。島ではなく半島との認識もあったようです。
(
asahi.com:黄金の島「ジパング」実はフィリピン? 2007年09月04日10時48分より)
これに対して、賛否両論出ていました。ジパング=フィリピン説で喧々囂々の議論があったようです。
五野井隆史・東京大名誉教授(日本キリスト教史)「日本を間違って描いたのではなく、日本ではない場所を紹介したと考えたほうが理解しやすい」
シャルロッテ・フォン・ヴェアシュア・仏国立高等研究院教授(東アジア史)「黄金島は本当に日本なの、との疑問は欧州でも以前からあるが、それならどこなのかとの素直な問いに、初めて一つの答えが示された」
杉山正明・京都大教授(モンゴル史)「見聞録の成立は13世紀末ではなく14世紀後半で、マルコ・ポーロの名で多くの人の経験や物語が盛り込まれた。内容に矛盾があるのはそのため」「確かにジャワ島遠征の記事が混入している可能性があるが、骨格は弘安の役と合致しており、黄金島が日本であるのは間違いない」
ただ、ここまで見てきたようにそもそもがいい加減なものですので、ズバッとここがジパングだ!と言えないかもしれませんよ。だって、黄金の島なんてどこにも無かったんですから。
●西洋では東に黄金の島があると考える一方、日本は西に極楽浄土
2022/12/15追記:仏教では西方に極楽浄土があるという思想があったとのこと。説明を読むと、日本限定の考え方かもしれません。最初のときに書いていたように、「黄金の島」伝説は逆方向である東に金島がるはず!といった根拠のない思想でしたので、以下の西方浄土の説明を読んでこの黄金伝説のことを思い出しました。
・デジタル大辞泉「西方浄土」の解説
<阿弥陀如来を教主とする西方の浄土。人間界から西方に十万億の仏土を隔てた所にあるという>
・精選版 日本国語大辞典「西方浄土」の解説
<[語誌](1)極楽浄土を西方とするのは「阿彌陀経」などの所説に基づくが、奈良時代にはまだ「西方」が直ちに極楽を指すという用法は定着していない。(
(2)平安朝に入ると(中略)「西方」で極楽を指した例が見られる。「西方浄土」という表現は一一世紀以降、浄土教の流布に伴って一般化した。平安朝末から中世には、落日に向かって西方浄土を観想する日想観が流行した>
(
西方浄土とは - コトバンクより)
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