みのもんたセクハラ疑惑のTBS説明、誰も信じず ネットの反応を書くために検索していたら、いくつかおもしろい話を見つけました。
第十五回:科学者はみのもんたに勝てるのだろうか? こんどうしげるの生命科学の明日はどっちだ!?
かなり以前、筆者が京都大学医学部で講師をしていた時の話である。所属していた研究室は、免疫遺伝子の研究では世界的も有名であり、従って、当時の筆者は免疫学に関しては、(個人的にはたいした業績があるわけでは無いが)一応プロなのであった。
ある日、東京の母から電話がかかってきた。しきりにトマトをたくさん食べろと勧めるのである。その理由は「免疫に良いから」だそうである。
なんだぁ、その「免疫に良い」ってのは?
いくらなんでもアバウトすぎて、何を意味してるのかもわからんぞ?
だいたい、免疫学のプロに素人が免疫について指図するとは上等である。
「いったい、誰がそんな頓珍漢な事を言ってたんだ?」
と聞くと、
「みのもんた、がTVで言ってたのよ」
と返事が返ってきた。はぁ~~。みのもんた・・・・・・。
「あのさぁ、俺一応免疫学者なんだぜ。解ってる?」
「でも、そういってたんだもの、ちゃんとトマト食べなさいよ」
「・・・・・・」
とまあ、生命科学者の権威は、みのもんた氏には到底太刀打ちできない、と言う事が明らかになった瞬間でありました。
http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/skondo/saibokogaku/minosan.html タイトルでは「日本人は(中略)みのもんたらの疑似科学は信じる」と書きましたけど、実際には日本人みんなが信じているわけではありません。
何しろこれを見つけたときに書いたのは、
みのもんたセクハラ疑惑のTBS説明、誰も信じず ネットの反応です。これのタイトルは「TBS説明、誰も信じず」ですが、同時にみのもんたさんも信じられていないという話です。
まあ、これはセクハラの話であり、疑似科学の話ではないのですが、みのもんたさんの「~がいんんですよ」が効くのもごく一部の層だけではあります。ネット世代にはあまり効かないでしょう。
ただ、そのごく一部の層にはものすごく効きます。他の論を寄せ付けません。
また、上記はたまたまみのもんたさんの場合というだけで、彼が特に影響力が強いのは間違いないものの、彼以外の人でも似たような現象は起きていると思われます。
テレビを中心に科学のふりをした怪しい科学が、世間にははびこっています。
では、科学者であれば無条件に信用できるか?と言うと、そうでもありません。
ある意味無条件に信用してしまうということ事態が非科学的だとも言えます。
また、疑似科学に権威を与えているというのが、まず一部の科学者たちなのですから、肩書だけ見て信じるということは無理です。
先のサイトでもこの例が載っています。
では、なぜ視聴者はみのもんたの言うこと信用するのか?みのもんたは医者でもなく科学者でもない。彼がそう話すだけでは、視聴者は納得しないはずである。だから、たいていの場合、みのもんたの隣には「~~大学教授」とか、「~~研究所研究員」がいて、話題の信ぴょう性に泊を付ける。(中略)
この、専門家のコメントで科学としての信ぴょう性を代表させるという方法は、TV以外にもあらゆる場所で使われている。新聞に「@@@@を解明した」という科学関係の記事が載ることが多いが、それには他の専門家のコメントが添えられることが多い。信ぴょう性は、お手軽に専門家のコメントで代表させるのだ。(中略)
しかし、本当にこのやり方でよいのだろうか?考えてみれば、科学的な事実とはいえ、専門家の間で意見の異なる場合も多いし、そもそも、インチキくさいコメンテーターだって結構いる。内容によっては、たった一人の専門家のコメントで済ますのは危険なこともあるだろう。
だが、少なくとも一般社会には「科学の客観性」に対する信頼があり、それが、「たった一人の科学者の判断が全てを代表できる」というフィクションが成立させる。
「専門家の間で意見の異なる場合も多い」というのは重要です。
「ある意味無条件に信用してしまうということ事態が非科学的」とさっき書きましたけど、異論が出る方が健全なのです。
何度か書いてきたと思いますけど、まずは「科学とは絶対的に物事の法則を決めるものである」という幻想を捨てねばなりません。
小学校から大学を通じて教えられることは、科学的な事実の普遍性と確実性である。文系の科目の問題には答えはいくつでもある、かもしれない。しかし、理系の科目(特に数学)には、絶対的な答えが存在し、それのみが正しい。そういう知識体系を理解し、身につけているのが科学者なのであり、従って一人の科学者の判断は常に科学者集団の中では共通のはずだ。従って一人のコメントでOKということになってしまうのである。
だが、現実はそう理想通りにはいかない
だいぶ私の独自解釈かもしれませんけど、本来の科学とはより確かなようにと永遠に向上させていくものだと考えていますから、常に間違っている可能性を認めるものでなくてはいけないと思っています。
疑似科学に騙される人はまずここを勘違いしているから、ころっと騙されるんだと思います。この前も「あなたの書き方は曖昧すぎる。読者を惑わしている」という批判メールが来て、何事か?と閲覧ページを見ると疑似科学批判のページでした。
たとえ疑似科学批判であっても、今わかっている最も確からしいことしか言えないのですから、「何から何まで全部間違いなく間違い」なんてことは私も書けません。
しかし、科学とは絶対的に断言できるものだと考えているその方にとっては、断言できない=騙している なんでしょうね。実際には断言することで騙している人が世の中にはたくさんいるのに……。
追加
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