2013/9/17:
●インテリジェント・デザイン キリスト教の対“進化論”決戦兵器
●旧約聖書の影響が強く宗教臭さが露骨な「創造科学」から進化
●この世に複雑で精巧な生物が存在することが何よりも神がいる証拠
●人が生まれながらにして善悪を知っているのも神がいる何よりの証拠!
●桃太郎は本気で批判する人が少ないのに宗教だけ批判されるのは不公平?
●インテリジェント・デザインを学校で教えようとしていたアメリカ
●インテリジェント・デザイン キリスト教の対“進化論”決戦兵器
2013/9/17:えらく遅くなってしまいましたが、
フランシスコ・ザビエルを日本人が論破…の元ネタ書簡(反論あり)の続きです。
全開の投稿の中で、日本人の疑問に対する説明をザビエルさんがしています。私はその説明の仕方を見て思い出してしまった話があるとそのときに書いたのですが、それは現代の反進化論論者の提唱するインテリジェント・デザインのことでした。
インテリジェント・デザインはタイトルにしたように、私的には「キリスト教の対“進化論”決戦兵器」といったイメージのもの。キリスト教徒的には「これで進化論を論破!」もしくは「進化論の代替案」といった感じの武器になっているようです。
●旧約聖書の影響が強く宗教臭さが露骨な「創造科学」から進化
Wikipediaでは、インテリジェント・デザイン説を、知性ある何かによって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとする説と説明していました。
『宇宙自然界に起こっていることは機械的・非人称的な自然的要因だけではすべての説明はできず、そこには「デザイン」すなわち構想、意図、意志、目的といったものが働いていることを科学として認めよう』という理論・運動で、1990年代にアメリカの反進化論団体、一部の科学者などが提唱し始めたものだそうです。
この理論は「直接神とは言わない」といったところがポイントなんでしょうね。旧約聖書から大きく影響を受けた、聖書主義を基盤に宗教的な論説の創造科学というのがありますが、これだとあまりにも非科学的だとバレバレなため、科学に偽装することが難しいです。
そこでのこの創造科学の宗教的な表現を改め、一般社会や学校教育などにも広く受け入れられるように意図したものがインテリジェント・デザインです。近年のアメリカ合衆国で始まったものだといいます。
旧約聖書によれば「全ての人間の祖先であるアダムは神によって作られ、その妻イヴはアダムの肋骨から生まれた」とされ、ユダヤ教徒やキリスト教徒の間では長い間これが信じられてきました。彼らににとっては、非常に良い時代がなく続いたのです。
ところが、ダーウィンの進化論が認知され、「原始的な動物が次第に進化して人間になった」と考えられるようになると、聖書の記述をどのように解釈するかについて議論が起こることに。従来の解釈では聖書が嘘になってしまい、何らかの対策が必要になってきたのでしょう。
地球が創造されてからわずか数千年しか経たないという「若い地球説」は、より聖書に忠実なものですが、インテリジェント・デザインでは、これを採用していません。「原始的な動物が人間に進化した」という進化論を一部認めつつも、「その過程は偉大なる知性の操作によるものである」として、宗教色を薄めつつも「偉大なる知性」を神と解釈できる余地を残すという彼らなりの工夫がされたものです。
●この世に複雑で精巧な生物が存在することが何よりも神がいる証拠
これらの説明からは明らかにキリスト教の影響下にあること、および進化論の対抗策であることがわかるでしょう。進化論を否定していることがもっとわかりやすい、以下のような記述もありました。
<創造科学者は極めて精妙な生物の細胞や器官のしくみを例に挙げて、「
複雑な細胞からなる生体組織が進化、自然淘汰などによってひとりでにできあがったとは考えられない。従って創造に際しては「高度な知性」によるデザインが必要であった」と主張するようになってきた>
私は知らなかったのですが、これはもろに"伝統的な神の存在証明のひとつである「デザイン論証」に倣っている"ようです。
神の存在証明 - Wikipediaでは、以下のような説明がありました。
<目的論的証明>
<世界の事物は、自明的に存在し、それらはきわめて精妙かつ、壮大な秩序と組織原理を持っている。太陽や星の運行を見れば、その規則性には驚くべきものがある。あるいは、植物の花や葉や枝などを見ると、信じ難い精巧さで造られている。動物の身体などは、更に精巧で見事であり、人間となると、もっと精巧である。しかも自然世界は、草を食べる牛がいれば、牛を食べる狼や人間が存在し、空から降る雨は、適切な季節に大地を潤し、植物の生長を促し、その実の熟成を、太陽の光が促す。
このような精巧な世界と自然の仕組みは、調べれば調べるほど、精巧かつ精妙で、人間の思考力や技術を遥かに超えている。
世界に、このような精巧な仕組みや、因果が存在するのは、「人知を超越した者」の設計が前提になければ、説明がつかない。すなわち、自然の世界は、その高度な目的的な仕組みと存在のありようで、まさに神の存在を自明的に証明している。
これはカントにおいては自然神学的証明とも呼ばれる。西暦1世紀に使徒パウロは「神の永遠の力と神性は被造物に現れておりこれを通して神を知ることができる」と言っている。現代においては、インテリジェント・デザインが目的論的証明と同様の立場を取る運動として著名である>
●人が生まれながらにして善悪を知っているのも神がいる何よりの証拠!
簡単に言うと、「人間や動物など、信じられないほど複雑で精巧な生物が存在する。それは神が作った証拠に他ならない」といった理論ですね。
私が
フランシスコ・ザビエルを日本人が論破…の元ネタ書簡(反論あり)でのザビエルさんの反論が似ていると感じたのは、インテリジェント・デザインのこういった部分のことでした。該当部分をもう一度見てみましょう。
<私たちは理由を挙げてすべての宗教のうちで、神の教えがいちばん初めに人びとに〔刻みこまれたことを〕説明しました。すなわち、シナから日本へ諸宗派が渡来する以前から、日本人は殺すこと、盗むこと、偽りの証言をすること、その他十戒に背く行いが悪いことであると知っていましたし、行ったことが悪いことであるしるしとして、良心の責め苦を感じていました。なぜなら、悪を避け、善を行うことは〔もともと〕人の心に刻みこまれていたのですから、全人類の創造主〔である御者が、すべての人の心のうちに刻みこんだ〕神の掟を他の誰からも教えられずに〔生まれながら〕人びとは知っていたのであると説明しました。
もしもこれについて疑いを感じるならば、山の中で育てられ、シナから来た教えを知らず、読み書きも知らない人を験してみればよいのです。山の中で育てられたこの人に、殺したり、盗んだり、また十戒に背くことをすれば、罪になるかどうか、そしてこれを遵守することは善であるかどうかを尋ねてみれば分かることです。未開な状態にある人の答えによって、他の人から教えられないでも。同じように神の掟を知っていることが分かります。
彼にこのことを刻みこんだのが神でないとしたら、誰が彼に善と悪とを教えたのでしょうか。またもし、未開な状態にある人が〔善悪の〕知識を持っているとすれば、[教養を身につけ]分別ある人においては、なおさらのことではないでしょうか。それゆえ、法律が書き記される以前に、〔すでに〕神の掟があって、人々の心の中に刻みこまれていたのです>
(河野純徳訳『
聖フランシスコ・ザビエル全書簡
』より)
●桃太郎は本気で批判する人が少ないのに宗教だけ批判されるのは不公平?
「人間は誰にも教えられていないはずなのに善悪を知っている。それは神が教えた証拠に他ならない」といった理論です。「人間や動物など、信じられないほど複雑で精巧な生物が存在する。それは神が作った証拠に他ならない」というインテリジェント・デザインと何だか似ていませんか。彼らは数百年前からちっとも「進化」していないように見えます。
しかし、実は多くのキリスト教徒は進歩していたようです。最初のWikipediaにはこうありました。
<カトリック教会を始めとする宗教界ではインテリジェント・デザインは受け入れられていない。一般に誤解されがちだが、
カトリックでは進化論は否定されておらず、むしろ、ヨハネ・パウロ2世が進化論を概ね認める発言を残している。というのも、進化論は必ずしも創造論を否定するものではなく、進化論が生命の起源にまで及ばない以上、そこに神の存在を見出すことが可能である(進化論を肯定しても原初の生物は神が作ったという解釈が可能)。つまり、インテリジェント・デザインは、たとえ神に置き換える余地があっても、そこを「偉大なる知性」と置き換えてしまうために、彼らにとっては進化論よりも神の存在を脅かすとされる>
以前よりはマシになりました。でもまだ、何だかなぁ…という内容です。割り切ってお伽話のような捉え方にするなら、文句も出ないと思うんですけどね。桃太郎について「桃から人から生まれるなどあり得ない」という批判がないのは、初めから「お話」だと皆が理解しているためです。
こうやって科学とおとぎ話との境界線を侵していなければ、わざわざ否定する人の方が野暮だと思われるんですけどね。欲張ってしまうのでへんてこりんな話になってしまいます。
●インテリジェント・デザインを学校で教えようとしていたアメリカ
とりあえず、先のインテリジェント・デザインは完璧に境界線を超えて、よそ様に迷惑をかけたというものでした。もともとインテリジェント・デザインが大きな問題になったのは、この宗教的な理論を学校で教えようとしたためです。
<宗教色を抑えるために、宇宙や生命を設計し創造した存在を「神」ではなく「偉大なる知性」と記述することが特徴である。これにより、非キリスト教徒に対するアピールを可能とする。また宗教色を薄めることで、政教分離原則を回避しやすくなる(公教育への浸透など)。
(中略)インテリジェント・デザインを公教育にも取り入れようとする動きがあり、議論になっている>
これを学校で教えちゃマズいでしょう。宗教は飽くまで宗教として、学校教育や科学の世界とは区別されていなくてはいけません。
【本文中でリンクした投稿】
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