イスラム教での寄付に関する話は、
常岡浩介のイスラム教ステマとキリスト教・仏教のデマでかなり書いており、今回はそちらと相当重なる内容ですがご了承願います。
タイトルにたくさん並べた単語の中では「寄付」という言葉が一般的でしょうが、イスラム教に関連するときは「寄付」とは言わずに「喜捨」という言葉が使われることが多いです。
ただ、元は仏教用語だそうです。
喜捨(きしゃ)とは進んで金品を寄付・施捨すること。本来は仏教用語。
・ 仏教におけるものについては布施を参照。
・ イスラム教におけるものについてはザカートを参照。
・ 寄付
・ チャリティー
・ チップ (サービス)
Wikipedia 「ザカートを参照」とあるように日本語化せず、本来はイスラム教の用語で呼んだ方がいいのかもしれません。
ただ、このザカートの他にイスラム教の喜捨はもう一つあります。(以下、
Wikipediaより)
ザカート……制度喜捨。イスラム教の五行の一つで、困窮者を助けるための義務的な喜捨を指す。制度喜捨の他に救貧税とも訳される。本来の意味は「浄め」。
現代でもイスラム国家には税金として存在している。
サダカ……自由喜捨。政府による福祉と違い、常に顔を合わせているような間柄同士での互助システム。
たとえば、夫を亡くした家庭のために、近所の人が声を掛け合い、金銭(現代なら紙幣など)を集めて回り、該当家族に直接渡すなどの行動。商業などで成功した人物が、慈善団体に自由意志で喜捨することもサダカと呼ぶ。
常岡浩介のイスラム教ステマとキリスト教・仏教のデマは「キリスト教・仏教は信者から財産をむしり取るクソ宗教だけど、イスラム教はそんなことない、素晴らしい」といったひどい内容で、読んでいてムカムカするものです。
しかし、常岡浩介さんが寄付をしていないというだけで、実際にはイスラム教徒も寄付に当たる行為は当たり前にあるというのは上記を見てもわかります。
そもそもザカートの説明にあった「イスラム教の五行の一つ」の「五行」とは、「ムスリム(イスラーム教徒)に義務として課せられた5つの行為」という意味だそうです。
これを額面通り受け取ると強制力があるということで、常岡浩介さんが単にまじめにイスラム教を勉強していないだけじゃないか?とも思います。
五行(ごぎょう)とは、ムスリム(イスラーム教徒)に義務として課せられた5つの行為であり、六信とともにイスラームの根幹を成す重要な定めである。具体的には次の5つを指す。
信仰告白(シャハーダ)
「アッラーフの他に神は無い。ムハンマドは神の使徒である。」と証言すること。
礼拝(サラー)
一日五回、キブラに向かって神に祈ること。
喜捨(ザカート)
収入の一部を困窮者に施すこと。断食(サウム)
ラマダーン月の日中、飲食や性行為を慎むこと。
巡礼(ハッジ)
マッカのカアバ神殿に巡礼すること。
Wikipedia また、日本人であっても普通に喜捨を行っているイスラム教徒(ムスリム)はいるようです。
以下は、
イスラム教徒と日本人は似てる?イランで人気な日本アニメ・テレビでも使った記事から。
また、施しを受ける貧しい側においても、喜捨を受けることは当然だと思っている可能性があります。
世界史講義録 第44回 イスラム教の特徴
「喜捨」。これは富めるものが貧しいものに財産をわけあたえることです。イスラムは商人の倫理が根っこにあるから、まともな取引で儲けることはいいことなんですが、
儲けっぱなしで、財産をため込むことを卑しいこととします。儲けたなら、それを貧しいものに施すことを勧めます。 これは、逆から見ると、
貧しい者は豊かな者から恵んでもらって当然だ、という考えになる。日本人がイスラムの国に旅行した。駅を降りると乞食の人が寄って来るんだって。「金をくれ!」と言うその乞食の人の態度が滅茶苦茶でかい。日本人から見ると威張っているように見える。ムッとして「なぜ、お前に恵まなければならないんだ?」と問いかけたら、「お前は日本人だろう、お金をたくさん持っているはずだ。俺は貧しい。豊かな者が貧しい者に恵むのは当然のことだ。俺がお前の金をもらってやる。そうすればお前は喜捨ができて、来世で救われるのだ。」と理屈を言ったそうです。
本で読んだか人の話か忘れましたが、そんな感じらしい。貧しい者がもらってやらなければ喜捨はできないので、貧しい者も卑屈になる必要がない。貧しいということは、どんな世界でも決して楽しいことではないはずです。でも、こういう喜捨の考え方があれば、表面だけでも貧しい者が卑屈にならなくてもすむのかもしれません。
http://www.geocities.jp/timeway/kougi-44.html こちらのページには以下のような話もありました。
喜捨と関係するのですが、イスラム世界ではイスラム銀行という銀行がある。この銀行は日本や欧米の銀行とは違って利子がないのです。預金を何年しても利子が付かない。なぜ、預金者はこんな銀行に預けるのか?
銀行は預金の運用益を喜捨的な事業に使うのです。だから、イスラム銀行に預けるということは間接的に喜捨をすることになる。
おもしろいですね。
とりあえず、イスラム教にも喜捨・寄付の類はあるよという話でした。
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