47都道府県名の由来一覧 岩手・群馬・神奈川・新潟・愛知・愛媛などから分割した北海道の話。
前回の2ちゃんねるでは、北海道について以下のように書いていました。
■北海道 昔は蝦夷(えぞ)と呼ばれたが、明治時代になると蝦夷の音読の「カイ」に「北」と、東海道にならって「道」をつけ北海道とした。蝦夷の本来の意味は「田舎の(辺境の)勇者」といったものではないかという推測がある。
私は北海道出身ですので北海道の由来は調べたことがありました。それでこの説明に「ん?」となりました。ただ、改めて調べてみると、必ずしも間違っているというわけじゃなさそうです。
2ちゃんねるのスレでは、"都道府県名の由来には異説が多いですので、飽くまで一説と考えた方が良い"と書いていましたが、北海道は歴史的経緯のせいで地名が付けられてからまだ間もなく、由来が他の地域と比べてはっきりしています。
命名にあたって重要だったのは、明治時代の探検家の松浦武四郎さんです。
この島の先住民であるアイヌの言葉(アイヌ語)では「アィヌモシㇼ」(ainu mosir、「人間の住む土地」の意)と呼ばれる。日本人(和人)は近代に至るまでアイヌを蝦夷(えぞ)、その土地を蝦夷地(えぞち)もしくは北州、十州島などと呼んでいたが、明治政府は開拓使の設置に伴い名称の変更を検討し、蝦夷地探査やアイヌとの交流を続けていた松浦武四郎は政府に建白書を提出、「北加伊(きたかい)道」「海北道」「海東道」「日高見(ひたかみ)道」「東北道」「千島道」の6案を提示した。
Wikipedia 見ての通り、この6案の時点では「北海道」はありませんでした。採用されたのはこの6案の内、2案がベースとなっています。
"「北加伊道」を基本として採用し、海北道との折衷案として、また、律令制時代の五畿七道の東海道、南海道、西海道の呼称に倣う形として「北海道」と命名された"という経緯です。
なお、検索かけていると「北加伊道」を上記とは異なり、「ほっかいどう」と読むとしているサイトがありました。私が知っていたのはWikipediaと同じ「きたかいどう」の読みでしたので怪しいなと思ったのですが、書いていたのが道のオフィシャルサイトなんですよね。こっちが正しいんでしょうか?
それはともかく、ここで問題となるのは、「加伊」の由来です。
2ちゃんねるでは"蝦夷の音読"としていました。ただ、松浦武四郎自身はそのような言い方をしていませんでした。
松浦は建白書において「北加伊道」案はアイヌが自らを「カイ」と呼んでいることから考案したと説明しているが、言語学者の金田一京助は、当時のそのような事実を示す証拠は見つかっていないと唱えている。
私はこれが頭にあったため、2ちゃんねるの説は間違いだと思ったのですけど、蝦夷の方のWikipediaを確認して合点がいきました。
蝦夷の蝦の字については、鬚が長いのをエビに見たてて付けたのだとする説がある。喜田貞吉は、意味ではなく音「かい」が蝦夷の自称民族名だったのではないかと説いた。アイヌ人はモンゴル人から「クイ」、ロシア人からは「クリル」と呼ばれた。斉明天皇5年の遣使の際に、聞き取った唐人が蝦夷の字をあて、それを日本が踏襲したという。金田一京助は喜田の説を批判して、「えび」の古い日本語「えみ」が「えみし」に通じるとして付けたとする説を唱えた。夷の字を分解すると「弓人」になり、これが蝦夷の特徴なのだという説もある。
Wikipedia アイヌ民族の自称については他にも説があった気がしますが、今回のテーマから逸れますので掘り下げません。
なお、「夷」の部分に関してはこんな話があります。
諸説ある中で唯一定まっているのは、「夷」が東の異民族を指す字で、中華思想を日本中心にあてはめたものだということである。「夷」単独なら『古事記』などにも普通にあるが、その場合古訓で「ひな」と読む。多くの学者は用字の変化を異族への蔑視の表れとし、蘇我毛人を蘇我蝦夷としたのも『日本書紀』編者が彼を卑しめたものとする。
ただし、"佐伯今毛人が勤務評定で今蝦夷(正確には夷の字に虫偏がつく)と書かれた例が"あり、この"例を引いてこれに反対する意見もある"とのことです。
また、「中華思想」はサイトによっては「華夷思想(かいしそう)」とも書かれていました。中国も周辺の異民族を蔑称で読んでいたのはご存知でしょうが、中国の影響の大きかった日本も昔は真似をしていた部分があります。
中華思想(ちゅうかしそう)は、中国が宇宙の中心であり、その文化・思想が神聖なものであると自負する考え方で、漢民族が古くからもち続けた自民族中心主義の思想であり美称である。
漢民族とは異なる周辺の辺境の異民族を文化程度の低い禽獣であるとして卑しむことから華夷思想(かいしそう)とも称す。また夏、華夏、中国とも同義である。
Wikipedia 最後にもう一つ。先ほど書いた松浦武四郎さんですが、この方は北海道と縁が深い方で、北海道の歴史を見るとよく名前が出てきます。
天保9年(1838年)に平戸で僧となり文桂と名乗るが、弘化元年(1844年)に還俗して蝦夷地探検に出発し、その探査は択捉島や樺太にまで及んだ。安政2年(1855年)に蝦夷御用御雇に抜擢され再び蝦夷地を踏査、「東西蝦夷山川地理取調図」を出版した。明治2年(1869年)には開拓判官となり、蝦夷地に「北海道」の名を与えたほかアイヌ語の地名をもとに国名・郡名を選定した。翌明治3年(1870年)に開拓使を批判して職を辞してからは余生を著述に過ごしたが、死の前年まで全国歴遊はやめなかったという。
Wikipedia 松浦武四郎さんは開拓使を辞めたのと同じ明治3年(1870年)には、雅号を「北海道人」として「千島一覧」という錦絵を描いたそうです。
北海道にとっては本当に縁の深い方ですね。
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