ネットで一般人が芸能人の問題を批判することを問題視して、「1億総チクリ時代だ」「イヤな時代になった」とする新聞の話が一つ。また、芸能人自身からも一般人の批判について問題視する話があり、似たところを感じたので、別々に書いていたものをセットに。
タイトルに迷って、とりあえず<一般人にネットで批判する資格はないと主張した新聞と芸能人は?>としました。ただ、もっと良いタイトルが思いつけば変えるかもしれません。(2017/06/18)
2009/4/23:
●一般人にネットで批判する資格はないと主張した新聞は?
2013/12/17:
●ネットの一般人による芸能人への批判を問題視した芸能人とは?
●一般人による批判よりも芸能人による批判の方が影響力が強いのでは?
●不自然に実例なし…結局言いたかったのは「有名人の批判はするな」か?
●一般人にネットで批判する資格はないと主張した新聞は?
2009/4/23:以下のように書いている記事があって、非常に違和感を覚えました。
<ブロードバンドの普及により、いまや“1億総チクリ時代”に突入した。従来はスルーされていた地方のテレビやラジオ番組の“不祥事”も、たちまちネットに乗って映像や音声が拡散。日本中に知れ渡る。不用意な発言で、著名人が謝罪や謹慎に追い込まれることも少なくない。イヤな時代になったものだ>
これは、産経新聞社の夕刊フジによる
“1億総チクリ時代”にタレント戦々恐々(2009/04/17)という記事の冒頭部分でした。当時はまだあまりそのような言葉で言われていなかったと思うのですが、いわゆる「ネット炎上」を批判したものです。
記事では、誤解を招くような発言部分だけを切り取って配信したネットメディアを批判しているところがあり、その部分だけは理解できました。捏造は絶対にダメ。そのネットメディアは批判されて当然です。
ただ、本来問題となるような発言をした部分を一般人を批判してはいけない…とまでなると、妙なことになります。場合によっては無視されていた以前の方がおかしく、本来は批判されるべきだったということもあるでしょう。一緒くたにして”チクリ”などと言って蔑むのはどうかと思いました。
こうした芸能人などの発言の拡散や批判は、もともと今までマスコミがやってきていたことでもあります。なので、マスコミの特権を一般人に取られたことがおもしろくないのかな?とも当時感じました。
●ネットの一般人による芸能人への批判を問題視した芸能人とは?
2013/12/17:こういった一般人による批判について注文をつけていた例は、他にもあります。数年後にビートたけしさんの発言も記事で取り上げられたことがありました。
この記事は、
NEWSポストセブン|ビートたけし 「ネットで自己主張する奴が偉い」風潮に異議(2013.12.15 07:00)というもの。最初は、ネット上で知り合ったことから起きた刺殺事件について述べており、一般人は、ネットに情報が漏れるのをいかに防ぐかを考えたほうがいい、としていてました。これ自体は普通に理解できる話です。
また、ネットでうまく自己主張できるヤツが偉いみたいな風潮は、おかしいとしている部分も賛同できました。例としてでいてたのが、クレームをつけて土下座で謝罪させて、それをネット上にアップするという人。「自分が勝った」と思った瞬間に、相手をトコトン叩きのめしてやろう」なんてのは、下劣だという趣旨。こちらもまたわかる話です。
ところが、この後、芸能人への批判がダメだという話になっちゃっていたんですよ。これには首を傾げました。
<スキャンダルを起こした有名人をネットで批判するヤツラもそうだ。絶対安全圏から、どん底に落とすまで叩きまくる。「もうサンザンな目に遭ってるんだから、この辺でいいじゃないか」とか、「もうこっちの勝ちは決まったから、それ以上ボコボコにする必要はない」なんて感覚はないんだよな。
人間、自分が圧倒的に優位な立場にいるときに、相手にどう振る舞うかで品性みたいなものがわかる。「溺れた犬は叩け」じゃないけど、弱ってる相手、弱い立場の相手をかさにかかっていじめるのは、とにかく下品なんだよ>
●一般人による批判よりも芸能人による批判の方が影響力が強いのでは?
私もネットで叩きすぎ・やりすぎになることは問題だとは思います。とはいえ、「悪い」と思ったことに対して「悪い」と書いてしまうということ自体は、そこまで責められるものか?とも思います。それを言い出すと間違いを犯しても批判することが許されないという変な世界ができ上がります。どこかで境界線がないといけません。
そもそも土下座アップの女性は強要罪で逮捕されており、ビートたけしさんの発言自体が「溺れた犬は叩け」という行為になっているとも考えられます。揚げ足取りだと思うかもしれませんけど、どこかで境界線がないといけないというのはまさにこういう部分であり、正当と多くの人が思う批判ですら封じ込めることのできる危険性のある主張でした。
正当な批判と過剰な批判にはどこかに境界線があるはずです。この線引きが難しく、実際には境界線はしっかりとしていないかもしれません。ただ、すべてダメにしてしまうと、正当な批判まで封じ込めてしまいますので、極端な主張には賛同できません。
あと、ネットでの発言が過剰な叩きに見えてしまうのは、1人の人が少しの発言をしただけでも数が揃って大きく見えてしまうというのもあります。これ自体は問題でしょう。ただ、そういう影響力という意味では、ビートたけしさんの方が発言によっぽど気をつけなくちゃいけないとも考えられます。
●不自然に実例なし…結局言いたかったのは「有名人の批判はするな」か?
私が当時思ったのは、結局、ビートたけしさんがしたかったのは、有名人擁護だったのかな?ということ。刺殺事件や土下座クレームは具体例を挙げているのに、有名人スキャンダルに関しては具体例を挙げておらず、不当な批判なのかどうかが明らかではありませんでした。
ビートたけしさんは負けが決まっている土下座クレームの女性を、逮捕後にさらに批判しているのですから、それが正当な批判だと考えているのでしょうが、それに対比するのであれば正当な批判でないとビートたけしさんの感じている有名人スキャンダル叩きでも具体例を挙げなくてはいけませんでした。
二つ続けてわかりやすい例を出して賛同できる素地を作って出した3つ目が具体的でないのは不可解ですし、ひょっとしたら例を挙げると賛同を得づらいので隠して広く受け取れるようにしたのかな?とも思います。
そうなると結局ここで一番言いたかったのは「ネットはあまり有名人を批判するな」ということではないか?という疑いが残り、全体としては理解しづらい主張だと感じました。
途中で書いたように溺れる犬を叩くような過剰なネット批判は私も支持しません。ただ、法令違反のような具体的な不法行為(当時話題だった生活保護不正受給、窃盗・万引きなど)やそれに準ずる問題(セクハラ疑惑、ペニーオークションのステマなど)への批判までをも否定するものだった場合は、完全に間違っています。曖昧でスッキリしない話でした。
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