<改変された童話 鬼と仲直りの桃太郎、人魚姫の結末がハッピーエンドなど>、<大人が「正しい」と思っている話も実はすでに改変済みの可能性>、<私たち大人の知っている桃太郎もすでに変更されたものだった…>などといった話をやっています。
●改変された童話 鬼と仲直りの桃太郎、人魚姫の結末がハッピーエンドなど
2014/1/18:もともと人魚姫の結末に関する解釈の話(
人魚姫のあらすじと複数ある結末 泡になって消える以外のラストは?)が書きたかったのですが、その前に一般的な理解を書いておいた方が良いだろう…ということでこちらを投稿。童話(?)の結末修正は結構あるようで、<Yahoo!知恵袋>で、以下のような質問が出ていました。
<「桃太郎」や「シンデレラ」など、昔と今とでディテールや結末が改変された昔話がたくさんありますが、(中略)もし自分の子供が(昔と今)両方の話を知ってしまい、自分に「どうして違うところがあるの?」と訊かれたら、何と答えますか?>
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13112528478 質問中で登場していた改変は2例。子供向けの物語で定番中の定番である桃太郎とシンデレラにおいて、ラストが以下のように改変されている例があるそうです。ちなみに、この後、私が書きたい人魚姫の話など、他の改変例も出てきますのでお楽しみに…。
・桃太郎
鬼を倒して宝を持ち帰る → 鬼と仲直りして宝を持ち主に返させる
・シンデレラ
イジワルな姉はガラスの靴を履くために足の指を切り落とす → 靴をムリヤリ履く
●大人が「正しい」と思っている話も実はすでに改変済みの可能性
こういう改変による差異を比較するのはおもしろいですね。ただ、以前見たときは、この手のものをけしからん!と叩いている人が多かったです。この回答もそうかな?と見ましたけど、子どもに聞かせる…という質問だったためかそういう人は湧いておらず、落ち着いた回答です。
<昔話はいろんな人たちに長いあいだ、語り継がれてきたおはなしです。そうやって語り継がれているうちに、それぞれの語り継いだ人たちが「これはこっちの方がいい」、「こっちの方が面白い!」といろんなアレンジを加えていきました。
例えば、「(シンデレラのおはなしで)足の指を切り落とすのは怖いから、ムリヤリ履いたことにしよう」といった感じに。つまり、本を書いた人や本を読み聞かせる人たちが「こちらの方がいい」と思って改変を重ねていった結果、「昔と今とで違うところがある」わけです>
上記の指摘はかなり重要なところをついていますね。現代の改変を「けしからん!」と叩いている人たちが子供の頃読んだり聞かされたりした「正しい」と思っている物語も、実を言うと、かなり改変された内容である…というケースが多いのです。子供向けが特に多いですが、そうでなくても変化してきている話は結構あります。
●私たち大人の知っている桃太郎もすでに変更されたものだった…
ベストアンサーにおいては、他に人魚姫、かちかち山、桃太郎という、3つの例が出ていました。先程すでに説明したはずの桃太郎が再登場なのは、前述のような結末以外の部分が改変されているため。私たち大人の知っている桃太郎も既に改変済みという指摘になっていました。
・人魚姫
人魚姫は泡になった → 王子様とハッピーエンド
・かちかち山
タヌキがおばあさんを殺して「狸汁」と称しておじいさんに食べさせた → おばあさんは生きている
(一部後述のWikipediaをベースに変更しています)
・桃太郎
桃を食べたおじいさんとおばあさんが若返って夜な夜な励み、桃太郎を産んだ → 桃から産まれた
ベストアンサー
<どちらを知ったとしても「昔話は語り継ぐ人によって変わっていくのよ」的な感じで説明するくらいですね。ちなみに私たちの知っている桃太郎も昔の話では桃から産まれたのではなく、本当は桃を食べたおじいさんとおばあさんが若返って夜な夜な励み、桃太郎を産んだという話らしいですよ。小学校の教科書に載せる上で不適切な部分を変えたそうです>
人魚姫については「泡になった」が実を言うと既に初版と微妙に異なる結末なのですけど、それについては次回(
人魚姫のあらすじと複数ある結末 泡になって消える以外のラストは?)。ちなみに童話じゃありませんがディズニーのリトルマーメイドもハッピーエンディング(ハッピーエンド)にしてしまっているようです。ディズニーの場合は人魚姫の苦悩が強調されていないなど、それ以外もバリバリに変更しているようですが…。
●昔の童話は残虐表現当たり前!修正・改変はむしろ以前の方が多い?
さっきあった「かちかち山」に関しては、
Wikipediaにも載っていました。Wikipediaでは、「昔の童話(=昔話)には、悪者に対する報いや制裁がかなり残酷な話も少なからずある」として、いくつかの例を書いており、その一つが「かちかち山」でした。他に白雪姫の話が出ています。
・白雪姫
継母は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かせられ、死ぬまで踊りつづけさせる → 改変
<例えば元々の『白雪姫』では、姫を苦しめ続けた継母(グリム初版では実母)は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かせられ、死ぬまで踊りつづけさせるといった結末のものや、日本のものでは『かちかち山』の狸は、おばあさんを殺して汁にし、それを「狸汁」と称しておじいさんに食べさせるなどがある。
これらの多くの話は、たいていの場合、子どもが見るということから考慮して、描写を変えるのが通例であった。 日本で幼児向けに出版されている絵本も、「お子様向け」に残酷な場面を削る、あるいは「修正・改変」されているものがほとんどであった>
Wikipediaでは、<ただ近年では、その残酷性だけにスポットを当てるのでなく作品全体を通して考えるべきとして原典に近い形で出される傾向もある>とも書いていました。たぶん私たちが子供の頃読んだ話の方が大きく改変されていたのではないかとも思います。
●改変が「けしからん」のなら、明治時代の政府を批判するべきでは?
先程のヤフー知恵袋のベストアンサーでは、<教科書に載せる上で不適切な部分を変えたそうです>という話がありました。そうなると「改変なんてけしからん!」と言う人たちは、国定教科書を作った大日本帝国時代の政府も責めるべきなのかもしれません。Wikipediaでも以下の記述を見つけました。
浦島太郎
近代における改変
<竜宮城に行ってからの浦島太郎の行状は、子供に話すにはふさわしくない内容が含まれているので、童話においてはこの部分は改変(もしくは省略)されている。これは、明治時代に国定教科書向きに書き換えられたためである>
Wikipedia Wikipediaでは上記のように「子供に話すにはふさわしくない内容」という説明のみ。こんな書き方をされると悪い大人は気になっちゃいますね。幸い、質問サイトの<浦島太郎 | 文学のQ&A【OKWave】>というページでこのことについて補足がありましたので、なんとなく内容がわかります。
<子供にふさわしくない内容というのは、多分江戸時代に流布した浦島太郎だと思います。竜宮に言った後、浦島太郎と姫との結婚生活の中の一部に性描写を暗に示すような文章が書かれていたようです。
また、浦島太郎は国定教科書以前では亀を助けたお礼に竜宮へ行くのではなく、仙女に導かれて竜宮に行きます。子供向けでないから変えられたというより、より道徳的な話にするために改変されたということではないかと思います>
http://okwave.jp/qa/q2703206.html●子供向けに限らず昔の物語はバリエーションが生まれやすかった
伝承・口伝による物語の継承というのはそもそも意図せずとも変化しやすく、多くのバリエーションを生んでいます。子供向けじゃなくても変化することが多いのは、これが理由の一つです。また、伝承ではなく書物であっても、差異を生みます。童話ではありませんが源氏物語なんかが有名ですね。
今と違い、印刷技術がなかった時代の複製方法は写本でした。この場合、ミスによって差異が生まれることがありますし、元の本におかしい点があれば直すということもします。現在のような著作権意識もありませんでしたし、より良い形にしていくことに抵抗感はなかったのでしょう。差異があること自体は悪いことではないのです。
ただし、こうした改変に醜悪な改変というのものが存在するのも事実ですし、批判してはいけないか?と言うとそうとも言えないでしょう。たとえば、今ある小説・漫画などをテレビドラマ・アニメ・映画などにした際に、原作での重要なメッセージが改変されてしまう…といった批判はよくあり、その批判がいけないことだとは思えません。
こうして考えていくと、結局、ポイントとなるのは、できあがった物語の完成度が高いか低いかってことでしょうかね。なかなか難しいところです…。
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