三鷹光器 中村義一会長4 ~「専門家」ではいけない~
NASAの人たちは、大学でロケットの勉強以前にも、例えば「小さいロケットを作って飛ばして遊んでるんですよ。そのうちただロケットを飛ばしてもつまらないから、カメラを積んで、下の写真を撮ってみようと考えるようになる。そうすると、ロケットの勉強に加えカメラの勉強もする。それが成功したら今度はカメラを電波で制御してみようと考える。すると電気の勉強もする。だから、機械の勉強も電気の勉強もレンズの勉強も、みんなしてるんだよね」と言うように、いろいろなことを自分で学んでいると言います。
一方、日本では「私は文科系だからわかりません、天文が専門なのでわかりません、もう電気のことを言われたらさっぱりわかりません。そうすると、電気の専門家、通信の専門家というふうに、ひとつのプロジェクトでもだいたい5、6人の人が集まる。NASAの先生がそれを見て、『どうなってるの日本は?』って」という風だと言うのです。
あなたはプロフェッショナルか、単能工か 大企業の管理職が誤解しがちな「専門性」の意味 野田稔|ダイヤモンド・オンライン 2013年12月24日
欧米では、たとえば優秀な技術者に、「あなたはスペシャリストなのですね」と言うと、嫌な顔をすることが多い。「では、エキスパートと呼べばいいですか?」と言い直しても、あまりいい顔はしない。「そうか、プロフェッショナルか」と言って、初めて笑って、「イエス」と答えてくれる。
彼らのイメージでは、スペシャリストとは単能工を意味する。ある1つの技術なり、工程の専門家だ。エキスパートは、熟練したスペシャリスト、文字どおり、熟練工を意味する。それらは欧米の技術者の中ではあまり偉いとはされない。偉いのはあくまでもプロフェッショナルだ。
http://diamond.jp/articles/-/46356
技術という範囲で言うのであれば、たとえば「釘が打てる」ではプロとは言えない。「家が作れる」となって初めてプロと言える。
では、1人で家が作れなければプロではないのか。長い時間を掛けて1人でログハウスを作ればプロなのか。もちろん違う。それではビジネスにならない。つまりは、ある一定以上の幅のある技術を習得しているとともに、営業力やマネジメント能力があって、さらにチームビルディングができて初めてプロフェッショナルと呼ばれる。
ドイツのマイスター制度においても、強調されるのは技術ではなく、マネジメント能力だ。「頑固一徹で、人の話に耳を貸さない。商売下手」。そうした技術者では、押しも押されもしない親方にはなれない。
とかく、多くの人は自分の専門性を非常に狭く定義するもののようだ。たとえば、転職を希望する経理マンがいる。「私の専門は経理です」と言う。そこで「どうでしょう。地方公共団体の経理の民営化を担ってみませんか?」と水を向けたとする。やり甲斐のある仕事だと思う。
しかし、ほとんどの人は多分、こう言う。「いやいや、それは無理です。地方公共団体など勤めたこともありませんし、無理です」。「そんなことはないでしょう」と言っても、「とんでもない。私は、家電メーカーの工場の経理の専門家なのです」などと言い出す。
テレビ局の人間の例だが出向を繰り返して、職場もいろいろと変わった。制作、報道、編成、営業、総務、そして人事……職種も変わっているわけだが、本人としては何も変わっていないと言う。
「やっていることはいつも同じ。人と会って話をしているだけです」
つまりはそれが彼の専門性であり、強みなのだ。どんな職場、どんな職種でも、彼は成果を上げてきた。「一人ひとりと向き合う力は誰にも負けない」と言う。これはポータブルスキルだ。彼はプロフェッショナルだ。なぜならば、人と向き合うことで人材育成もチームビルディングもできるし、彼なりの方法でリーダーシップも発揮できているからだ。
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