人魚姫の話をまとめ。<人魚姫のあらすじと複数ある結末 泡になって消える以外のラストは?>、<泡になるのになぜハッピーエンド?キリスト教至上主義が理由>をまとめています。
●人魚姫のあらすじと複数ある結末 泡になって消える以外のラストは?
2014/1/25:前回の
改変された童話 鬼と仲直りの桃太郎、人魚姫の結末がハッピーエンドなどでは、人魚姫で「人魚姫は泡になった」という結末を「王子様とハッピーエンド」にするという改変が行われているという話が出てきました。
しかし、そちらでも書いたように「人魚姫は泡になった」という結末も、実を言うと、既に初版とは微妙に異なるものとなっているんですよね。こういう場合の確認でもWikipediaを見ると簡単ですので、たいへん助かりますね。あらすじとまとめて、本来の結末まで一気に読むことができます。
あらすじ
<人魚の王の6人の娘たちの内、末の姫は15歳の誕生日に昇っていった海の上で、船の上にいる美しい人間の王子を目にする。嵐に遭い難破した船から溺死寸前の王子を救い出した人魚姫は、王子に恋心を抱く。その後偶然浜を通りがかった娘が王子を見つけて介抱した為、人魚姫は出る幕が無くなってしまう。人魚は人間の前に姿を現してはいけない決まりなのだ。だが彼女はどうしても自分が王子を救ったと伝えたかった。
人魚姫は海の魔女の家を訪れ、声と引き換えに尻尾を人間の足に変える飲み薬を貰う。その時に、「もし王子が他の娘と結婚すれば、姫は海の泡となって消えてしまう」と警告を受ける。更に人間の足だと歩く度にナイフで抉られるような痛みを感じるとも。王子と一緒に御殿で暮らせるようになった人魚姫であったが、声を失った人魚姫は王子を救った出来事を話せず、王子は人魚姫が命の恩人だと気付かない。
そのうちに事実は捻じ曲がり、王子は偶然浜を通りかかった娘を命の恩人と勘違いしてしまう。
やがて王子と娘との結婚が決まり、悲嘆に暮れる人魚姫の前に現れた姫の姉たちが、髪と引き換えに海の魔女に貰った短剣を差し出し、王子の流した血で人魚の姿に戻れるという魔女の伝言を伝える。人魚姫は愛する王子を殺せずに死を選び、
海に身を投げて泡に姿を変え、空気の精となって天国へ昇っていった。しかし、王子や他の人々はそのことに気づくことはなかった>
Wikipedia 人魚姫は単に泡になっただけでなく、「空気の精」となったポイントです。<アンデルセンの書いた人魚姫の本当のラストを教えてください。 - Yahoo!知恵袋>での質問者は、空気の精パターンを含めて以下のように分類していました。
<いろいろなパターンがあるようですが、翻訳の過程で変化したものが多いと聞いています。時代背景や日本人の好みに合わせて変えられた、とも聞くこともあります。私が調べた中では、次のパターンがあるようです。
1 王子の愛が得られず、泡になって消えてしまう。
2 王子の愛が得られず、天国に召される。
3 王子の愛が得られず、泡になるが、風の精(空気の精)となり善行を積み、天国に召される。
4 最後の最後に、王子が人魚姫の心の気づき、幸せに結ばれる>
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1131639056 こちらでのベストアンサーも以下のようにWikipediaに近い形を取っています。なお、一般的に信頼性が低いヤフー知恵袋ですが、今回の場合、出典書籍として「完訳アンデルセン童話集1巻 岩波書店」を挙げており、通常よりもかなり信頼性が高いパターンでしょう。
<「海の泡となった後 善行を300年積めば天国へ行くための魂をさずかることができることを教えてもらう」
のが真実のラストです(中略、根拠は「完訳アンデルセン童話集1巻 岩波書店」だそう)
③が近いですが、違う点もあります
魂をさずかり、天国にいけるよう
風の精(空気の精)となり善行をこれから積む時点で終わりです
天国にはまだ行っていません>
●泡になるのになぜハッピーエンド?キリスト教至上主義が理由
この結末については、人によってはバッドエンドではなくハッピーエンドだとしています。なぜこれでハッピーエンドと理解するのか?というのは説明がないとわかりづらいでんすよね。ここらへんの解釈について詳しかったのが、
『人魚の姫』 - 一条真也のハートフル・ブログ 2011-12-200というサイト。元の文章は相当長いですので、ポイントだけ紹介していきます。
<人魚姫は空気の精となって天国へ昇っていったのでした。
このラストシーンには、伏線があります。
人魚姫が人間の世界への強い憧れを抱きつつも、まだ海の魔法使いの家を訪れていなかった頃、年をとった祖母にたずねます>
人魚姫の祖母は"三百年も生きていられる"人魚より、人の命は短いと言います。しかし、"いつまでも死なない魂というものがあって"、天国へ昇るとも説明。そして、この説明を聞いた人魚姫は、"たったの1日でもいいから人間になれて天国に行けるのなら、人魚としての何百年をすべて失ってもかまわない"と考えてしまうのです。
祖母自身は「長生きするより天国に行ける方が良い」という人魚姫の考えに賛成ではありません。「わたしたちは、あの上の世界の人間よりも、ずっとしあわせなんだからね」と説得しようとしますが、これは人魚の「幼稚さ」や「未熟さ」の象徴と理解できるようです。ですから、「人魚姫」は彼女の成長の物語とも言えます。
しかし、これは「キリスト教徒」と「異教徒」との物語だとも言えるのです。人魚姫は救われない異教徒から、神に救われる素晴らしい宗教であるキリスト教徒に改宗し、天国へ行くことができるようになるという幸せを得たのです。ですから、「人魚姫」という物語はハッピーエンドという解釈も可能なのでしょう。
(キリスト教において自殺は重大な犯罪だったような?と思いましたが、この場合は「自殺」には該当しないのかもしれません)
以前、
童話作家アンデルセンは、自身の生い立ちもまた童話のようにおいて私は"個人的には彼の作品にどぎついキリスト教色を感じることが多い"と書きました。これは人魚姫でも同様な感じ。私はアンデルセン童話のキラキラした鮮やかさのあるファンタジーな描写などが非常に好きなのですが、キリスト教万歳!という宗教色の強い部分には正直引いてしまいますね。
【本文中でリンクした投稿】
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改変された童話 鬼と仲直りの桃太郎、人魚姫の結末がハッピーエンドなど ■
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