宗教信者に関する話をまとめ。<悪徳新興宗教団体で悪いのは一部の人だから悪く言うべきじゃない?>、<新興宗教の信者は悪い人なのか?むしろ良い人だから危険なのでは?>、<不正をする人・嘘をつく人はいかにも悪そうな人?研究によると…>、<殺人テロのオウム真理教麻原彰晃はむしろ魅力的な人物だった!>などをまとめています。
冒頭に追記
2022/12/31まとめ:
●殺人テロのオウム真理教麻原彰晃はむしろ魅力的な人物だった! 【NEW】
●殺人テロのオウム真理教麻原彰晃はむしろ魅力的な人物だった!
2022/12/31まとめ:他のところで書いていた話を読み直してみると、<新興宗教の信者は悪い人なのか?むしろ良い人だから危険なのでは?>に関係が深い内容でしたので、転載しておきます。
2012/2/20:
宗教学者"世代超え"対談・島田裕巳×大田俊寛(前編)オウム騒動の渦中にいた学者と、ポスト・オウム世代の学者が感じた「サリン事件」を生んだ空気感(日刊サイゾー)を読んで「おもしろい」と思って、残りも出たら読もうとブックマークしていました。で、今読み直してみたのですが、何をおもしろいと思ったかイマイチ思い出せないんですけど、一応紹介しておきます。
・島田裕巳(しまだ・ひろみ)
1953年、東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。放送教育開発センター助教授、日本女子大学助教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任。
・大田俊寛(おおた・としひろ)
1974年、福岡生まれ。宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。
今回は、大田俊寛さんの書いた『オウム真理教の精神史』を中心とした対談なのかもしれません。本の話がところどころで出ています。インタビューアーは、ずばり「そういった80年代の空気感を肌で感じられた島田さんは、大田さんの『オウム真理教の精神史』をどう読まれましたか?」とも聞いていました。
島田裕巳
<80年代の空気感や現場での声などは反映されていない。大田さんは「宗教学が信用を失った」とも書かれているが、そもそも以前から信用されているわけではないし、宗教学というものがあること自体、オウムの事件を契機に一般に認知されるようになった。
私なんかはあの時いろんなことがあり、バッシングも受けました。でも、それはオウムのことだけで責められたわけではなく、統一教会やいろんなことが絡んで責められた。
私の中には、宗教は非常に世俗的なものであるというのがあって、それは当時も今も変わらない。私が最初にオウムに関する論考を書いたのは「オウム真理教はディズニーランドである」(1990年)というものです。要するに、ディズニーランドへ行くと、まがいもののアトラクションがある。だけど、観客は機械仕掛けで動いているとは思わないで楽しむ、演劇的な空間です。オウムにはそういう面があり、信者たちは安っぽい宗教的なグッズを集め、それを楽しんでいた>
上記だけ読むと、オウム真理教に批判的なようにも見えます。「オウムは、非現実的な楽しい世界を一般人に提供することに長けていた」というインタビューアーの言葉を否定せず、肯定していました。ただ、結局、以下のように続いていて、麻原彰晃教祖をちょっと評価するような言い方もしているんですよね。
島田裕巳
<それ(引用者注:一般人への宗教の見せ方のうまさ)を体現しているのが麻原であり、幹部たちなんです。
例えば、91年に『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)で、オウムと幸福の科学が論争をした。その時に、幸福の科学の人たちは私に「神を信じない者が、宗教を研究してはいけない」と言った。それに対して、麻原は「神を信じるか信じないかは置いておいて、宗教学者というのは客観的に研究をするべきだ」と言った。多分、今、オウムのことについてあまり知らない人が見たら、麻原の印象が変わると思います>
ただ、「神を信じない者が、宗教を研究してはいけない」って論理性がなく、別に全然いい言葉じゃないんですよ。この時点で島田裕巳さんはおかしいと思います。神を信じる人が宗教を研究しても良いですが、信じない人が研究しても構いません。むしろ客観的に物事を見るためには、信じない人の研究こそ必要でしょう。
ここらへんの距離感を誤った…というのが、当時、オウム真理教に絡んで批判された学者たちの間違いだったのかもしれません。「文系は非論理的で良い」という誤解が多くありますが、本来そうではありません。文系も広義の科学に入るんですよ。宗教学でも客観的・論理的な思考がないとまた問題を起こすでしょう。
以下、オウム真理教の人たちはいかにも危なそうな人たちではなく魅力があった…という、島田裕巳さんの「言い訳」のような話が続きます。ここらへんは、後に書いた<新興宗教の信者は悪い人なのか?むしろ良い人だから危険なのでは?>(このページ)を思い出させる話です。(この3段落、2022/12/31追記)
島田裕巳
<もう一人、数々の犯罪にかかわり、死刑判決を受けた新実智光という人がいる。私は、先ほどの『朝生』に出演する前に彼に会いました。彼は非常にさばけた親切な人物で、宗教団体にいる人間の割には「自分たちのやっていることを信じてくれ」と強く言わない、非常に世俗的な振る舞いができる人でした。しかし、そういう人間が現実には罪を犯している。そういうところがオウムの特殊性です。
社会一般を見ると、殺人犯で大学を出ている人はほとんどいません。だけど、オウムの人間たちは、大学や大学院を出ているような、いわゆるインテリ層で、今までの犯罪を犯している層とは、明らかに生い立ちや経歴が違う。「島田は当時、どうしてオウムの危険性についてわからなかったのか」とみなさん言うけど、そういう特殊な事情もありました>
――確かに麻原に実際に会ったことがある人は、僕らが抱いている印象とは違うといいますね。
島田裕巳
<当時、麻原は『朝生』だけではなく、とんねるずのバラエティー番組にも出演していました。その中では麻原は、ギャルに囲まれながらシャンプーの話をしたり、キューティクルについて話している。そんな一面もある人間なのです。だから、人間像がひとつに定まらない。そして、そんな麻原の魅力に惹きつけられ、教団に入信した人も多い>
大田俊寛さんが本の出版後にあった元オウム信者で印象的だった言葉があるそうです。「麻原という人間は確かに悪者ではあったが、しかし問題なのは、そういう人間が、現実にどのようなパーソナリティを備えているかということ。どのようなパーソナリティを備えていたのか、そのことがわかりますか?」という趣旨の言葉でした。
これは元オウム信者による麻原彰晃教祖の擁護しているわけではなさげ。麻原彰晃教祖の本性を見抜けなかったことの弁解めいたところはありますが、この元オウム信者が言いたかったのは、「大量殺戮を計画するよう大悪人が、いかにも大量殺戮するような性格ではなくむしろ魅力的」という事実のようです。(2022/12/31追記)
大田俊寛
<その信者の方は、「自分は95年のサリン事件の直前、最も麻原に近い場所にいたが、日常生活の麻原は、おおらかで人を笑わせるのが得意で、とても愛嬌があり、誰もが思わず親しみを覚えてしまうような人間だった。しかし、その心の奥底には、大量の人間の命を奪っても何とも思わない深い冷酷さや、強い毒性のある棘のようなものを隠し持っていた。自分は人生の中で多くの人々に会ってきたけれど、麻原のような人間には他に会ったことがない」とも語っていました>
ここらへんは今読むと、サイコパスのことを思い出しますね。麻原彰晃さんはサイコパスと違う可能性を感じるものの、似ていると感じるのは「サイコパスには魅力的な人物が珍しくない」ということ。「魅力的な人物だからいい人」といった考え方は、この点でも注意が必要です。(2022/12/31追記)
●悪徳新興宗教団体で悪いのは一部の人だから悪く言うべきじゃない?
2022/08/07追記:被害者団体によると、宗教法人「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)による被害総額は判明しているだけでも約1237億円。日本で最も悪い新興宗教団体だと言えるでしょう。裁判で統一教会側が敗訴している事例が多い…という言い逃れできない証拠も多数あります。
一方で、統一教会系の団体は敗訴に関して、自分たちの機関誌のなかで『政治家との絆が弱かったから、警察の摘発を受けた。今後は政治家とつながっていかないといけない』と反省。安倍元首相など右派議員・自民党議員を中心に政治家とつながり、違法な集金活動で訴えられないように「対策」を行ってきました。
うろ覚えですが、この問題に関して右派が多いヤフーニュースのコメント欄では、「自分の知っている統一教会の人は政治になんて興味ない。興味あるのは一部の人だけで、統一教会が悪いかのような報道は控えるべき…」みたいなコメントが人気になっていたんですよ。ただ、これは何の擁護にもなりません。
例えば、詐欺企業では末端の社員は騙されているだけ…ということはよくあります。ただ、だからと言って詐欺企業自体が問題なしとはなりませんよね。上層部が詐欺を行わせていることや詐欺が存在すること自体が問題であるためです。実際、末端社員は不起訴、幹部が有罪・会社に処分といったパターンもあります。
また、当初このページのテーマに関連して言えば、そもそも新興宗教を信じてしまう人が「いい人」であることも少なくありません。いい人だからこそすっかり騙されて、実態を知らずに一生懸命悪事に加担してしまうんですね。むしろ「いい人」のためにも、統一教会と政治の問題は徹底追及すべき。問題の隠蔽は逆効果なのです。
●「危険なカルトではなくむしろ良心を持つ理性的な人々」という反論
2014/3/7:
他宗教に不寛容な宗教 輸血拒否事件でエホバの証人をカルトと批判でも引用した
説得―エホバの証人と輸血拒否事件
という本のアマゾンレビュー。実は他にも気になるレビューがありました。エホバの証人に理解があるといった印象を受ける感想があったのです。
人生観・価値観・倫理観 2004/4/21
ずいぶん以前に話題になった時に読みました。(そのときには北野武さん主演でドラマにもなりましたが、かなり原作から逸脱した誇張・演出があったように感じました)この本を「医療上の選択の問題」と捉える向きもあるようですが、それには少し無理があるように感じます。これはむしろ、人間の価値観や倫理観の問題ではないでしょうか。
例えばこういうことです。太平洋戦争の最中にわたしたちが生きていると考えます。そのときわたし達の元に「徴兵」の命令が届くとします。あなたならこの命令に従いますか、それとも拒否しますか?
社会情勢などから見て、この命令に逆らえば弾圧や拷問、もしかすると殺される可能性すらあります。(戦時中の反戦主義者や共産主義者への弾圧については良くご存知でしょう)みなさんの中の何人かは、「例え殺されても戦争には参加しない」というでしょう。あるいは不本意ながら「非国民として家族を巻き込んで弾圧されるくらいなら、応じる」というひと、さらには「喜んで国家に忠誠を示す」という人もいるでしょう。
これらの選択肢のどれを選ぶか。それはあなたの国家観・人生観・価値観・倫理観の問題であって、本来誰にも強要されるべきものではありません。例え結果として国家に背く結果になり、そのために「獄死」したとして、あなたはこの人の選択を責められるでしょうか?また、この人は「自殺志願者」ではありません。恐らく、徴兵の代わりに何らかの強制労働や、罰金が科せられて免除されるとしたら、それについては受け入れる可能性があるからです。つまり「戦争という行為には加担しないが、代替措置としての労役や科料には従う余地がある」ということです。
この本に出てくる家族も、数ある治療法の中で「輸血」という手段だけを「倫理上」受け入れられなかっただけのことで、そのほかの代替手段を医療機関側が提示していれば、恐らく喜んで受け入れたのでしょう。
この本を通じて感じたのは、彼らが驚くほどに普通の正直な人々の集まりで、わたしたちと何ら変わりのない人々だということです。また、彼らのような少数意見を持つ人々の倫理観や価値観を認めることは、必ずしもわたし達の社会にとって不利益ではないということも感じました。少なくともこのルポからみるエホバの証人は「危険なカルト・狂信者」ではなく、ごく普通の感情と良心を持つ至って理性的な人々であると感じました。
●新興宗教の信者は悪い人なのか?むしろ良い人だから危険なのでは?
ちょっと危ういなぁというのが、最後のあたりですね。私も何度かエホバの証人の方に勧誘されたことがありますが、全く悪い人には見えず、むしろ良い人に見えました。でも、その良い人・悪い人という話で語られるべきテーマですかね、これは? 前回の
他宗教に不寛容な宗教 輸血拒否事件でエホバの証人をカルトと批判でした話とも重なりますが、子どもの命についてはどう考えているのでしょう?
あと、この方はもともと偏見バリバリだったんじゃないかなというのも感じます。というのも「良い人だから」という話が出てきているというのは、その反対に「エホバの証人の信者は悪い人だからダメ」みたいな考えがあったんじゃないの?ということです。実際、"エホバの証人は「危険なカルト・狂信者」ではなく"などと書かれています。
こういう「新興宗教=危険なカルト・狂信者」という単純化したイメージはおかしいですし、その対極に行って「普通の人だから問題はなくなりました」としてしまうのも危険です。いつも言っているように、何でこう極論と極論で考えてしまうのでしょうか?
私は別に、輸血拒否を認めるべきだと考える人を否定しましょうと言っているのではありません。「認めてあげるべきだ」と考える人がいても良いと思いますよ。でも、上記の理由はあまりに幼稚です。こういう極論型の人は、極端な思想にハマりそうだなぁとも思います。
●彼らと一緒ならだまされてもいい…と思える世界
上位4つのレビューのうち、最後に残っていたものも載せます。これは前回
他宗教に不寛容な宗教 輸血拒否事件でエホバの証人をカルトと批判の途中で出てきた病院の今後の方針を書いていたレビューです。順番としては上から3つ目でした。
子供達はみな一様に美しい 2009/7/11
子供たちは皆美しい、まだ大人のコントロールできなくなった、エゴに溢れ、歪み、執着に満ちた心を知らない。みな一様に美しく澄んだ心を強く秘めている。
大人のにごり、ゆがんだ心で、この美しい芽を摘む権利は針の先ほども無い。
あらゆるものは社会に出ると困難に出合う。小さなものからとてつもなく大きなものまで。
全く困難の無い現実を求めるのは余りにもナンセンスで有るだう。困難に真正面から立ち向かい乗り越えると、そこにはより強靭な精神が育ち、より広く洗礼された知性を得て、とらわれの無い心を持った精神へと変化していく。
過去に10才から数年間証人を目指した経験のある著者が、もう一度、組織の中枢まで入りきっていない末端の証人達の中に入り、できるだけ証人の目線に立って理解しようとしている姿が有ります。しかしそうした中でも彼らの中に違和感を覚えていきます。
ある信者との会話では、証人の大会で伸び伸びと活動するたくさんの証人達を見て「こんな人達と一緒ならだまされてもいいや」と思ったという。
たとえ自分が間違っていてもいい、この人達と一緒にいたい。確かにエホバの証人の大会には、そう思わせるだけの温かい雰囲気がある。とも書いている。ここに大きな鍵の一つが隠されていそうだ。
古代文章(引用者注:聖書のこと?)の稚拙でいびつとも思える解釈で、復活があるから現世では死んでもいい。この理論が通のなら何でも有りになってしまう。
私がこの二つをセットにしたのは意図的なものです。先の「良い人だから」という考えが、いかに危険かという理由がここに現れています。
エホバの証人をカルトだと決めつけているわけではなく一般論で…ですが、一見して悪い人に見える方がわかりやすく、むしろ良い人に見えるからこそ判断を誤る危険性が高まるのです。女性絡みのゴタゴタやら結婚詐欺やら何やらといっしょですね、「あんな良い人が悪いことをするわけがない」といった思い込みを利用されることがあります。
この世の中は、悪い人が悪い宗教を信じ悪い行いをして、良い人が良い宗教を信じ良い行いをする…などといった単純な世界ではありません。そっちの方が頭を使わなくて楽なのですが、二極化した思想は避けてほしいです。
●詐欺被害者がいい人なら悪徳企業がいい企業だと言えるのか?
2019/01/10:中学2年生だという方が、エホバの証人とは別の宗教団体に母が入っているのですが「やめさせたほうがいいでしょうか?? 」という質問を
ヤフー知恵袋でしていました。保育園のときから「私の勤めている会社だよ」と嘘を言われて、連れて行かれたことがあったものの、成長してネットで悪い情報を見て心配になったんだそうです。
この宗教団体の健全性と辞めさせるべきか?については、私は意見しません。個々の宗教団体によって異なるでしょう。ただ、危険だと感じたのが、これへの回答の方でした。
"宗教関係は、ネットで見ると、ほとんど良い評判が書かれていないですね。
でも、だから宗教がおかしいのかというと、必ずしもそんなことはないと思いました。私の周りにも、宗教やってる人がけっこういるので。おそらく素晴らしいと思う人がいても、今の日本ではそんなことが書きにくい現状があるので、書いてないだけでしょう。その逆に、悪口を書く人は簡単に誰でも書きやすいし、鬱憤ばらしで書くのでしょうね。
一つだけ言えるのは、客観的ではなく感情論で、証拠もなく一方的に書いてるものは、信用できないということです。
芸能人に対する評判なんかもそうですが、まだ、ましな方で、政治家や宗教家のことになると、狂信的に書いてる人もたくさんいますので、片方だけの意見を鵜呑みにせず、ある程度判断できる年齢になれば、自分自身で確かめて判断するしかないかもしれませんね"
感情論は信用できないと否定しているのに、おかしくない理由が「必ずしもそんなことはないと思いました」「私の周りにも、宗教やってる人がけっこういる」という、もろに感情論。根拠が全くありません。
また、周囲に宗教をやっている人がいるがいるからおかしくない宗教もあるはず…というのは、当初書いていた「危ない宗教をやってる人は悪い人」「良い人がやっているのは良い宗教」という間違った思想があるんじゃないかと感じたので、ここに追記しました。
あと、悪徳企業の話で例えるとわかりやすいかな、と今思いました。詐欺被害者なんかはむしろいわゆる「人がいい」という方が多いでしょう。でも、それを理由にして「悪徳とされている企業は悪くない」とは言えませんよね。前述の通り、宗教に騙されている信者の方は、逆に「人がいい」タイプが多いと考えた方が良いでしょう。
なお、詐欺被害の例で言うと、困ったことに、被害者は搾取に気づかずに、「~さんはいい人だから」と一生懸命に悪徳企業の人を擁護して反論し、説得が効かないことがたいへん多いです。これも「いい人に見えるからいい団体だとは言えない」という例だと言えそうでした。
●不正をする人・嘘をつく人はいかにも悪そうな人?研究によると…
2020/06/10:いい人に見えるから悪いことはしていないはず…という思い込みに関連するものとして、以前書いた
性善説と性悪説、どちらも人間は悪という前提 間違った意味が浸透や
小さな嘘・不正が大きな嘘・不正に繋がる、研究で確かめられるの話も紹介しておきます。
サンドラ・サッチャー・ハーバードビジネススクール教授は、ある大企業に勤めて不正を行っていた男性とその妻に会ってみると、彼らはどこにでもいる善良そうな夫妻だった…としていました。これを受けて、教授はごく普通の人が悪に手を染めるものだという話をしています。
また、英ロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ(UCL)実験心理学部の研究者のニール・ギャレットさんらの研究も前述のような勘違いと関連するものでしょう。これは、小さなうそをつくと、それがエスカレートして大きなうそに発展しやすくなることを確認した研究です。
この実験では、もともと率直さの程度が低いと特定されていた被験者は、実験中にうそをつく可能性も高かったことがわかっています。もともと嘘つきだった人が嘘をつきやすい…というなんてことない話。この部分だけ読むと、嘘をつく人は特別な人だと思うかもしれません。
ところが、こういうもともと嘘つきだった人たちだけでなく、大半の被験者も、時間とともにどんどんと大胆なうそをつくようになってしまいました。特別な人だけが嘘をつくわけではなく、普通の人も嘘の連鎖に飲み込まれて大きな嘘をつくようになってしまうことは十分あり得る…という話です。
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