●包丁で怪我をしたら薬は傷口でなく包丁に塗れ!武器軟膏の考え方
2014/3/12:軟膏(なんこう)と言うとちょっとわかりにくい言い方な気もしますが、要するに皮膚につける塗り薬の話ですね。広義の軟膏はクリーム剤を含み、狭義の軟膏はそれを除く…みたいなのもあるようですけど、今回は全然関係ない話なので、とりあえず、塗り薬というイメージがあればそれで良いです。
この軟膏。普通は怪我したところに塗ります。包丁で指に怪我をすれば、傷口に塗るでしょう。ところが、昔ヨーロッパでは
包丁で指を切ったときにその包丁に軟膏を塗ると傷が治ります!という摩訶不思議なことを昔やっていたようなのです。発想が謎すぎて、わけわからんですね…。
<武器軟膏(ぶきなんこう)とは、傷薬の一種。通常の軟膏と異なり、薬を傷口ではなく、傷をつけた武器の方に塗る。16世紀から17世紀にかけて西欧の一部でその効能が信じられ、その理論について論争となった>
Wikipedia この武器軟膏は、人間用の薬とは異なるようです。"傷を受けた人の血液を含む多くの成分、あるいは傷を受けた人の血液そのもの"を使うと説明がありました。何か血に飢えた剣に供物を支えるようなイメージですね。また、武器軟膏には「共感の粉」と呼ばれる粉状の薬もあるそうな。こちらは血みたいな怪しいものでないので、もっと素直に薬っぽい感じを受けます。
あと、「共感の粉」は"武器ではなく、傷を受けた人の血液が付着した包帯に塗る場合もある"とのこと。…もうそこまで行ったんなら、傷口にも塗ってあげなさいよ…と思います。あと一息じゃん!と思いましたが、先の説明は使い終わった包帯に塗るって意味かもしれません。
武器軟膏はもう何でもあり!な感じで、"武器と傷口が離れていてもはたらく"というのまであります。伝説的な錬金術士である"パラケルススによれば、距離が20マイル離れていても効果がある"んだとか。この便利な効能により、武器軟膏は"共感の粉を用いた海上での経度の確認方法"というさらに摩訶不思議な使い方もされています。笑いますわ…。
<この案は1687年に発表された。当時は海上で使える正確な時計が存在しなかったため、航海中に現地点での経度を知るのは困難であった。そこで考え出されたのが共感の粉を使った方法である。共感の粉による治療法には痛みが伴い、これを使った瞬間に患者はその痛みで飛び上がるという。そこで航海前にわざと犬を傷つけておいて、その傷口に包帯をあてる。そして、包帯だけを出発地点に残し、犬は航海に連れてゆく。残った人が毎日決まった時間、たとえば正午に共感の粉を包帯にふりかけることにすると、その瞬間に犬は飛び上がるから、海上にいる人は出発地点の時間を知ることができ、そこから現在の経度を求めることができる>
ウィキペディアではなぜか「求めることができる」で終わっていますけど、
もちろん求めることはできません。経度の計算みたいな複雑なことはできるのに、こういうわけわからんものも同時に信じられていたんですね。それを言ったら、疑似科学などを信じる現代人だって似たようなものですが…。
武器軟膏がすごいのは、上記の経度測定の話だけでは終わらないということ。さらに別のトンデモな発展も遂げました。当時"武器軟膏の性質は、磁力と共通している"という考え方が支配的。ロバート・フラッドはこの考え方を利用して、以下のような理論を作り出します。
<まずフラッドは、磁力を北性の「極磁気」と南性の「赤道磁気」に分類した。天然磁石にあるものは冷たい極磁気で、一方の赤道磁気は人間の体内などに存在する。そしてさらに、人間の生気にも同じように、冷たい「北性極的性質」と温かい「南性極的性質」があるという考えを適用して、人を傷つけた武器には北性極的性質をもった生気が含まれているとした。一方で武器軟膏は新鮮な血液を原料としているため、南性極的性質をもつ。これを武器にかけることで、武器に含まれる北性の生気は徐々に消えてゆく。それに伴って、傷ついた人も共感作用によって徐々に回復してゆくという考えである>
「赤道磁気」ってのは、それより南まで行かなかったからでしょうね。さらに南に行くとまた寒くなるわけですし…。とりあえず、ロバート・フラッドはこの理論に従い、南性の性質を利用することによって、次のようなことが可能だと結論づけちゃいました。
<これによって、水腫、胸膜炎、痛風、めまい、癲癇、フランス痘、中風、癌、瘻、不潔な潰瘍、腫瘍、負傷、ヘルニア、四肢の切断、女性の月経過多、月経過少および不妊も、また熱病、消耗熱、萎縮症や、四肢の消耗なども、この自然に存在している磁気を用いる方法で癒されうるのである。しかも、距離を置いて、なんらの直接的接触なしにこの治療は可能なのである>
万能すぎです。というか、投稿直前になって「四肢の切断」まで治ると書いているのに気づきました。切断された手や足からニョキニョキ…っと新しい手足が伸びてくるイメージですかね? トカゲのしっぽじゃあるまいし…という話。いくら何でも盛りすぎでしょう、これは…。
こういったことが信じられていたのは、武器軟膏に効果があったように見えたせいでもあるようですね。最初に何で傷口に塗らないの?と書いた疑問への答えもここにあります。武器軟膏に効果があったように見えるってどんな状況?と思うかもしれませんけど、以下の説明を読めば何となくわかるはずです。
<ケネルム・ディグビーは、共感の粉(現在では硫酸鉄(II)と考えられている)を使って、実際に治療を行った。ジェームス1世らはその効果に感心したという。他にも、実際に武器軟膏によって傷が治ったという事例も報告されている。
しかしながら現在では、武器軟膏の効果といわれていたものはすべて自然治癒力によるものだと考えられている。つまり、当時は衛生観念に乏しかったため、傷口に不衛生な薬を塗るよりは、武器の方に塗って傷口は洗浄だけにとどめておいた方が傷の治りが早かった場合がある。そのことが、武器軟膏が効いたと勘違いされる要因になったと考えられている>
プラセボ効果もあるかもしれませんね。現代人がホメオパシーの効果やがんは治療しなくても治る、代替医療で治る…などとニセ科学を信じるのといっしょで、彼らは自然に治る現象を武器軟膏の効果と誤解してしまったのです。こう考えると現代人もバカにできないわけですが、武器軟膏が信じられていたのもそう昔のことじゃないんですよ。
既に年代に関するものがいくつか出てきているのでわかるでしょうが、武器軟膏が最も注目を浴びたのは17世紀のことです。私はこの前書いたニュートンの話(
性格悪いニュートン ライプニッツ、フックらとドロドロの確執)のときにWikipediaを見ていて辿り着いたので、科学の基礎が作られた画期的な時期にこんなことをやっていたということになります。
ただ、厳密に言えば、当時はまだ「科学」という概念はなく、錬金術、魔術などといった、現代では全く違うく見えるものたちが、科学の基礎となりました。ニュートンの話で彼についてはあれな話が多いとしたように、彼も今から見るとトンデモみたいな研究をしていますので、仕方ないことです。
(ニュートンのトンデモ研究については、その後、
オカルトにハマったニュートン、錬金術に夢中でキリスト教研究もで書きました)
また、現代人の知識は過去の人たちが見つけたものであり、自分で見つけたわけでもないので、あまり偉そうなことは言えない…とも言えるかもしれません。
ここから再び武器軟膏の話に戻って、ニュートンが生まれる1643年の数十年前にあったのが以下のような論争でした。
<1608年、ルードルフ・ゲッケル(ゴクレニウス)(en:Rudolph Goclenius the Younger)は武器軟膏の考えに賛同する論文を出版した。そしてこの論文がきっかけで、武器軟膏に関する言及がさかんになった。
ゴクレニウスの考えでは、武器軟膏が効くのは魔術的なものではなく、自然の要因だとするものであった。イエズス会士のジャン・ロベルティはこれに反対し、これは自然ではなく、悪魔が関わっていると述べた。2人の論争は1615年から1622年にかけて7回にわたって続いた。
1621年、ヤン・ファン・ヘルモントはロベルティからこの問題に関して意見を求められた。ヘルモントは、武器軟膏の効能は純粋に自然的なものではないとゴクレニウスを批判し、一方でロベルティのように、これを悪魔的とするのも間違いであると述べた。そして武器軟膏の力は、「善に対しても悪に対しても差別がない魔術的力によって支えられている」と論じた。しかしヘルモントによる武器軟膏の理論は当時のスペイン教会とは合わなかった。そのためヘルモントは異端審問所に告発され、1625年以降、自宅で軟禁状態で過ごすことを強いられた。(引用者注:結局死ぬまで自宅に幽閉され、自由に著書を刊行することを禁じられました)>
相変わらず宗教はろくなことをしないですね。個人的には、正直、悪い影響の方が大きいんじゃないか?と疑っています。(その後、
宗教、特に新興宗教は悪いのか?成人式ジャックで宗教団体を宣伝という話を書いています。2022/08/03追記)
…ちなみにこのヤン・ファン・ヘルモントさん。彼は皮肉なことに、"熱心なキリスト教徒"だったといいます。熱心なキリスト教徒なのに、教会によって社会的に殺されてしまったわけです。
また、ヘルモントさんは「ガス」の概念を考案するという画期的な実績を残した一方、錬金術の研究も行っています。さらに、熱心なキリスト教徒ゆえに、『創世記』における天地創造の記述に合わせたトンデモな説も作っています。先述の通り、この時代はこういう玉石混交の時代でした。
(
ヤン・ファン・ヘルモントのWikipediaより)
あと、深い考えなしにニュートンの時代といった書き方をしていましたが、実際にニュートンの活躍する時代には、既に武器軟膏は下火になっていた…みたいなことも書かれていました。その前にも攻撃を受けていたようですが、最終的に武器軟膏を駆逐したのは「機械論」というものだそうです。また新しく怪しいのが出てきてしまいましたね…。
この機械論というのは、"物体が他の物体に力を及ぼすのは互いが接触しているときに限られる"という考え方でした。よって、離れたところで働く武器軟膏は到底認められるものではなかったのですが、同様の理由でニュートンの"2つの物体の間には引力がはたらくという万有引力の法則"も否定。結局、トンデモではあります。
万有引力は1665年に発見、それを記したプリンキピアは1687年の発表です。先述の船の上で時刻を知る方法の考案も同じ1687年ですから、武器軟膏がこの時代に完全になくなっていたというわけではなさそうです。ただ、当時にはもう機械論の勢力の方が強かった…という意味なんでしょうね。
この時代は現代の科学まで連なる高度な知識と、今だと鼻で笑われるようなトンデモな理論がごっちゃごちゃに混在しています。それもまたこの時代の魅力なのかもしれません。
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