ヨハネ・パウロ1世(羅: Ioannes Paulus PP. I、伊: Giovanni Paolo I、1912年10月17日 - 1978年9月28日)はローマ教皇(在位: 1978年8月26日 - 1978年9月28日)、カトリック教会の司祭。(中略)宗教事業協会(引用者注:いわゆるバチカン銀行)の改革を表明した一方、在位わずか33日の急逝には暗殺説が根強い。
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ロベルト・カルヴィ(Roberto Calvi、1920年4月13日 – 1982年6月17日(遺体発見日))は、イタリアの銀行家。バチカンの資金管理を行う銀行であったアンブロシアーノ銀行の頭取であったことから、「教皇の銀行家」と呼ばれていた。
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シンドーナは、第二次世界大戦後から、ラッキー・ルチアーノやジョー・アドニス、ヴィト・ジェノヴェーゼらのアメリカのイタリア系マフィアや、サルヴァトーレ・リイナなどのシシリア系マフィアなどのマネーロンダリングを手掛けていたことで知られていた他、これらの「裏世界」の人間だけではなく、バチカン銀行総裁でアメリカのシカゴ出身のポール・マルチンクス大司教や、さらにマルチンクス大司教と昵懇の仲で、マフィアと関係の深かったジョン・F・ケネディとも親しく、さらにリチャード・ニクソン政権の財務長官を務めた銀行家のデヴィッド・M・ケネディなどの「表」の人物とも深い関係にあった。
1972年に、ルチャーニ(引用者注:ヨハネ・パウロ1世の本名)が総大司教を務めていたヴェネツィアで聖職者や低所得者層への低金利融資を行っていたカトーリカ・デル・ベーネト銀行が、バチカンの運営資金調達や資金管理などの財政を取り仕切るバチカン銀行(正式名称は「宗教事業協会」、Istituto per le Opere di Religioni/IOR)の総裁で、マフィアやロッジP2などの秘密組織と深い関係を持っていたアメリカ生まれのポール・マルチンクス大司教と、バチカン銀行の主力取引行であるアンブロシアーノ銀行のロベルト・カルヴィ頭取の、脱税と株式の不法売買のために秘密裏に売却された。
これに対してルチャーニ総大司教はバチカンに抗議をしたものの、マルチンクス大司教がパウロ6世から直々にバチカン銀行総裁に任命されていたことから、パウロ6世へ累が及ばないように巧みに抗議を行ったことなどがパウロ6世に感銘を与え、パウロ6世からの信頼を勝ち取った。この事も影響し翌年の1973年には枢機卿に選ばれた。(中略)
バチカン銀行の改革
就任後間もなくバチカン銀行の不透明な財政についての改革を表明し、実際に、かつてカトーリカ・デル・ベーネト銀行の売却で暗闘し、その後も「ロッジP2」のリーチオ・ジェッリ代表を含むメンバーや、マフィアなどと深い関係を持ち汚職を続けていただけでなく、贋造公債の発注がFBIの捜査対象になるなど、その言動が国際的にも問題視されていたマルチンクス総裁の更迭を決めていた。
また、マルチンクス総裁以外にも、ジャン=マリー・ヴィヨ国務長官をはじめとするバチカン銀行の汚職に関係するバチカン内部の関係者の更迭を死去直前に決定し、その更迭者リストの内容をめぐって様々な噂が流れていた。
急逝
教皇在位33日
上記のような改革を表明したことが、多くのバチカン内の改革派と信者からの支持と喝采(そして対象者とその利害関係者からの抵抗と非難)を受けたにも関わらず、ヨハネ・パウロ1世は、教皇在位わずか33日目の1978年9月28日の午前4時45分にバチカン内の自室で遺体となって発見された。わずか33日の教皇在位は、20世紀に入ってから最短の在位記録となった。
通常通りの起床時間になっても起きて来ないことを不審に思った修道女によって発見された直後に、個人秘書であるマギー神父に連絡が行き、さらに午前5時にはヴィヨ国務長官に連絡が行ったものの、ヴィヨ国務長官はすぐに専属医師団を呼ばず、自らの側近に連絡した後にようやく医師団次席であるレナート・ブゾネッティ医師に連絡を行った。
その後午前6時過ぎに駆けつけたブゾネッティ医師による検死が行われたものの、遺体解剖が行われていないにもかかわらず、ブゾネッティ医師は「死亡推定時刻は27日の午後11時ころで、死因は急性心筋梗塞である」と断定し、午前7時27分にバチカン放送による逝去の発表がされた際にはこの検死内容がそのまま発表された。なおこの際には、なぜか(聖職者の私室に修道女ではあっても女性が入ってはいけないという理由で)遺体の発見者が個人秘書のマギー神父であると偽って発表され、さらに遺体発見時刻も「午前5時30分」と偽って発表された。
さらに死去後に、ヨハネ・パウロ1世の遺体発見時にベッド周辺に置かれていた眼鏡とスリッパ、就寝前に手元にあったヴィヨ国務長官やマルチンクス大司教などのバチカン銀行関係者の更迭を含むバチカンの人事異動者リスト、通常は常時用意されている遺言状が、昨日ヨハネ・パウロ1世より更迭が言い渡されたヴィヨ国務長官により持ち去られており、その後行方不明になった。
またヨハネ・パウロ1世の遺体が発見されてから15分と経たず、医師団への連絡も行われていない午前5時前には、早くもバチカン御用達の葬儀社であるシニョラッティ社に連絡が行った上に、遺体解剖も行われず、明確な死因もわからないうちから防腐処理が行われたことなど、バチカンによる「証拠隠滅」や「情報操作」と思われる行為が矢継ぎ早に行われたことが、信者やイタリア政界関係者、マスコミだけでなく、バチカン内部関係者からも大きな疑惑を呼んだ。
バチカン市国「神の資金」を扱う闇の男たち -後編-[橘玲の世界投資見聞録]|橘玲の世界投資見聞録 | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン 2013年11月6日
教皇ヨハネ・パウロ1世の不可解な死から4ヶ月後の79年1月21日、バチカンが関与する不正な金融取引を調査していたイタリア検察庁のアレッサンドリーニ検事は、車で子どもを学校に送ったあと、信号待ちをしているときに、近づいた5人の男に銃を乱射されて死亡した。「プリマ・リネア」と名乗る極左組織が 犯行声明を出したが、テロの理由は判然としなかった。
同年7月11日、ミラノの弁護士ジョルジョ・アンブロゾーニが自宅の玄関で、至近距離から 胸に4発の銃弾を浴びで死亡した。アンブロゾーニはシンドーナの銀行の清算人に指名され、乱脈経営や不正経理の内情を裁判で証言したばかりだった。アンブロゾーニを殺したのはアメリカからやって来た殺し屋で、ジュネーブのクレディ・スイスの口座にはシンドーナから10万ドルが振り込まれていた。
その2日後の13日、ローマ治安警察のアントニオ・バリスク中佐が、車を運転中、白のフィアットからショットガンを撃ち込まれて即死した。こちらは極左組織「赤い旅団」が犯行声明を出した。バリスク中佐は独自に捜査中の事件のことで、7月9日に弁護士のアンブロゾーニを訪ねていた。
8日後の21 日、シチリア島パレルモで警察次長ボリス・ジュリアーノが銃撃を受け死亡した。コーヒー店で朝食を済ませ、レジの前に立っていたジュリアーノは、近づいてきた男に拳銃6発を撃ち込まれたのだ。ジュリアーニもまた、7月9日にアンブロゾーニとミラノで会っていた。
一連の事件の意味は、関係者であれば誰でも知っていた。バチカンとP2の闇を暴こうとする者は、片っ端から殺されていくのだ。
http://diamond.jp/articles/-/44124
その後、アンブロシアーノ銀行を経由した不明朗な資金の流れは、イタリア政府関係者やイタリアをはじめとする各国のマスコミの疑念を呼ぶこととなり、1981年から1982年にかけてイタリア中央銀行による大規模な査察を受けた結果、およそ10-15億アメリカドルに上る使途不明金を抱えていたことが明らかになり、1982年5月に破綻した。
カルヴィは、アンブロシアーノ銀行の破綻とそれに伴う議会の公聴会への招聘の直前に、何者かの助力を受けて偽造パスポートを使い国外に逃亡していた。
各国の当局やマスコミから身柄を追われていたカルヴィが、1982年6月17日の未明に、イギリスの首都、ロンドンのテムズ川にかかるブラックフライアーズ橋の下で「首吊り死体」の姿で発見されたため、当事者のバチカンとイタリア、イギリスの各政府のみならず、全世界を揺るがす大騒動となった。
カルヴィの死体が発見された当時は単なる自殺であるということで片付けられたものの、ロンドンの中央に位置するブラックフライアーズ橋に、まるで見せしめのように死体が吊るされていたことや、死体の位置が自ら首を吊ったとするには無理がある状況であったり、なぜか衣服のポケットに別の場所で入れられたと見られる小石や煉瓦が入っていたりと、死体の状況が単なる自殺とはあまりにもかけ離れた状況であることから、その後遺族らによって再捜査を依頼されたスコットランド・ヤード(ロンドン市警)が再捜査を開始し、最終的に1992年に他殺と判断された。
また、イタリア警察当局も2003年7月にカルヴィの遺族の依頼により遺体を掘り起こし再鑑定した結果、「他殺され発見現場に運ばれた」との判断を下しており、現在はイギリスのみならずイタリアでも他殺されたとの認識が一般的である。
「ゴッドファーザーPARTIII」(1989年、アメリカ)
マルチンクス大司教がバチカン銀行の総裁を退任した1989年に公開されたこの映画において、ロベルト・カルヴィ暗殺事件とヨハネ・パウロ1世の教皇就任直後の突然死が、長年のバチカンとイタリア政界、マフィア3者の癒着を象徴するプロットとして使用された。
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