アニリール・セルカン(Serkan Anilir、1973年-)は、工学者(建築学)。元・東京大学大学院工学系研究科助教。不正な手段によって博士号を取得したとして東京大学創立以来初の学位取り消し処分を受けた。
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幼い頃に彼は当時宇宙で使われていた太陽光発電を使用し、発電した電気でサッカー場を照らすアイディアを発案。その模型を作り出品した。それがスイスで寄宿学校を経営している者の目に留まったことから、家族会議の末、海外で一人暮らしを始めるようになる。以後25年間、家族とは離れた生活を送ることとなる[自称 1]。(中略)
NASAでの研究時、母国のトルコではトルコ出身の宇宙飛行士を輩出しようという世論が高まっており、トルコ空軍長直々の推薦で宇宙飛行士候補に選ばれる[自称 2]。これはスキー選手として国の代表になった経験もあり、健康面で有利だったこと、大学時代にパイロットのライセンスを取っていたこと、さらに、現役のNASA研究員であったことなどが有利に働いたためと思われる。以後もテスト、および訓練プログラムを突破し、2004年10月、晴れてNASAの宇宙飛行士候補生となる[自称 3]。
趣味・特技としてはスキーに加え、語学・音楽・美術が挙げられる。まず語学に関しては8カ国語[自称 4]に加え、古代語を用いることができる[自称 4]らしいが、発音が解明されていない言語も含まれる。
1995年
イリノイ工科大学 (IIT)建築学科卒業(自称)[自称 13]。後に詐称であると発覚。
1997年
プリンストン大学 数学部講師に就任(自称)[自称 13](Ph.D.を取得していなければテニュアトラックには参加できないため、ありえない)。
プリンストン大学客員教授 数学部教授(この経歴はあくまで自称)。だがPh.D.を取得していなければこのようなことは不可能である。
1998年
長野オリンピックで、トルコスキーチームのスーパーバイザーとして初来日[自称 14]。
1999年
バウハウス大学 エンジニアリング学部 建築学科修士課程修了(自称、偽証の疑いが濃厚)[自称 13]。
2000年
2000~2002年 鹿島建設デザインエンジニアリング部 研修生(自称)。なお、これについては経歴詐称との指摘もある。
後に宇宙開発設計部部長に就任(自称)。鹿島建設には宇宙開発設計部という部署の存在は確認されておらず、またその他の部長職への就任も確認されていない。
2000~2003年 NASAジョンソンスペースセンター アドバンスプロジェクト チームリーダーとなる(自称)(NASAが行う宇宙空間での構造開発研究において宇宙エレベータプロジェクトの統括。またここで開発された技術の一般企業への移転。同研究の業績が評価され、2005年ケンブリッジ大学特別物理化学賞を受賞としているが、このような賞は存在しない)。
2001年
NASAジョンソン宇宙センターで宇宙飛行士プログラムを修了(この経歴はあくまで自称)[自称 13]。NASA在籍時に、所属する全ての科学者が軍人であることを知る。自身も大佐まで昇進。
2003年
東京大学大学院工学系研究科 建築学専攻 博士課程を修了[自称 13](学位論文:宇宙空間での長期居住を可能にする軌道上施設に関する研究)(後に盗用および剽窃が発覚)。
2004年
この年にトルコ人初のNASA宇宙飛行士候補に選ばれたと主張している[自称 2]。
2005年
東京大学大学院工学系研究科建築学専攻助手となる(インフラフリー技術を応用した施設の開発に関する研究)。
この年に、ケンブリッジ大学物理学部 特別科学賞 受賞と主張している[自称 13]。
この年にAmerica Medal of Honor(アメリカ名誉賞)受賞と主張している[自称 13]。名誉勲章とは無関係。
2006年
東京大学大学院工学系研究科建築学専攻助教となる。
多次元空間
研究者仲間とともに、11次元に関する研究論文をケンブリッジ大学の科学専門誌に提出している[自称 8]。実際に建築する際の問題点などを割り出している[自称 9]。なお、JAXAは2003年度年次要覧に記載された業績のうち4本について「存在が確認できない」などとして削除したが、そのうちの1本はPhysical Review Letter誌(アメリカ物理学会発行であるが、業績リストには「ケンブリッジ大学出版」と記載されていた)に掲載されたとする論文である。
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