日本の食事や家族に関する話をまとめ。<食卓・ちゃぶ台囲んで家族団らん…は日本の伝統ではなかった?>、<大家族による家族団らんが失われたのが問題…というのは本当か?>、<「伝統的家族」は伝統じゃない 子供への愛情も昔の方が薄かった>などまとめています。
2023/02/25追記:
●「伝統的家族」は伝統じゃない 子供への愛情も昔の方が薄かった
2023/05/12追記:
●江戸時代、ろうそくは贅沢品だった!あんどんの方が実は安い 【NEW】
江戸の食生活 (岩波現代文庫) ( 原田 信男 (著) )


●食卓・ちゃぶ台囲んで家族団らん…は日本の伝統ではなかった?
2022/12/03:ビデオの録画予約を設定しているときに流れていたもので、まともに見ていたわけではないのでかなり記憶が曖昧なのですが、NHKの教育番組で「日本ではひとりひとりにお膳を用意するのが普通だったが、昭和になって1つのちゃぶ台を囲んで家族がいっしょに食事をするようになった」みたいなことを言っていました。
前述の通り、注意して見ていたわけではなく、テレビもその後すぐに消しています。ただ、深く考えてきたことはなかったので、そういやそうだな!とびっくりして、妙に印象に残りました。番組では今でも宴会や旅館である、ひとりひとりの前にお膳を置いた絵も出ていた記憶。これが本来の日本の伝統かもしれません。
ただし、今になって考えてみると、このお膳を使った食事も武士など一部の階級に限った伝統である可能性もありそう。町人、さらにそれより数の多かった農民の食事風景はどうだったんでしょうね。ここらへんは気になるところですが、時間がかかりそうなので、少しずつ調べる予定。また、食卓で家族団らん系の話も集めるつもりです。
●日本で最も古い儀式料理である貴族の料理は団らん系?個食系?
2022/12/29追記:日本の過去の食事の話を検索。結局、庶民の話ではなく、普段の食事でもないのですけど、いろいろ読んでいた中で興味を持ったのが、
【和食の歴史】縄文時代から現代に至るまでの和食の歩みを解説〜年表付き〜にあった「大饗(だいきょう)料理は日本で最も古い儀式料理です」という記述。検索してみると、
Wikipediaでは有職料理という項目の中で説明がもありました。
<有職料理(ゆうそくりょうり)とは、中国唐の台盤料理が日本に伝わって、平安時代の貴族により花開いた料理である。社交儀礼で使う大饗料理も公家風の有職料理からアレンジして残った物である。ただし、現在「有職料理」と言われている物は、本膳料理などの影響も受け、平安時代当時そのままの様式ではない。また、本膳料理を有職料理に含める定義もある>
大饗の読み方は、だいきょう/おおあえ両方があるようです。日本はなんと言っても中国の影響が強いため、上記にあるように中国由来。この説明は私が最初に見たサイトでもありました。以下はWikipediaの説明ですが、最初見たサイトによると、これがやはりひとりにひとつの卓を与える形式。1品1皿で皿数がやたら多するため、今の会食よりでかい卓だったそうです。
<平安中期になると、貴族の中でも皇族、摂関家、それ以外の貴族の序列は動かしがたい物となり、その接待の形式として「大饗」が定められる。唐文化の影響を受け、「台盤」と呼ばれるテーブルに全料理を載せたり、「唐菓子」など渡来の料理も添えられるなどの献立の多さもさることながら、食べる側にも食べ物の種類ごとに細かい作法が要求されたことが『内外抄』や『古事談』の記述から分かり、現代人から見ると大変堅苦しい物だったようである>
●貴族の意地で野菜は下品 味付け下手で接待なのに自分で味付け
当初のテーマとは外れますが、この大饗料理はかなりおもしろいですね。細かい作法が要求されて大変堅苦しい食事だっただけでなく、味付けが下手なため、各自が自分で味付けして食べており、接待料理なのに手間をかけさせています。また、貴族のプライドにより、野菜を「下品な食べ物」とみなして摂取しないなどの理由で、栄養面でも悪かったそうです。
<出汁を取る、下味をつけるなどの調理技術が未発達で、各自が塩や酢などで自ら味付けをしていた。珍しいものを食べる事によって貴族の権威を見せつけ、野菜を「下品な食べ物」とみなして摂取しなかった事や、仏教の影響で味の美味い料理を口にする事をタブー視していたことから、栄養面から見るとかなり悪い食事であった>
この貴族のプライドと後半の「仏教の影響で味の美味い料理を口にする事をタブー視していた」の組み合わせで、イギリス紳士は簡単で質素すぎる食事を食べることを美德していたという、
まずいことで有名なイギリス料理、由緒正しき理由があってまずいのことをなんとなく思い出しました。昔の日本人貴族も似たような精神性だったのかもしれません。
●大家族による家族団らんが失われたのが問題…というのは本当か?
2023/01/24追記:「食卓・ちゃぶ台囲んで家族団らん」の歴史が知りたくていろいろ検索したものの、さっぱり適切なページが見つかりません。Wikipedia内では「食卓」などズバリな項目がなく、あちこち見ました。その中で一番マシだったのは、
家族 - Wikipediaの中の<家族団欒、一家団欒>の項目でした。
このように食事ではなく、家族形態の歴史について見ていく方が近道かもしれませんね。今後のためのヒントになる気づきでした。ただし、この<家族 - Wikipedia>のページそのものは出典が全然なく、独自研究のおそれがあるページ。出典があるページほどは信頼できません。
・家族団欒、一家団欒
<広辞苑では「集まってなごやかに楽しむこと」と説明されている。家族で、一緒に食事をしたり、談笑するなどして、なごやかに、楽しくすごすことである。「なごやかに」とあるように、喧嘩をしている状態や険悪な雰囲気では「家族団欒」ではないわけである。たとえば、冬には一緒に炬燵に入り、ひとつの鍋を家族でつつく、などといったイメージがある。
日本では昭和期・平成期に核家族や独身者が増え、ひとりひとりの生活リズムもバラバラになり、孤食化も進み、家族団欒が失われた。正月や彼岸には帰省して、ほんの数日間(普段はしていない)「家族団欒」を意識的に作り出そう、などということが行われるようになっている>
前述の通り、出典がないのですが、とりあえず、このページを見ていきます。上記の「家族団欒、一家団欒」の前には以下のような記述がありました。家族団らんとはちょっと違う話ですけど、「日本では明治・大正期は、(中略)大家族の割合が高かった」とあり、江戸時代以前は異なっていた可能性もあるかもしれません。
<日本では明治・大正期は、夫婦が多くの子をつくり(子沢山)、親たちと同居し、大家族の割合が高かったが、昭和期には夫婦とその子だけで成る核家族、小家族の割合が増えた(つまり、ある夫婦から見て夫や妻の親とは住まない割合、あるいはある夫婦から見て、孫と一緒に暮らさない割合が増えた)>
Wikipediaでは、上記に続けて<その後、そうした形態の家族の様々な弊害が認識されるようになり、ひとつの家屋の1階2階に分かれて微妙な「近さ」と「距離」を保ちつつ暮らす人々も増えるなど、家族の多様化や 家族の線引きの曖昧化が進んでいる>と書いています。大家族と小家族のいいとこ取りを模索する形です。
なお、私は「大家族が良い」という思想については、根拠がない単なる偏見では?と気になっています。例えば、
核家族化で自殺が増えて、大家族で自殺者が少ない…本当か?でやっているように、核家族の方が自殺が多いというわかりやすい結果になっていないどころか、大家族に弊害がありそうな可能性も感じさせるデータでした。
●「伝統的家族」は伝統じゃない 子供への愛情も昔の方が薄かった
2023/02/25追記:前回の流れを受けて「家族形態の歴史」という観点で検索。これでヒットしたのが、
時代とともに変わりゆく家族のかたち | 家・家族 | RADIANT - 立命館大学研究活動報 | 研究・産学官連携 | 立命館大学というページでした。立命館大学の筒井淳也・産業社会学部 教授に話を聞いたものですね。
筒井淳也教授は「現代は昔より家族関係が希薄になっている」という認識は間違っていると指摘。また、「昔は子どもの数が多く、三世代が同居する大家族も当たり前。家族関係も密だった」という認識も間違い。三世代世帯の割合は相対的に少なかったためです。大家族は「伝統的家族」とも言われますが、逆に「伝統」ではないようでした。
<歴史を振り返ると、三世代世帯の割合は相対的に少なかったという。父系社会である日本では、父母や祖父母と同居するのは家督を継ぐ長男とその妻子のみで、その他の子どもは家を出る。きょうだい数が多ければ、おのずと三世代世帯の割合は小さくなるためだ。加えて平均寿命が短かったため、現実には同居期間も極めて短かった。
さらには情緒的関係も濃密とはいいがたかった。「乳幼児死亡率が今より高かった江戸時代までは、子どもに対する親の愛情は現代よりずっと淡白だったと考えられています。私の祖父母世代でも、子・孫の数が多いため、一人ひとりへの関心は必ずしも高くありませんでした」と筒井は説明する>
逆に言うと、「少子化」により子供が少なくなると、その貴重な子供に愛が集中するように…という流れ。また、長寿化したことにより、「長ければ30年以上」という長期のつながりができることに。「これほど長期にわたって濃密な親子関係が続く社会は、歴史上初めて」とされていました。昔の方が家族愛が薄かったのかもしれません。
●江戸時代、ろうそくは贅沢品だった!あんどんの方が実は安い
2023/05/12追記:昔の食事はどんな感じだったのか?ということで検索。
江戸時代の食事情/江戸庶民のおかず|日本食文化の醤油を知るというページが出てきましたので読んでみることにしました。いきなり食事と直接関係ない話なんですが、当時は「ろうぞく」の方が贅沢だったという話に驚きます。
<当時の庶民はほとんど行灯(あんどん)を使用していた。(中略)蝋燭(引用者注:ろうそく)は、ごく限られたところ、大店、遊郭、大きな料理屋などでしか使えなかった。一般庶民が使っていた行灯の火種は、ほとんどが「菜種(なたね)油」である。他には「ごま油」や「くじら油」、臭いがきついが「いわし油」などもあった。
江戸時代中頃、振売り(ふりうり)の「油売り」から油を買い、庶民にも夜の照明用の行灯に菜種油(1合40文)が広く出回るようになった。(中略)
(当時の中流階級である大工の日当が500文くらいの時代に、夜の照明用に使う「百日蝋燭」は一本200文であった)>
なぜ食事の話で菜種油の話なのか?と言うと、これは当時、1日2食から1日3食へ変化した理由の補足説明でした。物流の発展で高価な菜種油の値下がりにより、夜なべ仕事や夜遊びなどが増加。活動時間が長くなるとエネルギーがどうしても必要なため、1日3食の食事習慣が定着した一因だと説明されていました。
江戸の食生活 (岩波現代文庫) ( 原田 信男 (著) )


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