2019/05/05:
●「地球は青かった」の元ネタはだいぶ違う言葉だった
●海外で有名なガガーリンの名言「神はいなかった」は捏造?
●ガガーリンは有人宇宙飛行に成功した世界最初の人類ではない?
●無事帰還する可能性を考えていなかった証拠とされるもの
●ソ連はアメリカとの競争で無謀な宇宙計画を実行していた?
●「地球は青かった」の元ネタはだいぶ違う言葉だった
2019/05/05:ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリンは、1961年、世界初の有人宇宙飛行としてボストーク1号に単身搭乗したソ連の宇宙飛行士です。ただ、彼が宇宙から地球を見ている最中に言った名言は、捏造あるいは不正確、誤解といったものが多いようです。
例えば、ガガーリンの言葉として知られる「地球は青かった」は、全くの捏造ではないものの、だいぶ元の言葉は違うもの。着陸地点にいたオストロウーモフ記者による1961年4月13日付けのイズベスチヤに掲載されたルポが出典であり、日本語では、「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた」といった意味だったそうです。
一方、確実に言ったことがわかっている 「さあ行こう」(パイェーハリ)はあまり日本では知られていないもの。人類史の宇宙時代の幕開けを告げる言葉として、東側諸国で歴史的な言葉となったということで、日本に限らず西側諸国ではあまり受けが良くないのかもしれません。当時はソ連とアメリカは鋭く対立していました。
(
ユーリイ・ガガーリン - Wikipediaより)
●海外で有名なガガーリンの名言「神はいなかった」は捏造?
日本以外では、「地球は青かった」よりも有名であるという「神はいなかった」あるいは「ここに神は見当たらない」、「見回してみても神はいない」、「私はまわりを見渡したが、神は見当たらなかった」となどとされる言葉。こちらは完全な捏造というか誤解のようです。記録にはその種の発言は一切残されていません。
実はこれ、これはガガーリンの次に宇宙に行った同じソ連の宇宙飛行士であるチトフが、訪米した時にシアトルで記者団に向けて放った発言。先ほどと同様全くの捏造ではないものの、発言者が異なっていたという間違いでした。
また、ガガーリンの親友であった宇宙飛行士アレクセイ・レオーノフは著書『アポロとソユーズ』の中でガガーリン自身が好んで語ったアネクドート(風刺ジョーク)として次の話をあげており、この中の言葉が彼自身の言葉として一人歩きしているのではないかとも想像されていました。
宇宙から帰還したガガーリンの歓迎パーティにロシア正教のモスクワ総主教アレクシー1世が列席しており、ガガーリンに尋ねた。
総主教「宇宙を飛んでいたとき、神の姿を見ただろうか。」
ガガーリン「見えませんでした。」
総主教「わが息子よ、神の姿が見えなかったことは自分の胸だけに収めておくように。」
しばらくしてフルシチョフがガガーリンに同じことを尋ねた。総主教との約束を思い出したガガーリンはさきほどとは違うことを答えた。
ガガーリン「見えました。」
フルシチョフ「同志よ、神の姿が見えたことは誰にもいわないように。」(レーニン主義は宗教を否定している)
●ガガーリンは有人宇宙飛行に成功した世界最初の人類ではない?
ソ連とアメリカとの争いについてちらっと書きましたが、これはガガーリンに関する他の逸話でより色濃く出ています。
・地球生還後にフルシチョフから勲章を授与されるときに、ガガーリンの軍服の生地が余りに硬いためにフルシチョフは勲章をガガーリンの軍服に付ける事が出来ず、直接手渡したと言われている。真偽は不明だが、ソ連の重工業と軽工業の技術差を揶揄するときに使われている。
・ガガーリンが宇宙へ赴いた最初の人類であることは今でも疑問の余地がないが、いまだにソ連ではガガーリン以前に二度有人宇宙飛行が試みられたが国境を越えて中国に着陸してしまう等で失敗し、隠蔽のために永遠の秘密とされたという噂もある。ソビエト政府は宇宙計画のイメージダウンを恐れてすべてを秘密にしているというのである。 しかし、これまで様々な噂が流れていたにもかかわらず、それらを証明する物的証拠は出ていない。
Wikipediaでも<当時は冷戦という特異な社会構造の中で、いわば敵国であったソ連への漠然とした不信感が存在していた。そのため、そのような感情に関連して「ソ連が事実を隠蔽している」との噂が産み出されたのであろう>と解説していました。
●無事帰還する可能性を考えていなかった証拠とされるもの
なお、Wikipedia内でも、このガガーリンの宇宙計画が実現性の高いものであったか、無謀で命を粗末にするものであったかの見解が、分かれていました。
・飛行中に、ガガーリンは自分が中尉から少佐へ昇進(特進)したというタス通信のニュースを聞いた。ガガーリンも喜んだが、このような発表を飛行中のガガーリンに伝えた本当の理由は、当時の技術では政府高官がガガーリンが生きて帰還する可能性が低いと考えていたからだといわれている。
・打ち上げ成功直後にソ連政府は「ガガーリン少佐を乗せたボストークが軌道周回中」と発表している。この事は、ソ連政府がガガーリンの安全な帰還に相当な自信を持っていたことの表れとも受けとめられ、もしそれ以前に有人飛行に失敗しているなら、そのようなタイミングでの発表は考えにくい。
これは後者の方が説得力がありますね。帰還成功前に発表してしまうと、有人宇宙飛行の帰還に失敗した場合の隠蔽が不可能になります。
●ソ連はアメリカとの競争で無謀な宇宙計画を実行していた?
ただし、実際にソ連が後に無謀な宇宙計画を実行して、命を奪ったという事実も同じページで確認できました。
・1967年には親友でもあるウラジーミル・コマロフが搭乗するソビエト連邦の有人宇宙船ソユーズ1号のバックアップ要員を務める。試験飛行が1度も成功しないままソユーズが出発の日を迎えた時、ガガーリンは宇宙服を着て「自分が乗る」とコマロフをかばったという。結果的にコマロフは宇宙船自動安定化システムの機能停止や大気圏突入時パラシュートが絡まるなどのトラブルで死亡してしまう。 彼は有人宇宙飛行の歴史における、最初の飛行中の事故による死者となった。
上記は一部
ソユーズ1号 - Wikipediaからも引用していますが、こちらでは、やや異なるニュアンスの話になっています。
・ユーリイ・ガガーリンはソユーズ1号の予備乗員で、ソユーズには設計上の問題があること、にもかかわらず打上げを進めようとする政治局からの圧力があることに気づいていた。ガガーリンはソユーズ1号ミッションからコマロフを降ろそうと試みた。彼はソ連の指導部が国家の英雄である自分をこのような危うい飛行に搭乗させようとはしないだろうと知っていたためである。
ところが、この項目は「技術的問題を巡る伝説」というタイトルとなっているため、事実である証拠はないのかもしれません。前述の通り、当時は米ソの対立が激しく、アメリカも有人宇宙飛行計画アポロ1号で3人の犠牲者を出していますし、ソ連も安全性を軽視していた可能性は感じますけどね。
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