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昭和天皇はA級戦犯合祀が理由で靖国参拝をやめた?富田メモの解釈


 富田メモの報道は読んだ気がしますが、忘れてしまったので調べてみることに。きっかけとなったのは以下の記述です。
靖国問題をめぐる”歴史のねじれ”は今後も解消されない[橘玲の日々刻々]|橘玲の日々刻々 2014年1月28日 ザイオンライン

 靖国神社は明治維新の翌年に戊辰戦争の官軍の犠牲者を弔う「東京招魂社」として建立され、その後、明治天皇によって「靖国」と改称されました。戦前の軍隊は「皇軍」で、兵士は天皇の名のもとに戦って散っていったのですから、その魂を鎮める祭司は天皇以外にありえません。その出自から明らかなように、靖国神社は天皇の神社だったのです(実際は陸軍省と海軍省の共同管理)。(中略)

 A級戦犯合祀の最大の代償は、中韓の反発ではなく、昭和天皇が靖国参拝をやめてしまったことです。元宮内庁長官の残したメモにより、昭和天皇が合祀に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と述べていたことが明らかになっています。いまの天皇も、即位以来いちども参拝していません。

 A級戦犯を合祀したことで、靖国神社は本来の祭司である天皇を迎えることができなくなってしまいました。しかし天皇に参拝を強要することも、靖国神社にA級戦犯を分祀させることもできないため、保守派のひとたちはこの問題を見て見ないふりをして、首相を参拝させることで満足しているのです。
http://diamond.jp/articles/-/47821

 私はあまり靖国神社問題に関心ないので忘れていましたが、そういや昭和天皇が嫌っていましたね。確かにそんな神社への参拝に固執する保守派ってのは滑稽な気がします。

 ただ、Wikipediaを見ると"保守派のひとたちはこの問題を見て見ないふりをして"いるわけではなく、それなりに理屈をこねているようです。

 とりあえず、一般的な解釈から。
昭和天皇は、戦後は数年置きに計8度(1945年・1952年・1954年・1957年・1959年・1965年・1969年・1975年)靖国神社に親拝したが、1975年(昭和50年)11月21日を最後に、親拝を行っていない。この理由については、昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感をもっていたからという仮説があったが具体的な物証は見つかっていなかったが、宮内庁長官を務めた富田朝彦が1988年(昭和63年)に記した「富田メモ」、及び侍従の卜部亮吾による「卜部亮吾侍従日記」に、これに符合する記述が発見された。平成の現在も今上天皇による親拝中止は続いている。なお、例大祭の勅使参向と内廷以外の皇族の参拝は行われている。

戦後、歴代総理大臣は在任中公人として例年参拝していたが、1975年(昭和50年)8月、三木武夫首相は「首相としては初の終戦記念日の参拝の後、総理としてではなく、個人として参拝した」と発言。同年を最後に、それまで隔年で行なわれていた天皇の親拝が行なわれなくなったのは、この三木の発言が原因であると言われていた。しかし、2006年になって「富田メモ」に、昭和天皇がA級戦犯の合祀を不快に思っていたと記されていたことがわかった。以下は該当部分。
私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私 あれ以来参拝していない それが私の心だ

日本経済新聞社「富田メモ研究委員会」は「他の史料や記録と照合しても事実関係が合致しており、不快感以外の解釈はあり得ない」と結論付けた。

 こちらが有力な説です。一方で保守派の反論としては以下。まず、保守派の論客としてはまともな意見が多いと思う櫻井よしこさん。
櫻井よしこは、メモに「Pressの会見」と題がつけられ、富田と覚しき人物が「記者も申しておりました」と会見での記者の反応も書き記していることから、記者会見のメモだと思われるとし、メモ執筆当日の4月28日に昭和天皇が会見していない事実を挙げ、富田が書きとめた言葉の主が、昭和天皇ではない別人の可能性もあると主張している。

 これ以外にもあります。
また、『産経新聞』は、「昭和天皇がA級戦犯の何人かを批判されていたとの記述があったとしても、いわば断片情報のメモからだけで、合祀そのものを“不快”に感じておられたと断定するには疑問が残る」「合祀がご親拝とりやめの原因なら、その後も春秋例大祭に勅使が派遣され、現在に至っていることや、皇族方が参拝されていた事実を、どう説明するのか」という疑問を呈している。

また、昭和天皇の側近で、戦後「A級戦犯」に指定された木戸幸一元内大臣に対し昭和天皇が、「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」と述べたとの記述が『木戸日記』にあり、また終戦時の鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長迫水久常によれば、ポツダム宣言受諾に関する御前会議(8月9日~10日)において聖断を仰がれた時、天皇が次のように発言されたとされる。
わたしとしては、忠勇なる軍隊の降伏や武装解除は忍びがたいことであり、戦争責任者の処罰ということも、その人たちがみな忠誠を尽くした人であることを思うと堪えがたいことである。しかし、国民全体を救い、国家を維持するためには、この忍びがたいことをも忍ばねばならぬと思う。

— 御前会議

と、連合国による一般的な戦争犯罪者全体について心情を語られたものもある。

 といった感じですが、全体に弱いですね。

 まず、櫻井よしこさんなどの富田メモの解釈は「別人の可能性もある」という程度であり、"昭和天皇は、戦後は数年置きに計8度(中略)靖国神社に親拝したが、1975年(昭和50年)11月21日を最後に、親拝を行っていない"、"今上天皇による親拝中止は続いている"という事実は動きません。

 皇族などの行動の方は自分の意志では決められないので別の話…みたいなのもあるのかな?と思いましたが、産経新聞のその後も春秋例大祭に勅使が派遣され、現在に至っていることや、皇族方が参拝されていた」を理由として使っています。

 なお、産経新聞の主張でも前述の天皇の参拝中止という事実はやはり変わりません。天皇を重視するのであれば、天皇の親拝から勅使派遣に切り替えられた事実にもっと注目すべきです。産経新聞は天皇軽視の姿勢ですね。

 最後の「A級戦犯」に関する話は親拝中止より古いものであり、問題外です。こちらも天皇の考えを尊重するのであれば、より後の行動を重視すべきでしょう。

 あと、富田メモ以外にこういうのもあるそうです。
他の資料として有名なものに卜部亮吾侍従日記がある。

・1988年4月28日の日記には「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」
・2001年7月31日の日記には「靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」
・2001年8月15日の日記には「靖国合祀以来天皇陛下参拝取止めの記事 合祀を受け入れた松平永芳(宮司)は大馬鹿」

と記述されている。

 私は別にA級戦犯の合祀をけしからん!と問題視する考えは持っていないのですが、正直保守派の反論は苦し紛れ感がいっぱいですし、天皇を意外に敬っていないのかな?という印象を受けました。


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