高円宮典子さま婚約 40歳出雲大社禰宜の千家国麿さんと 2014年5月28日6時0分 スポーツ報知
高円宮家の次女・典子さま(25)と島根県の出雲大社の宮司・千家尊祐(せんげ・たかまさ)さん(71)の長男で同大社禰宜(ねぎ)の国麿(くにまろ)さん(40)の婚約が27日、内定した。結婚式は今秋、出雲大社で行われる。(中略)
高円宮家と千家家は、出雲大社から出土した「心御柱」(しんのみばしら)を見に高円宮ご夫妻が参詣された01年9月以来、家族ぐるみの交際があった。野鳥観察をライフワークとする久子さまの「鳥の写真展」を出雲大社文化事業団が主催したことも。収益は、同じく野鳥観察が趣味の国麿さんが代表して島根県庁に出向き「しまね社会貢献基金」に寄付した。(中略)
◆千家 国麿(せんげ・くにまろ)出雲大社宮司の千家尊祐氏の長男として1973年9月2日誕生。島根県出雲市在住。92年県立大社高、96年国学院大文学部神道学科卒業。同年4月から乃木神社(東京都港区)、01年4月から石清水八幡宮(京都府八幡市)の神職に就いた。05年3月、出雲大社に移り現在、禰宜(ねぎ)、祭務部長。父母と弟2人の5人家族。
http://www.hochi.co.jp/topics/20140527-OHT1T50278.html
出雲大社(いづもおおやしろ、いづもたいしゃ)は島根県出雲市にある神社である。(中略)
正式名称は「いづもおおやしろ」であるが、一般には主に「いづもたいしゃ」と読まれる。
創建
出雲大社の創建については、日本神話などにその伝承が語られている。以下はその主なものである。
・大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。(『古事記』)
・高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴神に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命をに祀らせよう」と述べた。(『日本書紀』)
・所造天下大神(=大国主神)の宮を奉る為、皇神らが集って宮を築いた。(『出雲国風土記』出雲郡杵築郷)
・神魂命が「天日栖宮(あめのひすみのみや)」を高天原の宮の尺度をもって、所造天下大神の宮として造れ」と述べた。(『出雲国風土記』楯縫郡)
・崇神天皇60年7月には、天皇が「天穂日命の子で武日照命(日本書紀)(建比良鳥命(古事記))が天から持って来た神宝が出雲大社に納められているから、それを見たい」と言って献上を命じたところ、飯入根(いいいりね)が、当時の当主で兄の出雲振根に無断で出雲の神宝を献上。出雲振根は飯入根を謀殺するが、朝廷に誅殺されている。(『日本書紀』)
・垂仁天皇の皇子本牟智和気(ほむちわけ)は生まれながらに唖であったが、占いによってそれは出雲の大神の祟りであることが分かり、曙立王と菟上王を連れて出雲に遣わして大神を拝ませると、本牟智和気はしゃべれるようになった。奏上をうけた天皇は大変喜び、菟上王を再び出雲に遣わして、「神宮」を造らせた。(『古事記』)
・659年(斉明天皇5年)、出雲国造に命じて「神之宮」を修造させた。(『日本書紀』)[
伝承の内容や大社の呼び名は様々であるが、共通して言えることは、天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。
また、出雲大社の社伝においては、垂仁天皇の時が第1回、斉明天皇の時が第2回の造営とされている。
創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきた。現在の宮司は84代国造千家尊祐(略)
出雲国造(いずものくにのみやつこ、いずもこくそう)は、出雲国(現在の島根県東部地方)を上古に支配した国造。その氏族の出雲氏の長が代々出雲大社の祭祀と出雲国造の称号を受け継いだ。(中略)
出雲国造は、国譲りに応じた大国主命を祀るため、天日隅宮(あめのひすみのみや=出雲大社)の祭祀を担った天穂日命を始祖、その子神・建比良鳥命を第2代とする。(中略)
歴代出雲国造
初代:天穂日命
(中略)
17代:出雲宮向 - 允恭天皇元年(412年)に国造となり、建保2年(1214年)に順徳天皇から、出雲の姓は宮向以降の当主が賜ったものとの下文(くだしぶみ)があったとされる。
(中略)
千家家(引用者注:跡目争いで分裂して、千家氏(せんげし)と北島氏(きたじまし)の二氏に分かれる)
56代:千家孝宗
(中略)
84代:千家尊祐 - 平成14年(2002年)に父から、国造職を継いだ。
84代の長男:千家国麿 - 出雲大社禰宜。2014年(平成26年)5月、高円宮憲仁親王殿下と同妃久子殿下の次女典子女王殿下との婚約が内定したと、宮内庁が発表した。
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