2018/05/09:
●年収2200万円でも医師が来ない青森県深浦町、ついに諦めることに
●医師が復帰…次々と医師が辞めたあの上小阿仁村に深浦町は近い?
●深浦町には世界遺産白神山地や日本最大のイチョウがある
2020/04/08:
●深浦町は122点差で負けた深浦高校野球部も有名だった…
●年収2200万円でも医師が来ない青森県深浦町、ついに諦めることに
2018/05/09:日本海に面した青森県深浦町は、町内に常駐する医師が1人しかいなかったため、4年前、新たに町営の診療所を開設する計画を打ちたて、年収2200万円や、家賃や光熱費が無料の住宅を提供するという条件を示して医師を募集していました。
この募集に対し、応募した医師がゼロだったわけではなく、2人の医師から応募があったそうです。ところが、家庭の事情などを理由に辞退し、結局、2017年12月まで3年余りかけても1人も採用できませんでした。
このため、深浦町はついに諦めたようです。公募を断念したことがわかった…というのが、"年収2200万円で募集も医師は来ず 青森 深浦町"(5月8日 15時45分 NHK)というニュースでした。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180508/k10011430621000.html
●医師が復帰…次々と医師が辞めたあの上小阿仁村に深浦町は近い?
なお、かつて町内で勤務した経験がある青森県三戸町の76歳の医師に頼み、新たな診療所開設のめどが立ったということで、かつての医師が復帰…みたいな形になったようです。このような形は、次々と医師が辞めた上小阿仁村でもありました。
(関連:
上小阿仁村医者嫌がらせ・いじめは嘘ばかり 村民らが反論、本当の理由を説明)
ただ、その「復帰」というところではなく、単に医師が来ないということで、上小阿仁村を思い出す方は多かったようです。隣の県なので近いと言えば近いし、強引と言えば強引なのですけど、秋田県の中央部に位置する上小阿仁村と、青森県西津軽郡にある深浦町が近いという反応もありました。
しかし、先のNHKでは、過疎地の医師不足が問題となっていると報じています。私の出身地の北海道でも、医師不足が問題になっており、青森県・秋田県だけ、東北だけ…といった問題ではなく、多くの過疎地で問題が起きていると考えるべきでしょう。
●深浦町には世界遺産白神山地や日本最大のイチョウがある
深浦町ってどんな町?と、
深浦町 - Wikipediaを見てみました。ただ、全然詳しい話はなく、代表産業の記述すらありません。
人口は7,857人なのですけど、その割に漁港が多い感じで11もありました。なので、漁業は盛んなのかもしれません。あと、人口の割に郵便局も多くない?と変なことが気になりました。13もあります。また、名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事で気になったのは、以下のあたり。
・白神山地(世界遺産) (引用者注:青森県の南西部から秋田県北西部にかけて広がっている標高1,000m級の山地)
・日本最大のイチョウ〔北金ケ沢字塩見形〕(国の天然記念物)
・関の甕杉(せきのかめすぎ)〔関字栃沢〕県天然記念物、推定樹齢1,000年。周囲は「関の古碑群」。
以上のように、ウィキペディアは淡白な記述でした。ただ、もっと人口が少ない自治体でも詳しいことがありますし、もうちょっと書けることがありそう…。ウィキペディアでは応援する政治家のためにわざわざ捏造した記述が載ることがありますが、それよりこういう自治体の項目を詳しくするなど、世の中の役に立つことで頑張ってほしいです。
●深浦町は122点差で負けた深浦高校野球部も有名だった…
2020/04/08:ネガティブな話題になった深浦町のポジティブな話題を…という感じで、この投稿は当初「年収2200万円でも医師が来ない青森県深浦町には世界遺産白神山地や日本最大のイチョウがある」というタイトルでした。
ただ、あまりにもその後読まれなかったために、別の話題を今回探すことに。そして、これがネガティブっぽい話題になってしまいました。目についたのは、
「0-122」伝説の大敗 後輩球児の最後の夏、結末は:朝日新聞デジタル(吉備彩日 2019年10月31日 10時00分)という記事だったのです。
この伝説の大敗試合は最近ではなく、1998年の夏、第80回全国高校野球選手権記念青森大会のこと。深浦高校の対戦相手の東奥義塾高は初回に最も多い39点を記録するなど、七回までの全イニングで2桁得点を挙げ、この試合86安打、76盗塁を記録し、122対0で圧勝しました。3時間47分、7回コールドだったといいます。
当時の朝日新聞には、東奥義塾の主将の「気を抜くのは失礼だと思った」という談話が載っていたとのこと。ここらへんの考え方はいろいろあるでしょうけど、私はこういう考え方もアリだと思いますね。当時、監督だった工藤慶憲さんも「たくさんの応援をいただいた。当時の選手たちに、あの試合へのネガティブな感情はないと思う」としていました。
なお、この記事自体は深浦高校の野球部がなくなったという話。現在はそもそも青森県立木造高等学校深浦校舎(「もくぞう」って変な名前だと思ったら木造町(きづくりまち)から来た名前でした)という名前になっていて、部員は一人であったため連合チーム「西北・浪岡連合」での出場。この一人が卒業してゼロって話でした。
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