竹田恒泰さんは旧皇族ですらない…という話をふたつまとめ。元のタイトルは、<竹田恒泰が自身を「皇族」と発言?過去には旧皇族でもないと説明>という投稿と、<竹田恒泰氏、旧皇族を詐称?「旧皇族には皇籍復帰の覚悟あり」という論文も>という投稿でした。今後、他の竹田恒泰さん関連の話もまとめようかと思います。
●旧皇族ですらない竹田恒泰が「皇族」と自称 天皇家の血筋であることを強調しすぎ…
2014/6/2:
出雲大社と天皇家の関係 天照大神と天穂日命と千家家と大国主では、"高円宮典子さま婚約 40歳出雲大社禰宜の千家国麿さんと"(2014年5月28日6時0分 スポーツ報知)という記事を使いました。ただ、この記事では気になる部分があったんですよ。
http://www.hochi.co.jp/topics/20140527-OHT1T50278.html
向こうでは無関係なので取り上げませんでしたが、記事を読んでいて「あれ?」と思ったのが、<明治天皇の玄孫(やしゃご)・竹田恒泰氏「
同じ皇族として、大変めでたいことですから、心からお喜び申し上げたい」>という部分です。
いや、竹田恒泰さんって皇族じゃないですよね? むしろ自分は一度も皇族だと自称したことがない…って否定されていたような? スポーツ報知(ちなみに右派・読売新聞系)の記者が記事にまとめる際に間違えた可能性もありますけど、「皇族って言っちゃってるよ!」と驚いてしまいました。
竹田恒泰さんに好意的な解釈をすれば記者の間違いなわけですが、そうであった場合、実際には竹田恒泰さんは何と言っていたのか?と考えると、これはこれで問題を感じます。最初は「同じ旧皇族として」と言ったのを記者が間違えたのかな?と思いました。ただ、竹田さんは自分を「旧皇族」とも認めていないことになっているので、これも違うかもしれません。
じゃあ、「同じ天皇の血を引くものとして」という感じのを、記者が意訳してしまった…というところでしょうか。ただ、そうだとしても、そもそも竹田さんと典子女王(身位は女王)は同列に語られるべき存在ではないために、どちらにしても不自然。この後紹介するように、旧皇族ですらないですし、現在の天皇家からは非常に遠い血筋なのです。
●宮内庁の定義では1947年に皇籍離脱した一部だけが「旧皇族」?
では、竹田恒泰さんはどんな方か?というのを
Wikipediaで見てみます。
竹田 恒泰(たけだ つねやす、1975年(昭和50年)月日非公表 - )は、日本の作家、憲法学者。(中略)旧皇族の竹田家に生まれ、明治天皇の玄孫(女系)でもある。竹田恒和は父。(中略)
竹田宮恒徳王の第三子である日本オリンピック委員会会長竹田恒和の長男。祖父の恒徳王が竹田宮恒久王と明治天皇の第六皇女である常宮昌子内親王の間に生まれていることから、恒泰は明治天皇の女系の玄孫にあたる。また、父親を辿ると北朝第三代崇光天皇に行き着くため、天皇の男系の子孫にも当たる。父・恒和は今上天皇の二従弟にあたるので、現在の皇族で明治天皇の玄孫にあたる皇太子徳仁親王・秋篠宮文仁親王とその妹・黒田清子は三従兄弟にあたる。
皇籍離脱した時期がはっきりしませんけど、おそらく竹田恒泰さんは誕生時から既に皇族ではなかったと思われます。では、何と呼ぶか?と言うと、「旧皇族」というのが思い浮かびますが、これも定義が一様でないようです。また、竹田恒泰さんはご自身を「旧皇族」とは定義していなかったと書かれています。
旧皇族(きゅうこうぞく)とは、1947年(昭和22年)に皇籍離脱した11宮家51名の元皇族とその子孫を指す俗称である。旧宮家ともいう。
いずれにしても俗称であるから、正式・正確な定義というものは存在しない。各人が各人の立場や好みにより自由な解釈を行っている。
竹田恒泰によれば、宮内庁は1947年に皇籍離脱した11宮家51人の王、王妃、女王を「元皇族」、その中で当時宮家の当主だった王を「旧皇族」と定義しているという。また高森明勅や小林よしのりらは自身の著書や講演での発言において、旧皇族とは実際に1947年に皇籍離脱した人物であるとし、離脱後に誕生した男系子孫については一度も皇族であった時期がないという点から「旧宮家系国民男子」と呼んでいる。
Wikipedia
●「憲法学者」も自称で嘘か?学術論文は一切発表していない
Gepäckkasten, 竹田恒泰氏をめぐるFAQというサイトさんによると、どうもご本人のブログでも竹田恒泰さん自身は「旧皇族」はないと書いていたみたいですね。あと、関係ないですが、こちらのサイトでは「憲法学者」にも疑問符をつけていました。<自称においてはそうである。ただしCiNii等で確認される限りにおいて、学術論文は一切発表していない>とのことです。
あと、Wikipediaよりおもしろかったのが、
ニコニコ大百科の項目です。Wikipediaがどうも過去に揉めて内容を削除されたっぽいというのもあり、ざっくばらんに書いているこちらの方が読み応えがあるのです。ここではその中から皇族に関する部分だけ引用していきます。
<しばしば旧皇族として扱われることがあるが、これは本来1947年に一斉皇籍離脱を行った伏見宮系皇族ら当人を指す用語であり、恒泰はもちろん父の恒和(現日本オリンピック委員会会長、引用者注:後に東京五輪賄賂疑惑で問題に)もこの時点では生まれておらず、一度も皇族の身分を得たことはないため誤りである(旧皇族に該当するのは祖父・伯父まで>
伏見宮家から分かれた分家の一つであり、ここからの分家は多数あります。ただ、天皇家本家と近い系統かと言うと、不思議なことにそうではないのです。本来あは消滅してもおかしくなかったのに、後花園天皇は弟の貞常親王に生家を継がせ、独立した世襲親王家としての特権を与え、ここが拡大するという妙なことになりました。
結果、天皇家本家とは別系統で伏見宮家は皇室内に存続し続けることになり、血統的には遥か彼方に遠ざかりながらも途絶えることなくなんと数百年を経過する…という妙なことになってしまったそうです。しかも、明治期にここからの分家が増え、竹田宮家はそのまたさらに分家という形になってしまいました。多すぎるし、遠すぎます。
●一斉皇籍離脱がなくても竹田恒泰氏は皇族ではなかった…その理由とは?
こうしたいびつな状態が解消したのは戦後。1947年10月に伏見宮系皇族は全員皇籍を離脱することになりました。こうした話は興味深いところがあるのですが、皇族関係の話でより突っ込んで書いているのは「もし一斉皇籍離脱がなかったら?」の部分。推論に過ぎませんけど、なかなか説得力のある話で興味深いです。
<「GHQの陰謀によって旧皇族が皇籍離脱に追い込まれなければ、竹田恒泰氏は今も皇族であられたはず」という主張が時折見受けられるが、結論から言えば仮に祖父の代での一斉離脱が無かったとしても、恒泰は現在と同様に生来皇族としての身分を持たない、平民あるいは華族であった可能性が高い>
なぜそう言えるのか?というのかと言うと、前述の通り、天皇家から遠すぎるくせに多すぎであったためですね。<皇族、特に伏見宮系皇族が増え過ぎて皇室財政が逼迫したことから
「伏見宮系皇族は長子孫の系統かつ邦家親王から4世以内の者のみ残し、それ以外は原則として臣籍降下」という内規が大正時代に制定されていた>といいます。
これは大正時代の話であり、戦後になって初めて問題視されたのではなく、以前から問題であったことがわかる話。また、この内規は実際に実現されており、<内記制定後、各宮家の次男や三男は次々に臣籍降下して皇室を去っており、父・恒和も三男である以上は一斉離脱の有無にかかわらず元々いずれ臣籍に下る定めの身の上であった>と指摘されています。
<なお内規はあくまで原則であるため、血統保存の必要性などから例外が認められる可能性はあったが、恒和の長兄・恒正が健康に成長したこと、天皇家本家に恒和と同世代の男子が5人も居たことから、恒和が成人・独立する時期に敢えて彼を例外扱いして皇室に留める理由は見当たらない。
よって一斉離脱がなくとも恒和は次兄・恒治の後を追う形で皇室を去っていたことになるが、その場合は華族制度が廃止されていれば当然一般国民となり、存続していれば華族5等級の3等である伯爵位を与えられていたと考えられる。これは各宮家から最初の臣籍降下では侯爵を、2番目以降では伯爵を与えるとされていたためである。
以上より仮に1947年の旧皇族の皇籍離脱が無かったとしても、恒泰の立場は今と同じ一般国民か、あるいは伯爵家の推定相続人かのどちらかであり、いずれにせよ皇族の地位に就くことは無かっただろうと言える>
●「私は旧皇族で…」と動画で発言…竹田恒泰氏、旧皇族を詐称か?
2017/1/25:旧皇族というのは、皇族であった時期があって皇籍離脱した人を普通は指します。竹田恒泰さんやそのお父さんの竹田恆和・日本オリンピック委員会会長は、この定義では旧皇族ではありません。本当に皇族だったのはもっと年齢が上の人たちです。
しかし、ややこしいことに、皇族であった時期がなくても、前述の人たちの子孫であれば、「旧皇族」に含める場合があります。とはいえ、これは「旧皇族の詐称だ」という批判がつきまといますので、竹田恒泰さんはこれを避けているのだと思っていました。ただ、記事などでは旧皇族とされていることもあり、自ら旧皇族と述べていたという指摘もあったんですよね…。
ニセ旧皇族・竹田恒泰の「いるいる詐欺」が進行中! - ゴー宣ネット道場 2012/02/04
1月30日にYouTubeで配信された、
竹田恒泰が出演する
某衛星カルトチャンネルの番組では、
タイトルから「旧皇族復帰」を掲げ、
出演者全員が疑いもなく
「旧皇族復帰」と言っていました。
さらに驚いたのは、
竹田恒泰が自ら
「私は旧皇族で…」
と発言したことです。
●「旧皇族には皇籍復帰の覚悟あり」という論文も発表している
この竹田恒泰さんは、たびたび旧皇族の子孫による皇族復帰の話をしています。例えば、以下は産経新聞が産経新聞系の雑誌「正論」での竹田恒泰さんの論文を紹介した記事です。この産経新聞の記事も、厳密には旧皇族じゃない人たちを旧皇族として書いちゃってますね。
男系維持へ「一族として応える」 旧皇族の大半、皇籍復帰要請あれば 「正論」で明らかに+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
終戦直後に皇籍離脱した旧皇族の多くが、皇位の男系継承を維持するために皇籍復帰を要請されれば、「一族として応えるべきだ」とする意向を固めていることが分かった。主に現在の宮家と養子縁組することで、男系を継承することを想定している。
旧皇族の慶応大講師、竹田恒泰氏(36)が、3月1日発売の月刊「正論」4月号に寄せた論文で明らかにした。(中略)
論文によると、竹田氏は昨年11月~2月中旬、皇位継承問題について旧皇族20人以上と意見交換。大多数が男系の皇統は維持されるべきだと考えており、女性・女系天皇を積極的に容認する人はいなかった。男系維持のため皇籍復帰を要請されれば、「一族として要望に応える覚悟を決めておかなければならない」と考える人が大半を占めたという。(中略)
旧皇族一族には少なくとも9人の未婚男子と、ここ数年内に結婚した5組の男系夫婦がいて、通常の養子や婿養子、夫婦養子となることが可能だと指摘している。
リンク切れ
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120229/imp12022909290001-n1.htm
●女系天皇については徹底して反対 これも結局皇族復帰と関係
竹田恒泰氏“皇族問題”を語る/芸能速報/デイリースポーツ online(2014年6月15日)は、竹田恒泰さんがこの日出演した「たかじんのそこまで言って委員会」についての記事。上記と同様に皇族復帰についての話をしています。
女系天皇絶対反対も同じで、「女系天皇、父方をたどったときに永遠に天皇にたどりつかない人が天皇になることになると、初めてになる。そんなの天皇じゃないっていう人が出てくる。これが問題なんですね」とも語ったそうです。そもそも女系天皇を許してしまったら、皇族復帰の理由もなくなっちゃいますからね。この二つはセットなのです。
竹田恒泰さん自身が復帰する可能性については、「当然、男系の血筋を引くわけですから」とアピールしつつも、以下のように冗談めかして否定していました。とりあえず、自分が皇族復帰したい!と言っている話までは見つかりませんでした。
「私が断りますのでないです」
「(旧宮家の未婚男子について問われ、)最近増えてきまして、私の世代で5名程度。最近よく結婚して子供が生まれているので、プラス5、6、7、8人ぐらいは増えている。(中略)その中で(皇族復帰が)最も不適切なのは私です」
【本文中でリンクした投稿】
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